華やかな大内文化の末路は寂しいものでした
- 3.0
- 旅行時期:2016/08(約9年前)
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by 風待人さん(男性)
萩 クチコミ:217件
以前から県道315線を通る度に気になっていた大内義隆供養塔へ行ってみることにしました。
県道315線から細い農道を道しるべに沿って行くと民家のシャッターにペンキか何かで「大内→」と書かれていて車一台がやっとの畦道のような道を行くとまた看板があり、濃度脇に車を停めて山の中に入って行くとやや小高い丘のような所に供養塔が3基建っていました。
この3基は大内義隆、正室、側室の供養塔だとか。
周防の戦国大名であった大内義隆は天文20年(1551年)家臣の陶晴賢の謀叛により大寧寺に逃れて自刃した大内義隆の側室の子がこの地へ逃れて養雲院の住職となり建立したとのことです。
山口の地を西の京と呼ばれるまでの華やかな文化を呼び込んだ名君、大内氏の末路はかつての部下に裏切られ、最後は四面楚歌の中、自ら命を絶つという無念なものでした。
ひっそりとしたこの地で喧騒から逃れて側室、正室とともに眠る方がよいのかもしれません。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 2.5
- 山口県萩市片俣にあり、道の駅うり坊の郷から須佐地区に抜ける県道315線から山手に入った所にあります。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 全くと言っていいほど人混みは有りません。
- 見ごたえ:
- 3.0
- 供養塔が3基寂しく佇んでいるだけです。
クチコミ投稿日:2016/08/13
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