江戸時代の眼科医、「シーボルト事件」に連座
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- 旅行時期:2016/03(約10年前)
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by tenkuusogoさん(男性)
築地 クチコミ:52件
土生玄碩は江戸時代後期の眼科医でした。文化7年(1810年)奥医師を拝命し、文化13年法眼に叙せられ、文政5年(1822年)には12代将軍徳川家慶の眼疾を治療しました。文政12年シーボルトから眼病治療法を教授された謝礼に、将軍拝領の紋服を贈ったことで、「シーボルト事件」に連座、改易となり、江戸を追放されました。87歳で死去し、土生家の菩提寺である築地本願寺に葬られました。以前、山崎昭さんの小説で、オランダお稲というシーボルトの娘の話を読んだ時に、初めて「シーボルト事件」を知りましたが、その時の眼科医がこの土生玄碩だったんだと思い出し、感動して思わず手を合わせてしまいました。
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
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- 人混みの少なさ:
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- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2016/04/18
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