三菱の歴史ですね
- 4.0
- 旅行時期:2015/11(約10年前)
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by T04さん(非公開)
木場・東陽町・清澄 クチコミ:49件
入口でいただいたリーフレットには「一説には…紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と伝えられています」とか、「関宿藩主久世大和守の下屋敷となり…」と記述されていますが、基本的には「明治11年…岩崎弥太郎が…社員の慰安や賓客を招待する場所として造園を計画」したものだそうです。岩崎弥太郎といえば薩長藩閥に政治・軍事を握られた土佐を代表する実業家、明治11年は征台の役で築いた莫大な資金で三菱の基盤を確かにした頃でしょうから、当時の三菱の権勢が造らせたものでしょうね。この庭園の特徴は全国から取り寄せた数々の石ということになっていますが、私が気になったのは庭園の一部を占める菖蒲園です。おそらく当時の三菱社員は、この菖蒲園でたびたび盛大な宴を開いていたのではないでしょうか。良き明治の時代というものを感じられました。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 「清澄白河」駅から、さほど遠くありません
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- ちょっとお天気の怪しい陽でしたが、週末ということもあって、かなり大勢の人で賑わっていました
- 見ごたえ:
- 4.0
- 池を中心に据えた回遊式の庭園ですが、一部は菖蒲園にもなっており、かつての三菱の威光を感じました
クチコミ投稿日:2015/11/08
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