二つに割られた墓石は一揆の怨念のすごさを象徴していました
- 4.0
- 旅行時期:2015/08(約10年前)
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by Dr. DNAさん(男性)
郡上八幡 クチコミ:27件
江戸時代、宝暦年間に美濃国郡上藩(現岐阜県郡上市)で発生した大規模な郡上一揆の中心人物の一人、那比村藤吉の墓です。この墓は1762年に金森家の浪人によって2つに割られ、上部が那比川に投げ込まれました。下部は水屋に捨てられたと伝えられていたが、1870(明治3)年に下部が、1895(明治28)に上部が川の中から発見されました。上部は100年余年にわたる川の流水のため、すり減っています。また上下の色も違いました。墓の横には1931年に建てられた宝暦義民碑がありました。
- 施設の満足度
-
4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2015/09/08
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