100年続いた土地争い
- 5.0
- 旅行時期:2014/10(約11年前)
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by bluejaysさん(男性)
倉敷 クチコミ:4件
江戸時代に児島湾を干拓して農地を作ったはいいが、もともと土地のなかったところで、かつ備前・備中国境付近だったために、国境をめぐって100年続く争いが起こった。国が違えば領主が違い、年貢の収入も変わるからである。
最終的に、用水路の向こう(東側)は備前(岡山市内尾)、手前(北側)は備中(都窪郡早島町前潟)、墓地と田んぼの境の高さが変わっている向こう側(西側)は備中(倉敷市茶屋町早沖)と裁定された。かくして国境標石が、もう少し左(東)に立てられたが、一度盗難に遭い、現在はもとの位置よりやや西の墓地に置かれている。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2015/08/20
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