旅順要塞を陥落させた
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- 旅行時期:2014/10(約11年前)
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by bluejaysさん(男性)
徳山・周南 クチコミ:2件
児玉源太郎は1852年、この地に生まれた。源太郎の父半九郎が死去すると、源太郎の姉の婿次郎彦が家を継ぎ、大目付を務めたが、正義派に属していたため、1864年俗論派によってこの地で暗殺された。児玉家は断絶となり屋敷は没収されたが、正義派が政権を握ると、1865年源太郎が家名を相続し、現在児玉神社がある場所に屋敷を構えた。
源太郎は後にこの屋敷跡を買い戻し、1903年に図書館「児玉文庫」を開設した。しかし1945年、徳山空襲で焼失した。
1898年から1906年まで、台湾総督を務める。日露戦争の旅順攻囲戦では、第3軍司令官乃木大将の指揮権に介入し、海岸防衛用の28センチ榴弾砲を転用して、半日で陥落させたと言われる。
だがこのエピソードは、「坂の上の雲」以外の文献には見られず、司馬遼太郎の創作の可能性が指摘されている。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/07/23
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