内戦と言うにはあまりに悲しい戦の犠牲者の旧宅は今はその痕跡さえ消えていた
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- 旅行時期:2015/07(約10年前)
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by 風待人さん(男性)
萩 クチコミ:217件
萩市内は石を投げれば史跡・旧跡に当ると言う程、史跡や旧跡が多い。
しかし、中には石碑があるのみで当時を偲ぶものが何も残されていないものが多い。
この前田孫右衛門旧宅跡も細い道路沿いの民家の前に石碑が建つのみで周りは現代の風景が立ち並ぶ。
そもそも前田孫右衛門とは誰だと思う方も多いであろうと推測する。
甲子殉難十一烈士(きのえねじゅんなんじゅういちれっし)の一人で江戸時代末期(幕末)の長州藩士と言われても余程歴史に詳しい方でないとわからないと思う。
では、何故そのような人物の旧宅に石碑があるのか?
甲子殉難十一烈士は、江戸幕府による第一次長州征伐に際し長州藩内の主導権を握った俗論党によって、萩の野山獄で処刑された長州藩士11人である。
つまりは極内輪の内戦と言うか小競り合いに近い蹴落とし合戦の敗者達である。
しかも、志がある萩藩の藩士たちであった。
儚くも残念な散り方をした彼らの死を悼みそこに彼らが生き、死んでいった証を後世に伝えるためにこれらの石碑のみの旧跡があるのではと思っている。
- 施設の満足度
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2.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 萩商工高等学校の隣の筋を橋本川に向けて歩き、藍場川より10m程度向こう側にあります。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 通行人がある程度で観光客は見当たりません。
- 見ごたえ:
- 2.0
- 残念ながら石碑以外のものは何もありません。
クチコミ投稿日:2015/07/22
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