高山右近、高槻をキリシタンの町に
- 4.0
- 旅行時期:2014/05(約12年前)
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by bluejaysさん(男性)
高槻・島本 クチコミ:2件
高槻商工会議所敷地内に碑が建てられているが、厳密にはそこはキリシタン墓地跡で、高槻天主教会堂は道路の向かい側に、野見神社を破却して建設された。
キリシタン大名高山友照・右近父子は、1573年に高槻城に入ると、家臣や領民へ布教を進め、1574年に高槻天主教会堂を建設して、高槻は京都・堺と並ぶ近畿におけるキリスト教布教の中心となった。
宣教師ルイス・フロイスの記録によれば、大きな木造の教会堂と宣教師の宿舎を備え、池のある美しい庭園の一角には大十字架が建てられていたという。
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2015/06/26
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