蜂須賀家政生誕地
- 5.0
- 旅行時期:2015/04(約11年前)
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by bluejaysさん(男性)
岩倉・江南 クチコミ:2件
宮後城は、土岐氏が美濃・尾張を支配した応永年間に安井氏が居城していたが、蜂須賀正勝(小六)の母が安井氏の娘だったため、父の死後蜂須賀城を出て、宮後城に入った。彼はこの地で木曽周辺を支配し、川並衆の長として勢力を拡大し、木下藤吉郎の側近となった。正勝の子で徳島藩開祖の家政は、ここ宮後城で生まれたと考えられている。
宮後城はその後、小牧・長久手の戦いの際に秀吉が城域を拡大し、外堀を築き二重掘としたが、戦いの後に廃城となった。
浅野長政は安井弥兵衛の長男であり、この地で生まれたとする説がある。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/06/21
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