山内一豊、流浪の身となる
- 4.5
- 旅行時期:2015/04(約11年前)
-
-
by bluejaysさん(男性)
一宮 クチコミ:2件
黒田城は、明応年間に五藤源太左衛門光正が居館を築いたのが初まりと伝えられる。
岩倉織田家の家老山内盛豊が、天文年間に城代として入城した。彼の息子山内一豊は、1545年この城で誕生したと考えられている。
岩倉織田氏は織田信長と対立したため、岩倉城は1559年に攻められ落城。盛豊も戦死し、山内一豊は流浪の身となった。
その後は織田信清の弟広良が城主となるが、戦死したため信清の家臣和田新助が城主となった。新助が長島一向一揆の戦いで討死すると、弟の定教があとを継いだ。
本能寺の変の後、織田信雄の家老沢井雄重が城主となったが、1590年に織田信雄が改易され、一柳直盛が城主となった。
関ヶ原の戦い後、黒田城は尾張を所領とした松平忠吉の持城となったが、しばらくして廃城となった。
- 施設の満足度
-
4.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2015/05/26
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する