江戸時代に井伊家の上屋敷、明治期には参謀本部、戦後衆議院に移管され憲政記念館になりました。
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- 旅行時期:2015/01(約11年前)
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by 元カニ族さん(男性)
霞ヶ関・永田町 クチコミ:5件
説明板に「この地の由来」として、
室町時代の末期、太田道灌がよんだ「わが庵は松ばらつづき海近くふじの高根を軒端のぞ見る」という歌の松原に一角に連なっていたこの地は、江戸時代のはじめ、加藤清正が居住し、寛永年間に井伊家居所となり、明治初頭に及んだ。開国の難衝にあたった井伊直弼もここに住んでいた。
明治以降、弾正台ついで参謀本部の所在地となった。
この地にあるに日本水準原点は、明治24年に設けられた。
昭和27年、この地は衆議院に移管され、35年 憲政の功労者尾崎行雄を記念して ここに浄財で記念館が建設された。
と書かれています。
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- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
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- コストパフォーマンス:
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- 人混みの少なさ:
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- 展示内容:
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クチコミ投稿日:2015/04/01
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