吉原娼妓と永井荷風
- 4.0
- 旅行時期:2015/03(約11年前)
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by dai-nekoさん(非公開)
北千住・南千住 クチコミ:3件
回向院(小塚原)から徒歩で散策、ここ浄閑寺は安政の大地震の際に吉原娼妓らの遺体が投込み同然に持ち込まれたことから「投込み寺」とも呼ばれている。
本堂裏に「新吉原総霊塔」があり「生まれては死界 死しては浄閑寺」と刻まれています。その慰霊塔の前に作家永井荷風の文学碑がある、荷風は「余死する時、後人もし余が墓など建てむと思はば、この浄閑寺の塋域娼妓の墓乱れ倒れたる間を選びて一片の石を建てよ(省略)」と日記に記しています。実際の荷風の墓は雑司ヶ谷霊園にありますが。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2015/03/31
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