八戸の「唯一神」、江戸中期に文化大革命を起こす
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- 旅行時期:2014/11(約11年前)
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by bluejaysさん(男性)
八戸 クチコミ:5件
安藤昌益は、もとは大館市の二井田で農民をやっていたらしい。彼の前半生はよくわかっていないが、1744年八戸に移住して医師になった。ところが江戸中期に八戸で飢饉が頻発し、武士に被害がないのに食糧を生産している農民が餓死することに、昌益は疑問を抱いた。彼は耕作する人だけが尊いとして、為政者・知識階級を搾取階級として糾弾し、儒教や仏教を差別と支配を合理化するものとして「聖人君子とは盗人の俗称なり」と喝破した。そればかりか、現在の世を「法の世」と名づけ、農民が尊ばれる世「自然の世」の到来を予言した。
1758年頃、天聖寺に彼の門人が集まり、シンポジウムが開かれた。これが「安藤昌益思想発祥の地」の由来である。
彼は晩年には神を称し、彼の死後門弟たちが神社・仏閣の破壊を始め、所払いになるなど東北の一部で騒動を巻き起こしたため、当然ながら弾圧され、その思想は後代に引き継がれることはなかった。
この「忘れられた思想家」を発見したのは、同じ大館の狩野享吉だった。江戸中期に文化大革命をやらかした昌益の著作を、彼は「狂人・きちがいの書」と評した。安藤昌益こそ、世界初の共産主義者・アナーキストであり、江戸時代の「唯一神」又吉イエスである。
八戸には安藤昌益記念館があるほか、彼の居宅跡に碑が建てられるなど、彼は煎餅そばよりもプッシュされているようだが、子供に悪影響はないのだろうかと他人事ながら心配になる。
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- 利用した際の同行者:
- 一人旅
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- 人混みの少なさ:
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- 見ごたえ:
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クチコミ投稿日:2015/03/18
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