夏草が生い茂るかつての藩校跡はひっそりと佇んでいました
- 3.0
- 旅行時期:2014/08(約11年前)
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by 風待人さん(男性)
萩 クチコミ:217件
明倫館跡と言えば萩市の中心地、萩市役所前の数年前まで小学校として使われていた場所を思い浮かべる方が多いと思いますが、藩校明倫館は享保4年(1719)に堀内地区にあった三の丸の約940坪の土地に創建されました。
江戸時代に末期には270校を数えたといわれる日本全国の藩校の12番目に建てられました。
時の藩主は毛利吉元。
これが後に吉田松陰を生み、幕末の志士を生む礎となったとも考えられます。
明倫館の名前の由来は孟子の言葉に寄るものと伝えられています。
今は跡地には石垣が残り、草に覆われています。
そこに建つ石碑と説明書きだけが、かつてそこに藩校があったことを今に知らせています。
場所は萩城から歩いて10分足らずの距離にあり、旧口羽家住宅から堀内鍵曲り筋を抜けたところにあります。
この旧明倫館跡の口コミに萩市役所に程近い明倫館跡のレポートを上げておられる方が多いですが、堀内地区の旧明倫館跡は写真に上げたように建物は残っていません。
そちらの明倫館跡と合わせてこちらも見ておくとディープな萩のマニアになれるかもしれません。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 近隣に駐車場がありません、口羽家跡の近くで徒歩でアクセス可能です。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- この場所を知る人が少ないのかほとんど無人に近いです。
- 見ごたえ:
- 2.0
- 石垣と石碑があるのみで特に見るものは有りません。
クチコミ投稿日:2015/02/27
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