山口県産の銅が奈良の大仏の原料になっていました
- 4.0
- 旅行時期:2014/10(約10年前)
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by 風待人さん(男性)
秋吉台 クチコミ:17件
2014年の10月末に長登銅山にお邪魔しました。
この銅山は奈良時代から盛んに銅の産出が行われていて、その後も鉛や鉄の産出があり枯渇する度に場所を変えながら細々とでは有りますが昭和35年まで採掘が行われていたとのことです。
因みに長登銅山の長登とは銅が奈良に登ったとのことから奈良登りが転化して長登になったと言われているそうです。
私(40代後半)と父母(70代)の3人でガイドさんの案内で比較的新しい明治・大正時代の製錬所後のツアーを回りました。
製錬所は山の中腹を削って作られており急な山道を登って行きました。
山道の途中にも製錬時に出るクズでからみと呼ばれる鉱物の塊があちこちに見られました。
また、馬車で運搬していたとのことで車止めの跡も残されていました。
製錬所跡にはレンガの石垣やからみ、坑道の入り口などが残されていて、タイルに書かれた当時の製錬所の様子から昔の様子を窺い知ることが出来ました。
このタイルに書かれた絵は地元の少年(当時)が書いたものでほとんど資料が残されていない花の山製錬所跡の唯一にして貴重な資料だということです。
花の山製錬所跡から山手の方に一旦登り、山神社(さんじんじゃ)に向かいました。
途中に鉱山の空気孔がある場所があります。
山神社には小ぶりな鐘がありツアー客は各々撞かせていただきました。
山神社の参道から下りましたがこちらはかなり急な階段でした。
今回は時間の都合と体力と相談して距離も短く、アップダウンが少ない近代のコースを選びましたが次回は古代の銅山跡を見てみたいと思っています。
- 施設の満足度
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4.0
- アクセス:
- 3.0
- 県道241号線を少し山あいに入ったところにあります。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- さほど人混みは有りません。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 往時を偲ばせる遺跡が数多く見られます。
クチコミ投稿日:2015/02/18
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