萩のキリシタン殉教者に思いを馳せる場所はひっそりと佇んでいました
- 3.0
- 旅行時期:2014/03(約12年前)
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by 風待人さん(男性)
萩 クチコミ:217件
が家は母方も父方も敬虔ではない、どちらかと言うと困ったときだけの神仏頼みのものぐさな仏教徒である。
しかし、キリスト教とは何かしら縁というか繋がりを感じる。
それはただ漠然としたものではあるのだが、何か引っかかるのである。
母親の実家は熊本県は天草である。
天草といえば天草四郎を思い浮かべる方も多いだろう。
現に、母親の実家から数十メートルの所に天草四郎乗船の地の碑があるし、隣町には天草・島原の乱の
舞台ともなった富岡城もある。
旅行で訪れた長崎で偶々取った宿の近所には時津港日本26聖人上陸の地があったりと何かしら絡むのである。
私が住む萩市は明治維新の原動力となった土地ですが、萩・津和野でのキリシタンへの弾圧は凄惨を極めたようです。
浦上四番崩れで萩に送られたキリシタン達は執拗な拷問を受け厳しい棄教を迫られ、信者を座らせた「拷問石」や当時22歳のうら若き女性をその石に座らせ、厳寒の中、食事も与えず1週間、朝から夜まで裸で座らせ、最後は雪の中で埋もれたしまうまで続けられた。
この女性は最後まで棄教せずに、生きて故郷に帰って修道女になったと言われるが、実に44人ものキリシタンが殉教している。
その亡骸は墓石も建てられずに一箇所にまとめて埋葬されたようだ。
それが、鶴江台の端にまとめて埋葬されていたようで後に掘り起こされて現在の萩キリシタン殉教者記念公園改葬されている。
萩キリシタン殉教者記念公園は萩市の堀内地区にひっそりと佇んでいる。
岩国屋敷牢の跡地に建てられた公園。
そこは萩の持つ負の歴史の悲しい物語を今に伝えるべく存在している。
元来、キリシタン禁止令も鎖国も日本を海外からの植民地化から守り、日本人が海外へ奴隷として不当に連れだされることを防止するための施策だったはず。
どこでどう間違って同じ日本人への弾圧や拷問へと転嫁していったのだろうか。
公園には水仙の花がひっそりと咲いていました。
その潔い白さに殉死した信者の真っ更な信仰心を思います。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 県道295号線を海沿いに少し入った場所にあります。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- ほとんど訪れる人はいないようです。
- 見ごたえ:
- 3.5
- 歴史を知る上では貴重な資料かと思います。
クチコミ投稿日:2014/12/17
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