萩の乱の首謀者として散った、維新の十傑の1人前原一誠旧宅を訪れてみました
- 2.5
- 旅行時期:2014/03(約12年前)
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by 風待人さん(男性)
萩 クチコミ:217件
前原一誠という名をご存じの方は余程の歴史ファンの方、それも幕末期にお詳しい方だと思います。
個人的には私は、幕末の松下村塾門下生の中で前原一誠が3本の指に入るほど好きです。
幕末期には、吉田松陰の門下生同士が、共通の敵である幕府を倒し、新しい明治の世を歩き始め、薩長からは明治政府を始め要職に人材を送り込みました。
前原一誠もそんな長州から中央に出た偉人の一人でした。
戊辰戦争で功績を上げ、明治維新後は越後府判事や参議、兵部大輔までも務めたが、同じ松下村塾で学んだ木戸孝允や山縣有朋と反目し、萩に下る。
そこで明治政府の政策に不満を抱いた不平士族や奥平謙輔らと萩の乱を起こすも、政府軍に鎮圧され最後は奥平とともに斬首されました。
士族の反乱は何も萩だけではなく、日を前後して熊本では神風連の乱、福岡では秋月の乱が起こっていて、最後は西郷隆盛が世に言う西南戦争を引き起こしたのはあまりにも有名です。
これらの首謀者は、若者や地元の士族に祭り上げられ、神輿に乗せられた感があります。
真面目で一本気で正義感の強い前原が木戸や山縣と反目して萩に帰郷したその隙につけ込んだ郷土の志士たちは前原が救世主に見えたのでしょう。
前原も勝てる戦いとは思ってはいなかったがそこは松蔭の門下生、「かくすればかくなるものと知りながら已むに已まれぬ大和魂」の心境だったのではないでしょうか。
死後には大正5年に贈従四位を与えられ、復権も果たしました。
そんな前原一誠旧宅の庭には、「明治九年萩の変殉国義挙の庭」と書かれた石碑があります。
旧宅は大通りから少し入った所にあり、看板の案内がありますが分かり難いかもしれません。
最寄り駅はJR東萩駅で、東萩駅を下車して目前の橋を渡り、進行方向左手にあるお洒落なプチホテル、クランベールの脇の小路を左に折れてめづき医院の裏通りを進むとあります。
普通の人家でひっそりと佇んでいます。
- 施設の満足度
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2.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 場所自体は奥まっていて分かり難いですが、JR東萩駅から徒歩5分位で行けます
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 裏通りなので人混みとは無縁です
- 見ごたえ:
- 2.5
- 普通の人家ですが、庭に石碑があります
クチコミ投稿日:2014/12/16
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