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高輪大木戸跡

名所・史跡

高輪大木戸跡 施設情報・クチコミに戻る

江戸時代に旧東海道から江戸への入り口の関所として設けられた、大木戸の跡地です、歴史を感じさせます

  • 3.5
  • 旅行時期:2014/11(約11年前)
かつのすけさん

by かつのすけさん(男性)

品川 クチコミ:25件

東京都港区の国道15号線(第一京浜)の歩道に、見落とすような小さな土塁があります。この土塁は大木戸と呼ばれるものです。
「大木戸」とは、 江戸時代に江戸の出入り口に設けた関門で、 甲州街道の四谷、東海道の高輪にありました。大木戸は文字のとおり大きい木戸のことで、いわば関所のようなものです。
高輪大木戸は、江戸の南の入口として、旧東海道の道幅約6間(約10m)の両側に石垣を築き、夜は門を閉めて通行できないようにしていました。治安の維持と交通規制が目的の大木戸でした。各町にある「町木戸」に対し、江戸全体を守る木戸であることから、「大木戸」と呼ばれ、旅人やその送迎客でにぎわいました。
高輪大木戸は東海道の関所としての役割がありまして、江戸の玄関口と言ってもよく、ここからが江戸と呼ばれていました。
江戸時代には、柵門があり開閉していましたが、後に廃止されました。浮世絵には石垣のみが描かれています。伊能忠敬が日本地図作成のために行った測量の起点がこの大木戸でした。明治初年に西側の石垣は取り払われ、現在は国道15号線(第一京浜国道)沿いに東側の石垣だけが残されています。
当初、現在の札の辻にあった高札場も天保年間にはここに移されました。江戸の6大高札場の一つでもあります。なお、6大高札場とは日本橋南詰、常盤橋外、浅草橋内、筋違橋、半蔵門外と高輪のことを意味します。
伊能忠敬が日本地図作成のために行った測量の起点がこの高輪大木戸です。明治の始めには西側の石垣は取り払われ、現在は国道15号線(第一京浜国道)沿いに東側の石垣だけが残されています。
ひっそりとたたずむようにその土塁の跡が残されていますが、江戸時代には、ここが江戸の入り口だったのかと、周囲の高層ビルに囲まれた様子は歴史の流れを感じさせます。


施設の満足度

3.5

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
4.0
京浜急行、泉岳寺駅から徒歩5分
人混みの少なさ:
3.5
目立たない場所です、人混みは気になりません
見ごたえ:
3.5
ここが、かっての江戸への関所跡かと偲ばせます

クチコミ投稿日:2014/11/30

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