わずかな面影を残す柳川城
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- 旅行時期:2013/07(約12年前)
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by ミスターDさん(男性)
柳川・大川 クチコミ:22件
柳川といえば、水郷・立花家の城下町というイメージですが、城址はほとんど面影がありません。
わずかに、柳城中学校内に天守閣の跡と、石垣を残すのみとなっています。
1558年から蒲池鑑盛公によって築城されて、1580年には肥前龍造寺軍の数か月の攻撃に耐えました。
1584年には、大友勢の筑後攻略にも落ちることはありませんでした。
秀吉の九州平定後に、立花宗茂公が入国しましたが、関ヶ原合戦後に改易。
その後、流浪の身となった宗茂公でしたが、1620年に再度当地に入国しました。
天守閣跡に立つと、高さ約35mという五層の大天守閣が偲ばれます。
- 施設の満足度
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2.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 2.0
クチコミ投稿日:2013/11/09
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