九郎判官源義経のこと
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- 旅行時期:2013/07(約12年前)
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by ねこにゃんさん(男性)
新大阪駅周辺・十三 クチコミ:17件
源平の戦いで知られる1185年(元暦2年・寿栄4年)の2月、九郎判官源義経が平家追討のため四国に渡ろうとして、大物(元尼崎の地名)の浦から軍船を出したことがありました。ところが折からの突風にほんろうされ、船は大和田の浦にうち寄せられたので、ここで再度軍容をたてなおしました。のときの由縁の松が義経の腰掛松とも手植の松とも呼ばれて伝えられていますが、当時の状況からして、前者が正しいのではないかと思われます。また、土地の庄屋が義経に鮒の昆布巻きを献上したところ、たいへん喜ばれたことから、フジタ(鮒子多)の姓を名乗るようになったとも言われているそうです。
- 施設の満足度
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3.5
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2013/07/23
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