長大な堤の跡が
- 3.5
- 旅行時期:2013/07(約13年前)
-
-
by ねこにゃんさん(男性)
茨木・摂津 クチコミ:137件
淀川流域は、昔から長雨や豪雨になると河川は氾濫し、人々は洪水から稲作を守る戦いをくりかえした。集落の境には「繩手」と呼ばれる道路を兼ねた小堤防があって輪中を形成していた。
慶長元年(1596)豊臣秀吉は、大規模な淀川堤防修築を諸国の大名に命じ「慶長堤」(輪道)を完成させる。当時「輪道」は水防施設であっただけでなく、淀川の渡し場で下船した人たちが西面・富田(高槻市)や大坂方面に往来する道として利用し、また有事には軍事的要害となり、経済的軍事的役割を果たした。
現在も地名として「鳥飼和道」が残っているが、この「和道」も同じ頃に現在の鳥飼大橋北詰から北上し、安威川の南を東進し、「慶長堤」へと続く長大な堤であった。これらの堤の一部は現在も道路として利用されている。
- 施設の満足度
-
3.5
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2013/07/19
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する