江口君堂は正式には「宝林山普賢院寂光寺」
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- 旅行時期:2013/06(約13年前)
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by ねこにゃんさん(男性)
新大阪駅周辺・十三 クチコミ:17件
江口君堂は正式には「宝林山普賢院寂光寺」と号し、江口の君が草創したと伝わる。お寺の由緒によると、江口の君は平資盛(たいらのとももり)の息女で妙といい、平家が没落後、乳母の郷里であった当地に寄寓することになったが、歳月を得て遊女に身を落とすに至った。
1167年(仁安2年)西行法師が天王寺に参拝の途中、この地を通行中、にわか雨に会い、江口の君に雨宿りの許しを願ったが断られた。法師が歌を詠んだところ、江口の君も詠み返し、ついに歌を楽しみながら一夜を明かしたといわれている(この問答歌は『新古今和歌集』にも所載されている)。後に、江口の君は光相比丘尼と名を改め、仏門に入り、1205年(元久2年)寂光寺(江口君堂)を創建したと伝えられている。
- 施設の満足度
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4.0
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2013/07/16
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