軍事・交通の要衝だった「佐太陣屋(さたじんや)跡」
- 3.5
- 旅行時期:2013/03(約13年前)
-
-
by さすらいおじさんさん(男性)
門真・守口 クチコミ:25件
来迎寺の南端の隅に石垣が残り、竹が植えられた中に「佐太陣屋(さたじんや)跡」の立札が立っている。陣屋(じんや)は江戸時代の幕藩体制における大名領(藩)の藩庁が置かれた屋敷、徳川幕府直轄領の代官の住居・役所が置かれた建物のことで一般的に3万石以下の城を持たない大名が陣屋を持ったとされる。
佐太地区は京都・大阪間の交通・軍事上の要地であったことから美濃国加納藩(3万2千石)の永井氏が貞享年間(1684−1688年)に渚(枚方市御殿山)からこの地に陣屋を移し摂津・河内の1万2千石を領有支配し約5千?の敷地に屋敷・蔵・牢屋敷等を次々と整備した。この陣屋は加納藩の大阪における蔵屋敷の役目を果たし年貢米の納入、加納藩の特産物である提灯もここにいったん集積して大阪の町人に売りさばき金融・物資の調達など加納藩の台所の役割を担っていたとのこと。大阪冬の陣の初戦、東軍西軍の最初の戦いはこの辺りで起こったものとされており幕府はこの地を軍事・交通の要衝であった。
- 施設の満足度
-
3.5
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2013/07/15
いいね!:2票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する