肥前浜宿を歩く
- 5.0
- 旅行時期:2010/08(約15年前)
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by Dr.Poohさん(男性)
太良・鹿島 クチコミ:1件
肥前浜宿には、二つの街並が共存します。
国道を挟んで海側には、見事な「くど造り」の茅葺屋根の街並が、山側には酒屋通りが広がります。肥前浜は、江戸から明治,大正時代に港町そして宿場町として栄えた町です。
海側に位置する浜庄津町浜金屋町は、浜川の河港の在郷町として栄え、南船津の街並としてくど造りの茅葺の町並みが残っています。
肥前浜宿の顔といえるが、山手の酒蔵通りです。
江戸時代には、長崎街道の脇街道である多良海道(多良往還)の宿場町として栄え、今も江戸後期~明治時代の白壁の街並がたくさん残っています。
また、旧中島政次家住宅のような、歴史の建物が通りにあふれています。
この旧中島政次家住宅も明治27年に建築された、木造2階建、入母屋造りの桟瓦葺で、主屋は国の登録有形文化財(建造物)です。裏手に行くと、見事なくど造りの旧乗田住宅も残されています。
見ごたえのある街並を堪能することが出来ます。
少し足を伸ばせば、近くには日本三大稲荷のひとつ、祐徳稲荷があります。
祐徳稲荷の参道は、猛暑の中で閑散としていましたが、境内にある朱塗りの建て物は、さすがの迫力です。本殿は、舞台造りで、とても高い山の中腹に位置しています。
鹿島藩主鍋島直朝夫人で、後陽成天皇の孫・左大臣花山院定好の娘の萬子媛が、朝廷の勅願所であった稲荷大神の御分霊を勧請したのに始まり、萬子媛の戒名である祐徳院がこの稲荷神社の名前となっています。
肥前鹿島には、素晴らしい街並が残されています。
肥前鹿島城を中心として発達した城下町でありながら、その周囲には街道の要としての役割も果たして発達した町並みが広がります。
今も、肥前鹿島城の赤門をくぐれば、寂れた城址と武家通りがひっそりと、その佇まいを見せてくれます。
この肥前鹿島で人気の割烹食堂が、「中央」さん。
チャンポンが人気メニューなのですが、有明海の独特な特産品を食べることもできます。
近くの商店や道の駅などでは、見たこともないしましまなクチゾコと並らんで、ムツゴロウの素焼きなどが売られています。この周辺では、ムツゴロウの素焼きを味付けした料理が食べられているようで、まさに有明の恵みをいただいている訳です。
目を引くのは、ムツゴロウ丼、素焼きに甘辛い醤油で味付けしたものが開いた形で、丼の上に3匹乗っかっています。恐る恐る口に運ぶと、微かな有明の泥臭さを感じられますが、独特の食感です。頭と尻尾の部分は、少し硬いところがありますが、そのほかの部分は柔らかい骨ごといただくことができます。何なのでしょう、このお味。。。食べてみないとわからない、正に説明がつかないお味です。有明の海の幸、御馳走様でした。
ちゃんぽんを食べるも良し、有明の特産品を食べるのも良し、一度の連をくぐってみてはいかがでしょうか。。。
中々、変化に富んだ楽しい街歩きを楽しめます。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 車かJRでアクセス
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 観光客は少ないです
- 見ごたえ:
- 5.0
- 二つの街並を楽しめます
クチコミ投稿日:2013/06/20
いいね!:3票
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