鉄道撮影お立ち台と徳川吉宗の関係、東浦和駅。
- 3.0
- 旅行時期:2012/03(約14年前)
-
-
by fmi(ふみ)さん(男性)
浦和 クチコミ:2件
時は18世紀初頭、年号は享保。紀州藩主徳川吉宗は江戸幕府八代目征夷大将軍となり、享保の改革が始まる。
などと江戸幕府とこの武蔵野線のありふれた駅とどんな関係があるのかというと、この東浦和駅のすぐ東側、さいたま市と川口市との境目までに広々とした田園がひろがり、その風景自身が、享保の改革ゆかりなのである。
それを知ったのは比較的最近。それまで、東浦和駅は、武蔵野線の著名な鉄道撮影地のひとつという認識しかなかった。
キーワードは「見沼代用水」だ。
駅を出て、線路沿いに東に5分くらい進む。坂を下りると武蔵野線は築堤を走る。その坂の麓に、整備された用水路がある。撮影ポイントはその先の広がった田園(大間木公園沿い)だが、その水路こそ、吉宗の時代につくられた、見沼代用水なのだ。そして、何気なく電車と撮っていた田園風景こそ、用水の完成によって享保の時代に開拓された新田だったのである。新田開発は享保の改革の主要事業。私たちは徳川吉宗ののこした風景を撮っていたのである。
武蔵野線東浦和駅は、この見沼代用水、見沼水田に関する名所や公園、緑地が近くにいくつもある。代表的なのが、南東にあり、用水から分水した「日本のパナマ運河」こと通船堀跡である。徒歩10分以内。武蔵野線からも見える、東川口‐東浦和間の田園(見沼たんぼ)は、埼玉県の策定した「見沼田圃の保全・活用・創造の基本方針」にのっとり、都市開発は制限され、将来にわたって里山自然として保全する計画。
列車しか見えてなかったが、そんな好スポットにも歴史があるのだ。そういえば、都内北区の飛鳥山、やはり桜を借景にした鉄道の名撮影地だが、あそこも、徳川吉宗ゆかりの地だ。
- 施設の満足度
-
3.0
- 施設の快適度:
- 3.0
- ごく普通の駅。
- バリアフリー:
- 4.0
- 掘割式の駅なので、ワンフロア昇降でホームに。
クチコミ投稿日:2012/12/14
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する