明治の深川親睦園の日本館があった清澄庭園、清澄白河散策の巻
- 5.0
- 旅行時期:2009/06(約17年前)
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by 一歩人さん(非公開)
木場・東陽町・清澄 クチコミ:20件
清澄庭園は、三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎が明治11年(1878年)に
荒廃していた大名下屋敷や豪族の館跡の土地3万坪を買い上げ、大規模な
造園工事を行なった庭園で、当時は社員の慰安や内外賓客を招き接待する
場として用いられていた。
大正12年(1923年)の関東大震災で西半分を中心に壊滅的被害を受け、
岩崎家が翌13年に破損の少なかった東半分を公園用地よして当時の
東京市に寄付した。と。
河田小三郎が設計監理した日本館の地は、現在は初代の大正記念館が
東京大空襲で全焼し、昭和26年(1951年)から3年かけて、全面改修したもの。
清澄庭園
江東区清澄3-3-9
3641-5892
地下鉄大江戸線・半蔵門線「清澄白河」(E14・Z11)駅下車 徒歩3分
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index033.html
- 施設の満足度
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5.0
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2009/06/12
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