2016/06/04 - 2016/06/04
39位(同エリア98件中)
みーみさん
豊臣秀吉が造らせた堤が大阪守口市に今も残っていると聞きつけ、行ってきました。
その名も文禄堤。
江戸時代にはそこを京街道として利用しました。
この堤の残る守口は守口宿だったところで、界隈には古い町並みも残っています。
- 旅行の満足度
- 5.0
PR
-
徳川秀忠が街道を整備した時に、一里ごとの目印に榎を植えたもので、その跡が小
さな公園として整備されていました。
この公園の前が京街道です。 -
この石碑に一里塚の説明が書いてあります。
-
一里塚の前の道路を道なりに進むと、国道一号線にぶち当たりますが、そこの信号
を渡ると、京街道の道がそのまま続いています。
要するに、今の国道一号線が昔の京街道を横切って,分断してしまっているわけで
す。
そのまま京街道を道なりに進むと盛泉寺が左手に見えてきます。 -
盛泉寺。
明治天皇が慶応4年、大坂に行幸する際、近くの難宗寺に宿泊されましたが、その
際、三種の神器の行在所となったところです。
とても立派なお寺でした。 -
大塩平八郎が近在の農民に陽明学を教えた白井家の隠居所のあったところです。
何年だか前に車で一号線を通った時には、古い屋敷があった記憶が・・。
残念ながら、今はマクドナルドになって、石碑と説明板、瓦の一部だけが残ってい
ます。
マクドも古い屋敷を壊さないで、その古い家を店舗にしたら、人気が出たろうに
なあと思いますが・・。それぐらいの斬新なアイデアがあってもいいと思います。 -
難宗寺です。
明治天皇が宿泊されたお寺だけあって、門構えから何から、堂々としたお寺です。 -
櫓のようなものあって、塀に四方を囲まれ、ちょっとした要塞のよう。
-
お寺の前に「御行在所」「すぐ守口宿」などの石碑が建っています。
難宗寺のすぐ近くに、守口宿の本陣があったそうですが、今は何もありません。 -
ここから文禄堤が始まります。
「堤」なので、必ず、階段か坂を上ることになります。 -
写真ではわかりにくいですが、坂になっています。
-
イチオシ
虫籠窓の古い家も健在です。
-
古い家をカフェとして利用。
-
堤と下をつなぐ階段や坂があちこちにあります。
-
イチオシ
こちらはちょと風情がある階段ですね。
-
京街道であったころを偲ばせる町並み
-
こんな看板建築もありました。
-
最近建てられた家も、景観に配慮しているようです。(これはゴミ捨て場です)
-
堤であることが実感できる場所です。文禄堤の京街道の下をくぐる道路。
-
イチオシ
道路の横の壁を見れば、堤の高さがわかります。
-
東海道は五十三次で京都が終点となっていますが、実は大坂まで伏見宿、淀宿、枚
方宿と、街道は続き、そしてこの守口宿は五十七番目の宿場町でした。 -
この文禄堤のある場所は京阪電車や地下鉄の守口駅にも近く、国道一号線がすぐ横を走る賑やかなところですが、エアポケットのように昔の街道筋がそのままの形で残っているのには驚きました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
21