湯の川温泉旅行記(ブログ) 一覧に戻る
ご覧いただきありがとうございます。<br /><br />♪遥々きたぜ!はこだて〜♪<br /><br />社員旅行で函館へ行きました。<br />札幌は数回行ってますが、函館は初めてです。<br />社員旅行ですので、午前中は仕事をしてから<br />午後に旅立ちますので、毎度ではありますが<br />滞在時間が短いです。<br />

函館・湯の川温泉の社員旅行2005

51いいね!

2005/11/29 - 2005/11/30

40位(同エリア322件中)

4

63

BTS

BTSさん

ご覧いただきありがとうございます。

♪遥々きたぜ!はこだて〜♪

社員旅行で函館へ行きました。
札幌は数回行ってますが、函館は初めてです。
社員旅行ですので、午前中は仕事をしてから
午後に旅立ちますので、毎度ではありますが
滞在時間が短いです。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.5
グルメ
4.5
交通
4.5
同行者
社員・団体旅行
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
JALグループ 私鉄
旅行の手配内容
団体旅行

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  • 羽田から函館へは飛行機で移動です。社員旅行(35名)ですので、羽田空港で出発式と称して乾杯しベロ(酔っぱらい)、機内でベロベロです。<br /><br />函館空港からはホテルのバスで向かいます。<br /><br />本日お世話になるのは、湯の川温泉「湯元・啄木亭」です。<br /><br />■啄木亭HP<br />http://www.takubokutei.com/

    羽田から函館へは飛行機で移動です。社員旅行(35名)ですので、羽田空港で出発式と称して乾杯しベロ(酔っぱらい)、機内でベロベロです。

    函館空港からはホテルのバスで向かいます。

    本日お世話になるのは、湯の川温泉「湯元・啄木亭」です。

    ■啄木亭HP
    http://www.takubokutei.com/

  • 露店風呂は、屋上にあります。

    露店風呂は、屋上にあります。

  • ホテルの庭園です。<br /><br />木々が赤く染まっています。

    ホテルの庭園です。

    木々が赤く染まっています。

  • このホテルは屋上に露天風呂があり、函館空港に離発着する航空機や夜空を観ながら入浴ができます。<br /><br />宴が始まりました〜<br />料理は魚介類がメインです。

    このホテルは屋上に露天風呂があり、函館空港に離発着する航空機や夜空を観ながら入浴ができます。

    宴が始まりました〜
    料理は魚介類がメインです。

  • 船盛りです。

    船盛りです。

  • 数多くの魚貝類が船盛りに…どれから箸を付けて良いのか迷います。

    数多くの魚貝類が船盛りに…どれから箸を付けて良いのか迷います。

  • ウニは、ド〜ンと箱ごとです。

    ウニは、ド〜ンと箱ごとです。

  • 陶板焼きです。<br /><br />トウモロコシと北海道の形をしたハンペン(?)です。<br /><br />毎度毎度、社員旅行ではコ●●ニ●ンを呼び、ドンちゃん騒ぎでした。<br />二次会は、部屋で飲み直しで、●ンパ●オ●も一緒です。<br />24時頃にお開きとなりました。(他の宿泊者に迷惑にならないようフロアーは貸切です)<br /><br />明朝は、早起きして函館市場へ行く予定です。

    陶板焼きです。

    トウモロコシと北海道の形をしたハンペン(?)です。

    毎度毎度、社員旅行ではコ●●ニ●ンを呼び、ドンちゃん騒ぎでした。
    二次会は、部屋で飲み直しで、●ンパ●オ●も一緒です。
    24時頃にお開きとなりました。(他の宿泊者に迷惑にならないようフロアーは貸切です)

    明朝は、早起きして函館市場へ行く予定です。

  • おはようございます。<br /><br />只今の時間、午前5時前です。<br /><br />まだ、酔いが抜けてなくふらついている状態です。<br />それでも何とか起きて、タクシーで函館市場へ向かいます。<br /><br />

    おはようございます。

    只今の時間、午前5時前です。

    まだ、酔いが抜けてなくふらついている状態です。
    それでも何とか起きて、タクシーで函館市場へ向かいます。

  • 目的は、函館市場の朝市見学とウニ・イクラ丼を食べることです。<br /><br />まずは、腹ごしらえのために「どんぶり横丁市場」を歩きました。<br /><br />■どんぶり横丁市場HP<br />http://donburiyokocho.com/

    目的は、函館市場の朝市見学とウニ・イクラ丼を食べることです。

    まずは、腹ごしらえのために「どんぶり横丁市場」を歩きました。

    ■どんぶり横丁市場HP
    http://donburiyokocho.com/

  • 酔っぱらっていたので、どのお店に入ったかは分かりませんが、ウニ・イクラ丼を頂きました。(2500円位したと思います)

    酔っぱらっていたので、どのお店に入ったかは分かりませんが、ウニ・イクラ丼を頂きました。(2500円位したと思います)

  • ■函館朝市<br /><br />戦後の闇市から始まった、日本で最も古い部類の市場。かつては立ち売りを路上で設営して、露店の形態で営業していた。昭和31年頃現在の場所に移転。魚介類や野菜、青果、乾物から駄菓子や衣料品まで、400余軒もの店舗がひしめきあっていて、朝5時から威勢のいいかけ声が飛び交い、その熱気にのみこまれそう。近年は昔ながらの風情を残しながら改修も行われていて、どんぶり横丁市場なども完成。いつも大勢の人で溢れて、変わらない人気だ。

    ■函館朝市

    戦後の闇市から始まった、日本で最も古い部類の市場。かつては立ち売りを路上で設営して、露店の形態で営業していた。昭和31年頃現在の場所に移転。魚介類や野菜、青果、乾物から駄菓子や衣料品まで、400余軒もの店舗がひしめきあっていて、朝5時から威勢のいいかけ声が飛び交い、その熱気にのみこまれそう。近年は昔ながらの風情を残しながら改修も行われていて、どんぶり横丁市場なども完成。いつも大勢の人で溢れて、変わらない人気だ。

  • 朝一で、実家と焼き鳥屋にタラバガニを送りました。(一パイ:12,000円)

    朝一で、実家と焼き鳥屋にタラバガニを送りました。(一パイ:12,000円)

  • JR函館駅です。

    JR函館駅です。

  • 8時前に朝一の見学が終り市電に乗ってホテルへ戻ります。<br /><br />市電は通学ラッシュで車内は混雑していました。

    8時前に朝一の見学が終り市電に乗ってホテルへ戻ります。

    市電は通学ラッシュで車内は混雑していました。

  • たまたま乗った市電はクリスマス仕様で車内はクリスマスの飾りがしてありました。多分ですが夜は動くイルミネーションになるかと思われます。<br /><br />■函館市電<br />http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/bunya/hakodateshiden/

    たまたま乗った市電はクリスマス仕様で車内はクリスマスの飾りがしてありました。多分ですが夜は動くイルミネーションになるかと思われます。

    ■函館市電
    http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/bunya/hakodateshiden/

  • ホテルの朝食は食べずに部屋から周辺を撮りました。<br /><br />函館競馬場です。

    ホテルの朝食は食べずに部屋から周辺を撮りました。

    函館競馬場です。

  • 函館山です。

    函館山です。

  • 津軽海峡です。

    津軽海峡です。

  • 帰りの飛行機の時間までは自由行動なので、市電の乗り鉄をしながら観光巡りをしました。

    帰りの飛行機の時間までは自由行動なので、市電の乗り鉄をしながら観光巡りをしました。

  • まずは最初に立ち寄ったのが函館市電の車庫がある駒場車庫前で降りました。<br />

    まずは最初に立ち寄ったのが函館市電の車庫がある駒場車庫前で降りました。

  • 車庫から出庫し下り線(湯の川方面)に転線しています。このあと函館駅方面から来た電車のお客が乗り換えて発車していきました。

    車庫から出庫し下り線(湯の川方面)に転線しています。このあと函館駅方面から来た電車のお客が乗り換えて発車していきました。

  • 線路のポイントは手動式で長い棒で転換させています。<br /><br />車庫の撮影が終り、市電に乗り函館山へ向かいます。

    線路のポイントは手動式で長い棒で転換させています。

    車庫の撮影が終り、市電に乗り函館山へ向かいます。

  • 十字街の停留所に着きました。この停留所で函館どつく前方面と谷地頭(やちがしら)方面に分かれます。<br /><br />お婆ちゃんと市電のツーショット!

    十字街の停留所に着きました。この停留所で函館どつく前方面と谷地頭(やちがしら)方面に分かれます。

    お婆ちゃんと市電のツーショット!

  • 十字街停留所から徒歩10分ほどで函館山ロープウェイの駅に着きました。上り坂なので良い運動になりました。<br /><br />■函館山ロープウェイHP<br />http://www.334.co.jp/jpn/<br /><br />■函館山ロープウェイ(ウィキペディア)<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BD%E9%A4%A8%E5%B1%B1%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%97%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4

    十字街停留所から徒歩10分ほどで函館山ロープウェイの駅に着きました。上り坂なので良い運動になりました。

    ■函館山ロープウェイHP
    http://www.334.co.jp/jpn/

    ■函館山ロープウェイ(ウィキペディア)
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BD%E9%A4%A8%E5%B1%B1%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%97%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4

  • 3分ほどで函館山山頂に着きました。<br /><br />ここ数日の函館は、爆弾低気圧のため風が強くメチャ寒かったです。

    3分ほどで函館山山頂に着きました。

    ここ数日の函館は、爆弾低気圧のため風が強くメチャ寒かったです。

  • 100万ドルの夜景が綺麗なんでしょうけれども、昼間の風景も良かったです。(それにしても寒いです)

    100万ドルの夜景が綺麗なんでしょうけれども、昼間の風景も良かったです。(それにしても寒いです)

  • 寒さに耐えきれず下山します。

    寒さに耐えきれず下山します。

  • ロープウェイを降り日暮し通りを歩きます。<br /><br />途中で民家の柱部分に函館の建物のミニチュアが飾ってありました。

    ロープウェイを降り日暮し通りを歩きます。

    途中で民家の柱部分に函館の建物のミニチュアが飾ってありました。

  • 大三坂(だいさんざか)にあるカトリック元町教会です。<br /><br />■カトリック元町教会<br /><br />パリ外国宣教会司祭メルメ・カションが安政6年(1859年)に設けた仮聖堂、あるいは慶応3年(1867年)に来函したフランス人司祭のムニクーとアンブルステルが設けた仮聖堂を起源として、フランス人司祭のマレンが明治10年(1877年)に木造の初代聖堂を建立したとされる。 初代聖堂は明治40年(1907年)に火災で焼失したが、明治43年(1910年)には煉瓦造の二代目聖堂が竣工した。 この二代目聖堂も大正10年(1921年)に火災で焼失してしまう。しかし焼け残った煉瓦の外壁を使用して大正13年(1924年)に、高さ百尺(33メートル)の尖塔を持つ鐘楼があるゴシック様式の聖堂として再建され、現在に至っている。 大正13年(1924年)6月、聖霊降臨の主日に教皇使節ジュアルジュにより献堂ミサが執り行われた。 堂内の中央祭壇や副祭壇、聖画等は、ローマ教皇ベネディクト15世から贈られたものである。(ウィキペディアより)

    大三坂(だいさんざか)にあるカトリック元町教会です。

    ■カトリック元町教会

    パリ外国宣教会司祭メルメ・カションが安政6年(1859年)に設けた仮聖堂、あるいは慶応3年(1867年)に来函したフランス人司祭のムニクーとアンブルステルが設けた仮聖堂を起源として、フランス人司祭のマレンが明治10年(1877年)に木造の初代聖堂を建立したとされる。 初代聖堂は明治40年(1907年)に火災で焼失したが、明治43年(1910年)には煉瓦造の二代目聖堂が竣工した。 この二代目聖堂も大正10年(1921年)に火災で焼失してしまう。しかし焼け残った煉瓦の外壁を使用して大正13年(1924年)に、高さ百尺(33メートル)の尖塔を持つ鐘楼があるゴシック様式の聖堂として再建され、現在に至っている。 大正13年(1924年)6月、聖霊降臨の主日に教皇使節ジュアルジュにより献堂ミサが執り行われた。 堂内の中央祭壇や副祭壇、聖画等は、ローマ教皇ベネディクト15世から贈られたものである。(ウィキペディアより)

  • ■函館ハリストス教会<br /><br />1859年(安政5年)にロシア領事のゴシケヴィッチが領事館内に聖堂を建てたのが源流。領事館内に聖堂があった頃には、アラスカの聖インノケンティが訪れて、主教祈祷による聖体礼儀を行った事がある(日本における主教祈祷の聖体礼儀はこれが初めてのものである)。<br /><br />初代司祭はすぐに帰国したが、1861年に来日した修道司祭(役職当時)の亜使徒聖ニコライ(ニコライ・カサートキン)によって3人が洗礼を受け、日本正教会の原型となった。函館ハリストス正教会は日本正教会の最初の聖堂を持つ教会であり、日本における正教会伝道の始まりの場所でもある。一時はキリスト教の禁制もあったが、明治に入り禁制が解けてから順調に信者を集め始めた。1873年(明治6年)には函館ハリストス正教会の境内に、正教小学校(1898年(明治31年)閉鎖)、1884年(明治17年)には女学校(1893年(明治26年)閉鎖)も設立された。<br /><br />日本の正教会は拠点はその後、ニコライにより東京の神田に移され、以後当地に建設されたニコライ堂(東京復活大聖堂教会)を中心に宣教を拡大させていくが、その後も函館ハリストス正教会は日本正教会でも長い伝統を誇る教会として存在し続けている。<br /><br />1907年(明治40年)に函館大火によって聖堂は全焼の憂き目を見るが、1916年(大正5年)に再建された。(ウィキペディアより)<br />

    ■函館ハリストス教会

    1859年(安政5年)にロシア領事のゴシケヴィッチが領事館内に聖堂を建てたのが源流。領事館内に聖堂があった頃には、アラスカの聖インノケンティが訪れて、主教祈祷による聖体礼儀を行った事がある(日本における主教祈祷の聖体礼儀はこれが初めてのものである)。

    初代司祭はすぐに帰国したが、1861年に来日した修道司祭(役職当時)の亜使徒聖ニコライ(ニコライ・カサートキン)によって3人が洗礼を受け、日本正教会の原型となった。函館ハリストス正教会は日本正教会の最初の聖堂を持つ教会であり、日本における正教会伝道の始まりの場所でもある。一時はキリスト教の禁制もあったが、明治に入り禁制が解けてから順調に信者を集め始めた。1873年(明治6年)には函館ハリストス正教会の境内に、正教小学校(1898年(明治31年)閉鎖)、1884年(明治17年)には女学校(1893年(明治26年)閉鎖)も設立された。

    日本の正教会は拠点はその後、ニコライにより東京の神田に移され、以後当地に建設されたニコライ堂(東京復活大聖堂教会)を中心に宣教を拡大させていくが、その後も函館ハリストス正教会は日本正教会でも長い伝統を誇る教会として存在し続けている。

    1907年(明治40年)に函館大火によって聖堂は全焼の憂き目を見るが、1916年(大正5年)に再建された。(ウィキペディアより)

  • 八幡坂から函館港を眺めます。<br /><br />■八幡坂<br /><br />函館山からの夜景に並んでビュースポットとして紹介されることが多い坂道。かつてこの坂を登り切ったところに函館八幡宮があったとされ、名の由来となっている。 <br /><br />赤レンガ倉庫が立ち並ぶウォーターフロント沿いを道なりに進むと、函館山へ導いてくれるのが「八幡坂」。両歩道脇には、坂上まで手すり付きの階段が整備されています。突き当たりにあるのは、演歌界の大御所・北島三郎の出身校として知られる函館西高校。その真下からの眺めが絶景で、かつて、CMで老夫婦が手をつなぎながらスキップするシーンのロケ地として評判となり、「チャーミーグリーンの坂」と呼ばれたことも。また、記念館として旧桟橋に係留展示されている青函連絡船・摩周丸を正面に望める、函館で1、2を争う人気の高い坂です。<br /><br />訪れる季節、時間によって異なる情景をカメラのファインダー越しに享受することになるでしょう。坂名は、河野政通の館跡地(現在の元町公園付近)から移設された函館八幡宮があったことに由来すると伝えられています。大火の被害を受けて1880(明治13)年に現在の谷地頭町に移ったものの、その後も坂の名称は残されました。<br /><br />今は海に向かって真っすぐの美しい道ですが、かつては湾曲していたそうです。はこぶら:函館市公式観光情報より)<br /><br />

    八幡坂から函館港を眺めます。

    ■八幡坂

    函館山からの夜景に並んでビュースポットとして紹介されることが多い坂道。かつてこの坂を登り切ったところに函館八幡宮があったとされ、名の由来となっている。

    赤レンガ倉庫が立ち並ぶウォーターフロント沿いを道なりに進むと、函館山へ導いてくれるのが「八幡坂」。両歩道脇には、坂上まで手すり付きの階段が整備されています。突き当たりにあるのは、演歌界の大御所・北島三郎の出身校として知られる函館西高校。その真下からの眺めが絶景で、かつて、CMで老夫婦が手をつなぎながらスキップするシーンのロケ地として評判となり、「チャーミーグリーンの坂」と呼ばれたことも。また、記念館として旧桟橋に係留展示されている青函連絡船・摩周丸を正面に望める、函館で1、2を争う人気の高い坂です。

    訪れる季節、時間によって異なる情景をカメラのファインダー越しに享受することになるでしょう。坂名は、河野政通の館跡地(現在の元町公園付近)から移設された函館八幡宮があったことに由来すると伝えられています。大火の被害を受けて1880(明治13)年に現在の谷地頭町に移ったものの、その後も坂の名称は残されました。

    今は海に向かって真っすぐの美しい道ですが、かつては湾曲していたそうです。はこぶら:函館市公式観光情報より)

  • ■旧函館区公会堂<br /><br />明治40年(1907年)の大火により、町会所が焼失し、新たな集会所の建設の計画が持ち上がった際、初代相馬哲平が50,000円の寄付を申し出て、明治43年(1910年)工費58,000円余りで完成した。新たな町会所の他、商業会議所事務所、ホテル営業も構想にあったが実現しなかった。<br /><br />北海道特有の木造2階建ての擬洋風建築、アメリカのコロニアル風洋館で札幌の豊平館と並んで、明治期の洋風建築として注目される。左右対称のポーチを持ち、回廊で結ぶ中央にベランダを配し、左右のポーチにもベランダを持つ。屋根は桟瓦葺きで屋根窓を持つ。ポーチの袖妻には唐草模様を配し、玄関や回廊を支えるコリント式の円柱の柱頭に洋風の装飾が配され、当時の日本人職人の洋風建築技法の習得意欲がうかがわれる。本館の延べ床面積は1,761.308平方メートル(533.73坪)、付属棟は138.815平方メートル(42.06坪)である。<br /><br />工事を請け負ったのは村木甚三郎。<br /><br />明治44年(1911年)、大正天皇が皇太子時代に来函、宿舎となった。また、大正11年(1922年)昭和天皇が摂政宮のときにも休憩している。昭和55年(1980年)から解体修理復元が行われ、昭和57年(1982年)当初の姿に戻った。昭和49年(1974年)に国の重要文化財に指定された。<br />

    ■旧函館区公会堂

    明治40年(1907年)の大火により、町会所が焼失し、新たな集会所の建設の計画が持ち上がった際、初代相馬哲平が50,000円の寄付を申し出て、明治43年(1910年)工費58,000円余りで完成した。新たな町会所の他、商業会議所事務所、ホテル営業も構想にあったが実現しなかった。

    北海道特有の木造2階建ての擬洋風建築、アメリカのコロニアル風洋館で札幌の豊平館と並んで、明治期の洋風建築として注目される。左右対称のポーチを持ち、回廊で結ぶ中央にベランダを配し、左右のポーチにもベランダを持つ。屋根は桟瓦葺きで屋根窓を持つ。ポーチの袖妻には唐草模様を配し、玄関や回廊を支えるコリント式の円柱の柱頭に洋風の装飾が配され、当時の日本人職人の洋風建築技法の習得意欲がうかがわれる。本館の延べ床面積は1,761.308平方メートル(533.73坪)、付属棟は138.815平方メートル(42.06坪)である。

    工事を請け負ったのは村木甚三郎。

    明治44年(1911年)、大正天皇が皇太子時代に来函、宿舎となった。また、大正11年(1922年)昭和天皇が摂政宮のときにも休憩している。昭和55年(1980年)から解体修理復元が行われ、昭和57年(1982年)当初の姿に戻った。昭和49年(1974年)に国の重要文化財に指定された。

  • 猫が日向ぼっこしていましたので一枚撮りました。(睨まれました〜)

    猫が日向ぼっこしていましたので一枚撮りました。(睨まれました〜)

  • ■基坂(もといざか)<br /><br />明治時代に里数を測る基点となる「里程元標」が立ったことからこの名前が付いた。坂を登り切った所には元町公園や旧函館区公会堂など有数の観光スポットである。 <br /><br />かつては行政の拠点として、坂上に役所が置かれていました。松前藩時代の亀田番所、幕府直轄時の箱館奉行所、明治以降は開拓使、その後は1950(昭和25)年まで渡島支庁、と時代の経過とともにその名称を変えてきたのです。そのため、住民の間では「お役所坂」「御殿坂」の名で親しまれていました。正式名は、里数を測る上で「基点」となる元標が坂下に建てられていたのに由来するそう。<br /><br />坂の始まる手前、海上自衛隊から電車通りにかけてグリーンベルトが整備されています。明治天皇御上陸記念碑が高くそびえ、通りの角にはモスグリーン色をした相馬株式会社の社屋。山の方に目を向けると木々に囲まれるように、ブルーグレーとイエローの鮮やかな外観をした旧函館区公会堂が大きな存在感を示しています。たまに坂下を振り返りながらゆっくりと歩を進めていき、左手の旧イギリス領事館、右手のペリー提督来航記念碑を越えると、坂の頂上である元町公園に到着。眼下に広がる市街地や港内を見渡すも良し、ベンチに腰掛けるも良し。<br /><br />また、園内の旧北海道庁函館支庁庁舎1階にある観光案内所に立ち寄り、各観光施設の情報を収集するのもおすすめです。行政の中心だった地は時を経て、函館有数の観光拠点に様変わり。名所巡りの合間を利用して、そんな歴史の詰まった元町公園を散策すると、随所にその片鱗を見せてくれます。 (はこぶら:函館市公式観光情報より)<br />

    ■基坂(もといざか)

    明治時代に里数を測る基点となる「里程元標」が立ったことからこの名前が付いた。坂を登り切った所には元町公園や旧函館区公会堂など有数の観光スポットである。

    かつては行政の拠点として、坂上に役所が置かれていました。松前藩時代の亀田番所、幕府直轄時の箱館奉行所、明治以降は開拓使、その後は1950(昭和25)年まで渡島支庁、と時代の経過とともにその名称を変えてきたのです。そのため、住民の間では「お役所坂」「御殿坂」の名で親しまれていました。正式名は、里数を測る上で「基点」となる元標が坂下に建てられていたのに由来するそう。

    坂の始まる手前、海上自衛隊から電車通りにかけてグリーンベルトが整備されています。明治天皇御上陸記念碑が高くそびえ、通りの角にはモスグリーン色をした相馬株式会社の社屋。山の方に目を向けると木々に囲まれるように、ブルーグレーとイエローの鮮やかな外観をした旧函館区公会堂が大きな存在感を示しています。たまに坂下を振り返りながらゆっくりと歩を進めていき、左手の旧イギリス領事館、右手のペリー提督来航記念碑を越えると、坂の頂上である元町公園に到着。眼下に広がる市街地や港内を見渡すも良し、ベンチに腰掛けるも良し。

    また、園内の旧北海道庁函館支庁庁舎1階にある観光案内所に立ち寄り、各観光施設の情報を収集するのもおすすめです。行政の中心だった地は時を経て、函館有数の観光拠点に様変わり。名所巡りの合間を利用して、そんな歴史の詰まった元町公園を散策すると、随所にその片鱗を見せてくれます。 (はこぶら:函館市公式観光情報より)

  • ■金森赤レンガ倉庫<br /><br />金森赤レンガ倉庫(かねもりあかれんがそうこ、英文表記:Kanemori Red Brick Warehouse)は、北海道函館市にある赤レンガ倉庫群の名称[1]。金森商船株式会社が管理・運営を行う[1]。金森商船は、大分県出身の実業家、初代渡邉熊四郎が明治時代に開業した「金森洋物店」が起源である[1]。現在はショッピングモールやビアホール・レストランが入居する、函館の観光名所となっている。この地域一帯は重要伝統的建造物群保存地区、街並みは北海道遺産に選定されている。(ウィキペディアより)<br /><br />■金森赤レンガ倉庫HP<br />http://www.hakodate-kanemori.com/

    ■金森赤レンガ倉庫

    金森赤レンガ倉庫(かねもりあかれんがそうこ、英文表記:Kanemori Red Brick Warehouse)は、北海道函館市にある赤レンガ倉庫群の名称[1]。金森商船株式会社が管理・運営を行う[1]。金森商船は、大分県出身の実業家、初代渡邉熊四郎が明治時代に開業した「金森洋物店」が起源である[1]。現在はショッピングモールやビアホール・レストランが入居する、函館の観光名所となっている。この地域一帯は重要伝統的建造物群保存地区、街並みは北海道遺産に選定されている。(ウィキペディアより)

    ■金森赤レンガ倉庫HP
    http://www.hakodate-kanemori.com/

  • クリスマスが近いのでサンタさんが煉瓦の壁をよじ登っています。

    クリスマスが近いのでサンタさんが煉瓦の壁をよじ登っています。

  • クリスマスツリーが船上に飾られています。

    クリスマスツリーが船上に飾られています。

  • ■函館どつく(1984年にドック⇒どつくに社名変更)<br /><br />旧函館ドック跡地の大型クレーン2基は、1975年に当時最大の30万トンタンカー建造用クレーンとして建造されたが、直後の造船不況により4年後には売却された。その後映画の撮影場所などにも利用され、長らく函館港のシンボルとして親しまれてきたが、老朽化が激しくなっており1993年の北海道南西沖地震で破損が見られ、その調査の際に倒壊の危険性と判断、2006年1月に解体方針が決定された。保存運動も起こったものの、2009年6月18日より撤去解体され、鉄くずとして売却された。(ウィキペディアより)

    ■函館どつく(1984年にドック⇒どつくに社名変更)

    旧函館ドック跡地の大型クレーン2基は、1975年に当時最大の30万トンタンカー建造用クレーンとして建造されたが、直後の造船不況により4年後には売却された。その後映画の撮影場所などにも利用され、長らく函館港のシンボルとして親しまれてきたが、老朽化が激しくなっており1993年の北海道南西沖地震で破損が見られ、その調査の際に倒壊の危険性と判断、2006年1月に解体方針が決定された。保存運動も起こったものの、2009年6月18日より撤去解体され、鉄くずとして売却された。(ウィキペディアより)

  • 青函連絡船「摩周丸」が係留されている近くの広場に同じ方角に向いている鳥たちです。<br /><br />風がメチャ強く立っているのが辛いです。

    青函連絡船「摩周丸」が係留されている近くの広場に同じ方角に向いている鳥たちです。

    風がメチャ強く立っているのが辛いです。

  • 函館と言えば「函館ラーメン」<br />函館の〆にラーメン屋に寄りました。<br />お邪魔したのは、函館駅から徒歩5分ほどにある『星龍軒』さんです。<br /><br />■星龍軒HP<br />http://www.seiryuken.com/<br /><br />■星龍軒(食べログ)<br />http://tabelog.com/hokkaido/A0105/A010501/1000056/

    函館と言えば「函館ラーメン」
    函館の〆にラーメン屋に寄りました。
    お邪魔したのは、函館駅から徒歩5分ほどにある『星龍軒』さんです。

    ■星龍軒HP
    http://www.seiryuken.com/

    ■星龍軒(食べログ)
    http://tabelog.com/hokkaido/A0105/A010501/1000056/

  • 14時(午後2時)頃でしたが、店内は観光客や地元の方で半々でした。

    14時(午後2時)頃でしたが、店内は観光客や地元の方で半々でした。

  • 冷え切った身体をラーメンで温めました。<br /><br />スープは飲むのが勿体ないくらいに澄みきっていて、塩のさっぱり感と柔らかいチャーシューがまいう〜でした。

    冷え切った身体をラーメンで温めました。

    スープは飲むのが勿体ないくらいに澄みきっていて、塩のさっぱり感と柔らかいチャーシューがまいう〜でした。

  • 餃子も注文しました。美味しかったです。

    餃子も注文しました。美味しかったです。

  • 食事が終り函館駅前から市電に乗り終点の湯の川で路線バスに乗り換え函館空港へ向かいました。

    食事が終り函館駅前から市電に乗り終点の湯の川で路線バスに乗り換え函館空港へ向かいました。

  • 初めての函館でしたが、短い時間でも函館を満喫しました。次に行くときは6月頃が良いかもしれませんね。<br /><br />空港で皆と合流し飛行機に乗り羽田へ向かいました。<br />お疲れさまでした。<br /><br />ご覧いただきありがとうございました。

    初めての函館でしたが、短い時間でも函館を満喫しました。次に行くときは6月頃が良いかもしれませんね。

    空港で皆と合流し飛行機に乗り羽田へ向かいました。
    お疲れさまでした。

    ご覧いただきありがとうございました。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • エヌエヌさん 2018/10/06 19:59:35
    こんばんは
    BTS様
    口コミいいねありがとうございます。

    しかしながら・・・
    啄木亭と星龍軒がニアミス(私は去年ですが・・・)
    で驚いてしまいました。
    星龍軒は残念ながら閉店してしまいましたが・・・

    それにしても半日で効率的に回られましたね(#^.^#)

    BTS

    BTSさん からの返信 2018/10/07 08:31:52
    RE: こんばんは

    エヌエヌさまへ

    おはようございます。
    たくさんの「いいね」を頂戴しお礼を申し上げます。

    エヌエヌさまのプロフィール写真がリニューアルしましたね。
    ネコちゃんがお好きなようですね。
    私もネコ派です。(小さい時に飼い犬に膝を噛まれてから犬はNGです)

    エヌエヌさまの「秋の函館の旅」を拝見させていただきました。
    9月の函館は良いですね〜まさに啄木亭と星龍軒はニアミスですね。(笑)
    私が行ったときは11月の下旬で、津軽海峡名物の爆弾低気圧が発生し、台風並みの強い風で立っているのが辛いくらいです。プラス気温も低く寒かったです。そんな季節ですが身も心も温めてくれたのが星龍軒のラーメンでした。既に10年以上の月日が経っていますが、未だにあの味は覚えています。他の方の旅行記で星龍軒が閉店したのを知りショックでした。2年前に函館へ旅をしたときに寄っておけば良かったと後悔しています。

    BTS
  • ほわほわわかな。さん 2018/05/26 21:11:00
    古い日記は好きです。
    こんにちわ!いつもお世話におります。わかなです。
    『函館・湯の川温泉の社員旅行2005』を拝見させていただきました。
    今となっては昔の日記ですが、古い日記を読ませていただくのは好きなので、今回もこうして・・・(*´ω`*)

    夜の雪の舞い踊る時を切り取られた写真、すごくいいなと思いました。前に札幌の旅行記を拝見させていただいて、雪景色がいいなぁと思ったのですが、今回もまた情感に溢れていて、ステキな絵だと思いました。どうやら私、雪に弱いようです(笑)

    うに&いくら丼。やっぱり函館でもお高いのですね。これはいつの話かうろ覚えなのですけども。ある旅人が小さな町(函館ではなかったと思います)の浜辺の食堂に立ち寄ったそうです。その際、メニューの中にうに丼を見つけて注文したところ、『ちょっと待っててくれる?今から獲ってくるから』と言って、浜茶屋の裏の海に潜って、ウニを捕って来てくれて、どんぶりを作ってくれたそうです。取れたてのウニがどんぶりいっぱい入って、1000円だったそうです。私はウニが苦手なので無理ですけども、こういう話っていいなぁと思いました。ふと思い出しましたので、徒然までに・・・(*´ω`*)

    BTS

    BTSさん からの返信 2018/05/27 09:23:18
    RE: 古い日記は好きです。
    わかなさまへ

    おはようございます。
    『函館・湯の川温泉の社員旅行2005』をご覧いただきありがとうございます。

    4トラデビューしたのは4年ほど前でしょうか、当時はバックアップ用の外付けのハードディスクを設置していなかったのでパソコンが壊れる前に過去の旅行を急いでUPしました。
    わかなさんに気に入っていただき嬉しく思います。

    >どうやら私、雪に弱いようです
    雪って、神秘的かつ静寂さがあり気持ちが落ち着きますよね。長野生まれの私にとっては精神安定剤と言ったところでしょうか。ただし乗り鉄しているときは運休や遅れが発生しないかとヒヤヒヤドキドキしていますが…(笑)

    社員旅行では湯の川温泉に泊り、早朝にタクシーで函館朝市へ向かいました。
    まだ昨夜の酒が残っていてフラフラ状態でしたが、一度はウニイクラ丼を食べておかなければと思っていました。値段はチョッと高めでしょうか、でも関東圏で食べるよりは安いかもしれません。正直観光地価格ですが味は良かったですね。

    ある旅人の話しですが…
    注文を受けてから海へ潜りウニを獲ってウニ丼を作るなんて何て贅沢でしょうか?
    しかも値段が1000円とリーズナブル、私も獲りたてのウニを食べてみたいです。

    また函館へ行きたいですね。

    BTS

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