2014/05/18 - 2014/05/18
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yakkunnさん
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5月の日曜日
年に一度の仲間との日帰りバス旅行です。
今回の旅行記はとても気を使う異色の社会派旅行記になりそうです。
世界遺産を目指す長島愛生園は観光地ではなく、現在も280名が入所されているハンセン病国立療養所だからです。
岡山県瀬戸内市に有る長島愛生園は1930年(昭和5年)に瀬戸内海の無人島・長島に作られた日本で第1号の国立らい療養所です。現在名は国立療養所長島愛生園です。
ハンセン病のため差別を受け、人権を無視された元患者さんが現在も約280名入所されていますが、このつらい歴史を伝える施設を世界遺産に登録しようと言う活動が近年始まりました。
昭和63年、本土から長島へ架けられた邑久長島大橋は人間回復の橋と呼ばれ、それ以降ハンセン病と長島愛生園がよく理解されるようになりました。
最近では年に1万人がこの長島愛生園を訪れ、ハンセン病とその歴史を学んで帰っていきます。
今回、前もって予約したボランティアの人の説明を受けながら2時間、島内を歩いてきました。
ハンセン病のこと、長島愛生園のこと、人権問題、世界遺産、と短時間ですが考える事の多い充実した日帰り旅行となりました。
写真を撮ってもいいのだろうか?
ホームページに載せてもいいのだろうか?
許可を得ながらブログアップとなりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
5月の日曜日
仲間達と年に一度の日帰りバス旅行です。
岡山からブルーラインを通り牛窓と日生(ひなせ)の間に有る瀬戸内市邑久町(おくちょう)の長島へ向かいます。
大型バスに15人が乗り岡山を出発。
1時間も経たないうちに道の駅一本松で休憩です。
例年ならばバスに乗るや否やアルコールが配られますが、今日はちょっと違った雰囲気です。
昼までは禁酒です。 -
一本松PAからの眺めです。
遠くに見えるのが小豆島、
眼下に見えるのが牛窓辺りです。
これから行く長島を遠くからみたかったのですが、残念ながらブルーラインからは見る事が出来ません。 -
ブルーラインを邑久インターで降りました。
邑久長島大橋(おくながしまおおはし)を目指します。 -
邑久長島大橋が見えてきました。
この邑久長島大橋を遠景で撮りたかったのですが、バスですので勝手な事が言えません。
車窓から出来るだけ撮るようにします。 -
この橋は185メートルの小さな橋です。
昭和43年、あの瀬戸大橋がかかった年と同じ年に完成しました。
それまで本土の一般市民と隔離されていた長島が橋で繋がり、人間復活の橋と呼ばれるようになりました。 -
今日のバスガイドさんもこの橋を渡って長島へ行くのは初めてだそうです。
ハンセン病の事を予習して来たそうです。
まず病気の事から解説してもらいました。
ハンセン病とは抗酸菌の一種であるらい菌による感染病です。
結核も抗酸菌の一種です。
ハンセン病は結核よりも伝染力が弱いし、戦後の抗生物質の発達により、現在では日本では新しいハンセン病患者はほぼゼロなのです。
国内には感染力の有る患者さんもゼロで、治癒した人だけなのです。
もう少し言いますと日本ではハンセン病に感染する事はほとんどないと言う事です。
ハンセン病の話をしながらバスはこの橋を渡って行きます。 -
長島大橋から下を見ると狭い海峡です。
右手が本土(岡山側)で左手が長島です。
一番狭い所で30メートルだそうです。
ここを泳いで長島から脱出しようと試みたが、流れが強くて命を落とした患者さんも多かったとの事です。 -
橋から反対側を見るとカキの養殖いかだがたくさん浮いてる虫明湾です。
こちら側は右手が長島、左手が本土と言う事になります。 -
橋を渡りきリました。
長島には2つの国立ハンセン病療養所があります。
邑久光明園と長島愛生園です。
今日は長島愛生園だけ訪問します。 -
ハンセン病国立療養所長島愛生園に着きました。
ツツジが奇麗に咲き、一見観光地のように瀬戸内海の景色が奇麗です。
ここに、つらい人権問題があるという事が嘘のような穏やかな海です。 -
長島は2つの島で出来ています。
向こうの山が見える島にもう一つのハンセン病国立療養所邑久光明園があり、小さな架け橋で繋がってるこちらの島に長島愛生園があります。
先ほど通って来た邑久長島大橋はあの山の裏側となります。 -
この地図は主に長島愛生園の地図です。
島は現在療養所ですので治療棟、病棟が中心ですが、看護学校等の他に元患者さん(入所者)が生活してる団地があります。
また、昔の歴史を伝える長島愛生園歴史館、元収容所、元監房、元学校、納骨堂、収容桟橋等等が残されています。
このあたりを中心に世界遺産登録の活動が始まっています。 -
私達はまずバスを降りて、長島愛生園歴史館に入ります。
この蔦の絡まる建物は長島愛生園の事務系管理棟でしたが、平成15年より長島愛生園歴史館となりました。
ここでハンセン病について学ぶと同時にハンセン病に係る人権問題を考える場になっています。 -
長島愛生園歴史館の玄関です。
-
玄関を入った所のステンドグラスです
-
歴史館でハンセン病についてまず説明を受けます。
今日は2時間コースの見学・研修コースです。
日曜日ですが、「ゆいの会」というボランティアの方が説明してくださいます。 -
次はビデオでハンセン病患者のつらい差別された歴史を学びます。
何が一番問題かと言うと、
見た目(外観)の問題です。
ハンセン病(らい菌)に感染するとしだいに皮膚や神経が侵され、特異な顔貌となります。
抵抗力の有る人には滅多に感染しないのですが、戦前の栄養状態が悪い子供に感染しやすかったのです。
治療薬が無かったため、患者は完全に隔離され、差別を受けるようになったのです。
その治療薬は1943年頃にプロミンが発見・使用されて以来 後遺症を残す事は無くなりました。
そして戦後の1965年抗結核薬リファンピシンが登場し、ハンセン病も簡単に完治するようになりました。 -
歴史館でハンセン病と長島愛生園の事をざっと学んで、次に島内の施設を廻ります。
まず、昭和14年に出来た収容桟橋に来ました。(写真左端)
昭和30年まで使われていました。
ここは全国からの入所者が船で長島に着いた時、上陸する桟橋です。
感染した子供を連れて来てここで親が別れて帰ると言うつらい悲しい場所だった様です。
今は桟橋は半分落下していますが、名残はあります。
カキの養殖筏が浮いている海は瀬戸内海虫明湾、向こうの山は本土・岡山側です。 -
桟橋に上陸した患者さんは次にこの収容所に連れてこられました。
こで身体検査を受け、消毒風呂に入れられ、現金等は没収されました。
昭和5年から昭和23年までこの建物は使われました。 -
収容所の中を案内してもらい ここでも解説があります。
-
消毒風呂です
-
収容所のホールです。
ここで身体検査や写真が撮られたそうです。
ここから入所者の島での生活が始まりました。 -
収容所の次に監房に案内されました。
監房の建物は残っていなくて、建物の壁のみが残っています。
昭和5年〜昭和28年まで使われていたそうです。
島から逃亡を企てた入所者をここへ収監していたそうです。 -
別角度です。
監房の建物の一部だけが保存されています。 -
監房の次に、小高い丘の上に有る納骨堂に来ました。
平成14年に新築されました。
約3500名が祀られています。
ハンセン病の偏見と差別のため家族がお骨さえ引き取らなかったと言う事です。 -
ここでろうそくを買って皆で手を合わせました
-
吉永小百合さんが平成25年8月に ここ長島愛生園に来られ、記念植樹をされた様です。
春には奇麗なしだれ桜が咲く事でしょう。 -
園内のあちこちにスピーカーがあり、ラジオが流れています。
これは曲がり角にあり、目の不自由な患者さんが園内を歩くときの道しるべなのです。
現在も使われていてラジオの放送が流れていました。 -
納骨堂の麓に有る歌人・明石海人が住んでいた目白寮跡には海人の石碑が立っています。
海人はここ長島愛生園で亡くなっています。 -
納骨堂から歴史館へ帰る道沿いには長島で療養されてる元患者さんの住居がたくさん有ります。
現在約280名が長島で生活されています。
長島には現在ハンセン病を発症している患者さんはゼロです。
みんな 完治した元患者さんです。
しかし帰る所がないのです。
私達が島内を案内して頂いてる間、その人たちの姿を見かける事は一度もありませんでした。 -
長島の中心部に診療棟があり、平均年齢80才を越えてる入所者の健康管理をここでしています。
-
1学年定員30名の看護学校も島内にあります
-
長島愛生園歴史館に始まって島内の歴史的建造物を廻りながら、ハンセン病の抱えた人権問題を学びながら2時間があっと言う間に過ぎました。
参加した15名の仲間は、
ハンセン病の人権問題がよくわかった。
自分が無知であった事もよくわかった。
今年の日帰り旅行はとてもいい一日だったとの感想でありました。
来る時に通ったこの大橋ですが、帰る時に通るとその橋の持つ大きな意味が理解できるようになりました。 -
長島大橋から見る虫明湾は穏やかで、ハンセン病の問題が何処にあるのだろうかと言う程静かで奇麗でした。
さてこれから日本のエーゲ海と言われる牛窓のホテルリマーニで昼食をして、クルーズジングした後、
竹下夢二の生家に寄り、夢二の絵を見て帰ります。
岡山に住みながら長島の事は詳しく知りませんでした。
世界遺産になったら大勢の観光客でごった返すでしょう。
その前にゆっくりと見学できて今回の企画は大成功でした。
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この旅行記へのコメント (6)
-
- ねもさん 2021/04/09 14:59:07
- 初めまして
- yakkunnさん
私もyakkunnさんたちに遅れること7年、愛生園を見学しました。遠かったですが、来て良かったと思いました。
現在の入所者は130人だそうです。この7年で、半減ということですね。
- yakkunnさん からの返信 2021/04/10 08:09:43
- RE: 初めまして
- ねもさん、こんにちは、
書き込み有難うございます。
岡山県内の人でも長島愛生園のことを知らない人がたくさんおられます。
世界遺産にでもしない限り忘れられてしまいそうです。
ローカル線とローカルバスをのり継いで長島愛生園を訪問されたとのことですが、ねもさんの旅好きがよくわかるようですね。
私はこの1年、近場の温泉旅行が精一杯と行ったところです。
旅行記が賑やかになる日が待ち遠しいです。
これからもよろしくお願いします。
yakkunn
-
- わんぱく大将さん 2014/11/10 10:11:36
- これも悲しい歴史
- yakkunnさん
菌がもたらす病気と言うのは、人間を鬼にでも変えてしまいますね。遺骨でさえ引き取らない? エボラも無くなってほしいですよ。
大将
- yakkunnさん からの返信 2014/11/10 13:13:06
- RE: これも悲しい歴史
- w大将さん、こんにちは、
エボラがヨーロッパにも近づいて来てるのでしょうか?
おそらくエボラは近いうちにいい薬が出来るのではないかと期待してますが・・・
確かにハンセン病も一つの悲しい歴史です。
本人にも家族にも大変な事だったのでしょう。
ただ、岡山の近くにあるのに今まで詳しい事を知らなかっただけに、
今回の訪問はとても勉強になりました。
yakkunn
-
- たらよろさん 2014/06/14 22:24:30
- このブルーの橋の意味
- こんばんは、yakkunnさま。
ハンセン病患者さん、
今では国内の感染者はゼロで、皆さん完治されて元患者さんになっていらっしゃるのに、
どうして280名もの方がここに暮らしていらっしゃるんだろう?
って思いつつ読み進めさせて頂きました。
それほどまでに厳しい差別があったんですね。
ご家族も遺骨を引き取りされないほどの差別が。。。
そして、帰る場所がなくなってしまったという現実があり、
胸が締め付けられる思いがしました。
平均年齢80歳を過ぎていらっしゃるとのこと。
こういう問題は今後もしっかり考えてそしてケアしていかないといけないと思います。
こうしてブログなどで伝える場所がある、、、
そして多くの方が知ることができることが大事ですね。
私もこんなに大切なことを教えて頂いて感謝です。
たらよろ
- yakkunnさん からの返信 2014/06/15 06:12:59
- RE: このブルーの橋の意味
- たらよろさん、こんにちは、
いつもお気に止めて頂いて感謝です。
今回も長島愛生園のコメントを頂き感激しました。
私の仲間を含めて私も長島愛生園の事、ハンセン病の事、あの日まで名前しか知りませんでした。
もやもやしてた事が、霧が晴れてすっきりした気持ちになり、
この年になって少し大人になったような変な感じです。
本当に素晴らしいコメントを有り難うございました。
yakkunn
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