1995/10/25 - 1995/11/01
50位(同エリア346件中)
がおちんさん
カイラス“ボコボコ”ツアーの後半は、「チョモランマを間近で見てからネパール国境まで行く」という予定でした。
ところが、タルチェンを出発してまもなく病人が出てしまい、途中の村で休んだり、病院を探したりする緊急事態に。幸いに回復したものの、旅のスケジュールがずれ込み、パーミットの期限やトラックを返す期日が迫っていました。
チョモランマに行くべきかどうかはメンバー間でも意見が分かれましたが、結局、「行ける所まで行く」ことにしてロンブクへ向かい、運転手の活躍と、天気にも恵まれてチョモランマの姿を拝むことができました。
色々とトラブルのあった旅ですが、メンバー全員が無事にチベットを後にすることができました。
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旅のルート図(緑色の部分が走った道)
タルチェンを出発してサガまで戻り、サガからは裏道を使ってキドン県を抜け、ティンリからロンブクへ。
チョモランマを見た後はティンリからジャンムーへと至り、18日間にわたるカイラス“ボコボコ”ツアーも無事終了しました。 -
1995年10月25日
カイラス巡礼を終えて、タルチェンを後にする。
さらば、カン・リンポチェ! -
運転手のタシさん、快調に飛ばしてパルヤンに到着。
しかし、途中からSさんがお尻の痛み(おでき)を訴え、宿に着く頃には動けなくなってしまった。
宿のお婆さんは鳥獣の骨(?)を焼いて占いをし、「吉と出たので治る」と言ったが、Sさんの症状は治まらず、夜中もうめき続けた。 -
1995年10月26日
Sさんの体調が悪くて出発できない。
朝から村の医者を訪ね、往診をしてもらった。お尻に太い注射をして様子を見る。
ところが宿の人から、「死人が出ると困るので出て行ってくれ」と言われる。死生観の違いとはいえ、これはショックだった。
「死ぬような病気じゃないから」と説明して、もう一泊させてもらう。 -
1995年10月27日
Sさんの痛みが治まり、出発する。
ところが途中で症状が再発、サガの病院に直行した。
幸いにも点滴と注射の治療が奏功し、以後痛みを訴える事はなかった。
サガの宿に泊まる。
この2日間、ピンチだったのでほとんど写真を撮っていない。 -
Sさんが元気になって安心したものの、旅のスケジュールはかなり遅れてしまった。
残り4日でネパール国境まで行かねばならず、予定していたチョモランマ方面の旅が厳しくなっていた。
メンバーに意見を聞くと、「このまま国境へ向かってはどうか」という人が多かったが、チョモランマに行くのが目的でツアーに参加した人もいるので、「行ける所まで行ってみよう」ということになった。 -
1995年10月28日
サガを出発する。
運転手のタシさん曰く、「ラツェ経由でティンリに向かう本来のルートでは時間が足りないが、裏道を使ってショートカットすれば1日分短縮できる」とのこと。
サガでヤルツァンポ川を渡り、キドン県に向かうことになった。
「急げー」と、船こぎを手伝う私。(嘘) -
キドン県の道は悪路(++)だが、これぞチベットといった風景が続く。
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途中で出会ったヤクのキャラバン。
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ペイグツォ(佩枯錯)にて、運転手のタシさんと。
地図が無くても、「このへんの道は頭に入っている」という。
本当に頼もしい人だ。 -
ペイグツォ、絶景です。
地球の大きさに感動。 -
後ろに見えるのはシシャバンマ峰。
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石版に彫られたお経。
今日はタシさんの活躍で、中尼公路の分岐まで走ることができた。
宿は無いので、道路整備の詰所(60道班)に泊まらせてもらう。すべてタシさんの働きで、ピン太(偽ガイド)の出番は全く無し。 -
1995年10月29日
60道班を出発してロンブクへ向かう。
パン・ラ(峠)からヒマラヤ山脈が見えた。 -
パン・ラ(峠)からの眺め。
マカルー、ローツェ、チョモランマ、ギャチュンカン、チョーオユーが並んでいる。 -
谷を下ると、ザシゾン(扎西宗)に到着。
中国色の全く無い、純チベットの集落だ。
妻を除いた女性3名はロンブクまで行かず、この村に残ることになった。 -
ロンブクに行く途中、馬車隊と遭遇。
道が狭いのでかわせず、協議中。
片方は崖。 -
山側に馬車を倒してスペースを作る。
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タシさん、そーっと運転して無事に通過した。
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馬さん、手間かけてごめんね。
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ロバさんもお疲れ様。
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夕方、ロンブクの寺に到着。
私達が着いた途端、人が集まってきて「何かくれ」、「何か売れ」とうるさい。トラックの荷台まで上がろうとするのでタチが悪い。
登山隊が置いていく品物をあてにしている連中らしいが、とにかくこすっからい。カイラスと同じく、「聖地ほど悪党がいる」というのは間違いないようだ。
運転手のタシさんは、「物が盗まれたら困るから」とゴンパには泊まらずにトラックの荷台で寝た。 -
とはいえ、ここから見えるチョモランマの姿は圧倒的で、カイラス同様に感動を与えてくれた。
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1995年10月30日
ロンブクから見た、朝のチョモランマ。
メンバーのO君、ゆうべはトラックに群がってくる奴らの夢を見たそうで、「親指を極めて引きずりおろした」ところで目が覚めたという(笑)。 -
チョモランマベースキャンプに到着。
本来の予定では氷河まで歩くつもりだったが、時間が無い。
限られた時間で、行ける所まで行こうということになった。 -
ガレキの上を歩くので、なかなか進まない。
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2時間ほど歩いたところで時間切れ。
はるか前方に青い氷柱が見えたが、そこまで行く事は叶わなかった。 -
さあ、帰ろう。
再び2時間歩いてベースキャンプへ。
すぐにトラックに乗って出発する。
「がおちんの奥さんはガッツがあるな」と、運転手のタシさんが褒めてくれた。 -
ザシゾン(扎西宗)で女性メンバー3人と合流し、長い山道を上ってオールドティンリに着いた。
二大目的だったカイラスとチョモランマにも無事に行けて、後は国境のジャンムー(ダム)に行くだけ。
団体行動のまとめ役になって大変だったが、この日ようやく緊張が解け、白酒をしこたま飲んで酔っ払った。 -
1995年10月31日
チベット旅行も最終日。
ティンリから峠をひとつ越えた後は、ずーっと下り続け、夕方ジャンムーに到着。荒野と砂漠の風景から森林の風景へと変わり、空気が濃くなった気がする。
18日間に渡る、カイラス“ボコボコ”ツアーも終了した。
嘘つきガイドのピン太は途中でボコボコにされて以来「おみそ扱い」だったが、ここでタシさんから乗車拒否を受けた。ラサの旅行社に苦情を言うので手紙を書いてくれとタシさんに頼まれ、「ガイドがひどい奴だったことや、タシさんのお陰で無事に旅が続けられたこと」を記して全員で署名をした。
写真は、私が来ていた防寒着を「売ってほしい」と言ってきた人。ここで要らなくなった服や靴などを捌き、皆で購入した品は全部タシさんに譲った。 -
食堂で打ち上げ会。
ノリノリで食べるO君とK君。 -
食後、旅社の部屋で2次会をする。
タシさん、ビールをラッパ飲み。 -
タシさんはメンバー全員にカダをかけてくれ、旅が無事に終わった事を喜んでくれた。
全く、この人のお陰で旅が成功したのだ。
ありがとう、タシさん。
思い出がいっぱいできたよ。 -
1995年11月1日
ジャンムーの町をあとにしてネパールへ向かう。
楽しかったチベットの旅が終わった。 -
ボーダーを越えてネパールのコダリへ。
今日からまた2人旅。
バスでカトマンズへと向かった。
アジア旅行記1995〜1997(その9)へ続く
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