2012/09/17 - 2012/09/17
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sintabiさん
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大宮氷川神社(おおみやひかわじんじゃ)
大宮の地名の由来となった武蔵一宮として関東の250社ある氷川神社の総社
御祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)。
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氷川神社は、社記によると第五代孝昭天皇の三年四月未の日の創立と伝えられる。
当神社は、古くから歴朝や武将の尊崇をあつめた由緒ある大社としてその歴史を誇っており、「大宮」の地名もこの氷川神社に由来することは衆知のとおりである。
古くは景行天皇のとき、日本武尊が東征のおり当地に足をとめて祈願され、また成務天皇のとき、武蔵国造となった兄多毛比命が出雲族を引きつれてこの地に移住し、氷川神社を奉崇したと伝えられる。その後、聖武天皇(724〜49年)のとき「武蔵国一の宮」と定められ、ついで称徳天皇の天平神護二年(766)には、朝廷から武蔵国では当社だけに封戸(三戸)が寄進された。さらに醍醐天皇の延長五年(927)の「延喜式神明帳」には、名神大社として破格の月次新嘗の社格が与えられている。
このほか、鎌倉時代には、治承四年(1180)に源頼朝によって社殿の再建と社領三千貫が寄進されたといわれ、足利、北条氏も相次いで尊仰した。その後、江戸時代の慶長九年(1604)には、徳川氏より社領三百石が寄進され、また、文禄五年(1596)と寛文七年(1667)には社頭の整備と社殿の造営が行われている。
その後、明治元年(1868)東京遷都に際し、当社を武蔵国の総鎮守「勅祭の社」と定められ、明治天皇みずから親拝になった。同四年官幣大社となり、同十五年に本殿・拝殿などを改造し、さらに昭和十五年に本殿・拝殿・回廊などを造り変え、現在の景観となっている。
祭神は須佐之男命・稲田姫命・大己貴命。
例大祭は八月一日。そのほか神事の中で特に有名なのが十二月十日の大湯祭である。
境内 埼玉県 大宮市 案内板より -
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イチオシ
「楼門」
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「舞殿」
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イチオシ
「拝殿」
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「絵馬」
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