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 娘夫婦が一度東京旅行に来て大相撲観戦をと誘ってくれたので思い切って7日間東京に行って来ました。<br /><br />第一日目(9月14日)<br />   〜新幹線のぞみで京都〜東京〜秋葉原〜両国下車<br />   両国コースを散策<br />    両国・国技館通り〜回向院〜旧広小路跡〜江島杉山神社〜吉良上野介屋敷跡〜勝海舟生誕地〜両国公園&両国小学校〜芥川龍之介文学碑〜伊藤宗印屋敷跡〜「東京スカイツリーの見えるイエロイリオ(夕食)」〜娘夫婦宅泊<br /><br />第二日目(9月15日)<br />   〜築地へ〜「磯寿司(朝食)」〜築地散策〜横綱公園〜関東大震災と東京復興の写真展〜旧安田邸庭園〜水上バス乗船(お台場に行こう)〜娘夫婦宅泊<br /><br />第三日(9月16日)<br />   〜すみだ水族館〜東京スカイツリー近郊&ソラマチ散策〜「蕎麦むさし(昼食)」〜東京スカイツリー〜向島百花園〜「割烹 吉葉(夕食)」〜娘夫婦宅泊<br /><br />第四日目(9月17日)<br />   〜浅草寺、仲見世〜浅草散策〜「穂乃香(昼食)」〜江戸東京博物館〜大相撲秋場所九日目〜「清繁(夕食)〜娘夫婦宅泊<br /><br />第五日目(9月18日)<br />   〜清澄庭園〜芭蕉俳句の散歩道〜「東天紅(昼食)」〜深川えんま堂〜深川不動堂〜富岡八幡宮〜「吟しゃも(夕食)」〜娘夫婦宅泊<br /><br />第六日目(9月19日)<br />   〜不忍池〜横山大観記念館(休館)〜旧岩崎邸庭園〜「大関(昼食)」〜湯島天満宮〜東京大学(赤門、三四郎の池、安田講堂〜「香春園(夕食)」〜娘夫婦宅泊<br /><br />第七日目(9月20日)<br />   〜皇居(桜田門、二重橋、近郊散策)〜相田みつを記念館〜東京〜京都〜

東京旅行:横綱町公園

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2012/09/14 - 2012/09/20

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satoshi.s2

satoshi.s2さん

 娘夫婦が一度東京旅行に来て大相撲観戦をと誘ってくれたので思い切って7日間東京に行って来ました。

第一日目(9月14日)
   〜新幹線のぞみで京都〜東京〜秋葉原〜両国下車
   両国コースを散策
    両国・国技館通り〜回向院〜旧広小路跡〜江島杉山神社〜吉良上野介屋敷跡〜勝海舟生誕地〜両国公園&両国小学校〜芥川龍之介文学碑〜伊藤宗印屋敷跡〜「東京スカイツリーの見えるイエロイリオ(夕食)」〜娘夫婦宅泊

第二日目(9月15日)
   〜築地へ〜「磯寿司(朝食)」〜築地散策〜横綱公園〜関東大震災と東京復興の写真展〜旧安田邸庭園〜水上バス乗船(お台場に行こう)〜娘夫婦宅泊

第三日(9月16日)
   〜すみだ水族館〜東京スカイツリー近郊&ソラマチ散策〜「蕎麦むさし(昼食)」〜東京スカイツリー〜向島百花園〜「割烹 吉葉(夕食)」〜娘夫婦宅泊

第四日目(9月17日)
   〜浅草寺、仲見世〜浅草散策〜「穂乃香(昼食)」〜江戸東京博物館〜大相撲秋場所九日目〜「清繁(夕食)〜娘夫婦宅泊

第五日目(9月18日)
   〜清澄庭園〜芭蕉俳句の散歩道〜「東天紅(昼食)」〜深川えんま堂〜深川不動堂〜富岡八幡宮〜「吟しゃも(夕食)」〜娘夫婦宅泊

第六日目(9月19日)
   〜不忍池〜横山大観記念館(休館)〜旧岩崎邸庭園〜「大関(昼食)」〜湯島天満宮〜東京大学(赤門、三四郎の池、安田講堂〜「香春園(夕食)」〜娘夫婦宅泊

第七日目(9月20日)
   〜皇居(桜田門、二重橋、近郊散策)〜相田みつを記念館〜東京〜京都〜

同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
10万円 - 15万円
交通手段
タクシー 新幹線 JRローカル
旅行の手配内容
個別手配

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  • この公園は「横網町公園」という名のほか「被服廠跡」「東京都慰霊堂」「東京都復興記念館」とも呼ばれていますが、そのいずれもが、この公園の歴史を物語っています。<br /> 大正11年(1922年)東京市は陸軍被服廠の移転に伴い、跡地を買収し公園の造成を進めていましたが、その最中に発生したのが関東大震災(大正12年9月1日)で、その時この界隈の人々が被服廠跡に避難しましたが、運び込まれた家財道具に飛び火し、折からの風速17メートルの強風に燃え広がり、多数の焼死者が出ました。<br /> 遭難者の霊を供養し、さらに東京を復興させた当時の大事業を記念するため、公園内に東京都慰霊堂(昭和5年)と復興記念館(昭和6年)を建てました。その後、東京大空襲の犠牲者である一般戦災者の霊も安置することになりました。また東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑を新たに建設しました。<br />

    この公園は「横網町公園」という名のほか「被服廠跡」「東京都慰霊堂」「東京都復興記念館」とも呼ばれていますが、そのいずれもが、この公園の歴史を物語っています。
     大正11年(1922年)東京市は陸軍被服廠の移転に伴い、跡地を買収し公園の造成を進めていましたが、その最中に発生したのが関東大震災(大正12年9月1日)で、その時この界隈の人々が被服廠跡に避難しましたが、運び込まれた家財道具に飛び火し、折からの風速17メートルの強風に燃え広がり、多数の焼死者が出ました。
     遭難者の霊を供養し、さらに東京を復興させた当時の大事業を記念するため、公園内に東京都慰霊堂(昭和5年)と復興記念館(昭和6年)を建てました。その後、東京大空襲の犠牲者である一般戦災者の霊も安置することになりました。また東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑を新たに建設しました。

  • イチオシ

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