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藤の花の季節です。ビアンキで越谷の久伊豆神社の藤の花を見に行きました。<br />人も少なく、歴史ある藤の木に垂れさがる藤の花を見ることができます。<br /><br />最近、訪れる神社やお寺の灯篭があちこちで倒れています。<br />地震の大きさを改めて感じますね。

ビアンキFRETTA☆越谷 久伊豆神社の藤☆2011/04/30

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2011/04/30 - 2011/04/30

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杏仁豆腐

杏仁豆腐さん

藤の花の季節です。ビアンキで越谷の久伊豆神社の藤の花を見に行きました。
人も少なく、歴史ある藤の木に垂れさがる藤の花を見ることができます。

最近、訪れる神社やお寺の灯篭があちこちで倒れています。
地震の大きさを改めて感じますね。

  • 我が家からビアンキでのんびりやってきました。<br />連休中の休日ですが、人が少ないです。

    我が家からビアンキでのんびりやってきました。
    連休中の休日ですが、人が少ないです。

  • 見事な藤の花です。

    見事な藤の花です。

  • 藤色ですね、まさに。

    藤色ですね、まさに。

  • この藤は天然記念物です。

    この藤は天然記念物です。

  • 藤棚は、高さ2.7m・東西20m・南北30mあります。<br />7本の幹からなり、株の周り7m余り、樹齢200年と言われている藤で、天保8年(1837)越ケ谷町の住人、川鍋国蔵が下総国(現千葉県)流山から樹齢約50年の藤を船で運び当地に移植したものといわれています。<br />

    藤棚は、高さ2.7m・東西20m・南北30mあります。
    7本の幹からなり、株の周り7m余り、樹齢200年と言われている藤で、天保8年(1837)越ケ谷町の住人、川鍋国蔵が下総国(現千葉県)流山から樹齢約50年の藤を船で運び当地に移植したものといわれています。

  • 提灯がぶら下がっています。

    提灯がぶら下がっています。

  • 藤の花言葉は、「歓迎」「恋に酔う」「陶酔」だそうです。

    藤の花言葉は、「歓迎」「恋に酔う」「陶酔」だそうです。

  • 藤棚の脇を見ると灯篭が倒れていました。

    藤棚の脇を見ると灯篭が倒れていました。

  • 池をまわってみましょう。

    池をまわってみましょう。

  • 躑躅がきれいに咲いています。

    躑躅がきれいに咲いています。

  • 鮮やかな色です。

    鮮やかな色です。

  • 池の反対側から藤棚を見ます。

    池の反対側から藤棚を見ます。

  • 越谷吾山句碑です。<br />越谷吾山は、享保2年越ケ谷宿新町の生まれ。<br />安永4年に諸国の方言を分類、解説した 「諸国方言物類称呼」を著わし、方言学の祖と称され、俳諧の師匠としても法橋の位を授けられたそうです。<br />句碑は嘉永2年1月、伊勢太々講中によって建碑されたものです。<br />表面には「出る日の旅のころもやはつかすみ」と刻まれています。

    越谷吾山句碑です。
    越谷吾山は、享保2年越ケ谷宿新町の生まれ。
    安永4年に諸国の方言を分類、解説した 「諸国方言物類称呼」を著わし、方言学の祖と称され、俳諧の師匠としても法橋の位を授けられたそうです。
    句碑は嘉永2年1月、伊勢太々講中によって建碑されたものです。
    表面には「出る日の旅のころもやはつかすみ」と刻まれています。

  • 越谷吾山句碑の解説です。

    越谷吾山句碑の解説です。

  • 池を一周して、藤棚に戻ります。

    池を一周して、藤棚に戻ります。

  • 久伊豆神社の藤の説明です。

    久伊豆神社の藤の説明です。

  • 久伊豆神社の本殿です。

    久伊豆神社の本殿です。

  • 崩れた灯篭がここにも。

    崩れた灯篭がここにも。

  • 灯篭の上部がなくなっていました。

    灯篭の上部がなくなっていました。

  • 御霊水です。

    御霊水です。

  • ホースから出ているのが、ちょっと興ざめです。

    ホースから出ているのが、ちょっと興ざめです。

  • 越谷市役所脇の葛西用水のチューリップです。

    越谷市役所脇の葛西用水のチューリップです。

  • だいぶ刈り取られていました。

    だいぶ刈り取られていました。

  • 見頃には、土手沿い約500メートルにわたり、赤や黄色など色も鮮やかに咲き誇ります。

    見頃には、土手沿い約500メートルにわたり、赤や黄色など色も鮮やかに咲き誇ります。

  • 越谷のゆたか堂で煎餅を購入しました。<br />天日干しのかた焼きが自慢の煎餅屋さんです。

    越谷のゆたか堂で煎餅を購入しました。
    天日干しのかた焼きが自慢の煎餅屋さんです。

  • とにかく堅い煎餅です。噛むと味があります。

    とにかく堅い煎餅です。噛むと味があります。

  • 小さな煎餅も堅いです。少し焦げた味わいです。<br />ぶらり途中下車の旅でも紹介された煎餅屋さんです。<br />http://www.ntv.co.jp/burari/090124/info06.html

    小さな煎餅も堅いです。少し焦げた味わいです。
    ぶらり途中下車の旅でも紹介された煎餅屋さんです。
    http://www.ntv.co.jp/burari/090124/info06.html

  • 帰り道にある、みかもの月。蛸屋総本店です。<br />もとは宮城県仙台、広瀬川に面した一角で「赤壁楼」という和菓子屋が始まりと伝えられています。<br />仙台藩主である伊達公よりご愛顧を賜り、蛸の看板を掲げるようになって以来、蛸の愛称で親しまれ、屋号名字も蛸を称するようになりました。<br />後に御菓子司となり、歴代の店主を経て看板を掲げ続けています。(有名な藩祖正宗公の後裔らしい逸話として、当時の伊達公が、魚屋は魚屋らしくなく、菓子屋は菓子屋らしくない名前を命じられたとも伝えられています)<br />発祥は宮城県の仙台ですが、戦争疎開等を経て栃木県小山市へ落ち着き、和菓子屋を開きまして現在に至っています。<br /><br />http://www.takoya.co.jp/index.htm

    帰り道にある、みかもの月。蛸屋総本店です。
    もとは宮城県仙台、広瀬川に面した一角で「赤壁楼」という和菓子屋が始まりと伝えられています。
    仙台藩主である伊達公よりご愛顧を賜り、蛸の看板を掲げるようになって以来、蛸の愛称で親しまれ、屋号名字も蛸を称するようになりました。
    後に御菓子司となり、歴代の店主を経て看板を掲げ続けています。(有名な藩祖正宗公の後裔らしい逸話として、当時の伊達公が、魚屋は魚屋らしくなく、菓子屋は菓子屋らしくない名前を命じられたとも伝えられています)
    発祥は宮城県の仙台ですが、戦争疎開等を経て栃木県小山市へ落ち着き、和菓子屋を開きまして現在に至っています。

    http://www.takoya.co.jp/index.htm

  • みかもの月。<br />古の万葉集にも詠われる景勝の地、みかも山にかかるまぁるい <br />お月様をイメージしたふわふわかすたぁどです。 <br />都賀町のこだわり玉子「つがのさくら」を使い、和菓子屋独自の発想で煉り上げるカスタードクリームが入っています。

    みかもの月。
    古の万葉集にも詠われる景勝の地、みかも山にかかるまぁるい
    お月様をイメージしたふわふわかすたぁどです。
    都賀町のこだわり玉子「つがのさくら」を使い、和菓子屋独自の発想で煉り上げるカスタードクリームが入っています。

  • 陣内評定餅。<br />慶長五年の関ヶ原に至る、大切な日本の歴史の節目は、小山の評定が有名です。天下を持ちたまわるようにと縁起を担いで献上されたという故事に想いをよせ、黄奈粉餅を創製したそうです。沖縄産黒砂糖で作った黒蜜をかけていただきます。<br />陣内評定餅の由来。<br />俳聖芭蕉が奥の細道の旅の途中、元禄二年三月小山宿を過ぎた時、同行の曽良が指さす小山館の跡を見て、家康公が天下統一の志を決した旧跡かと、振り返りつつ通った事は曽良日記に書かれている通りです。慶長五年七月、家康公は諸大名を一堂に集めて、上杉討つべきか三成と戦うべきかを小山で評定したのです。それは徳川の運命と共に、日本の運命も決定づける重大なもので、陣中の名将勇将が身を震わせて評定の席に連なりました。心利いた人が一同に餅を供して、心を合わせて天下をもち給わるようにと口上を述べ、一同の勇気を奮い立たせた故事を偲び、色よく味良く形良く「陣内評定餅」を創製致しました。と言うことだそうです。

    陣内評定餅。
    慶長五年の関ヶ原に至る、大切な日本の歴史の節目は、小山の評定が有名です。天下を持ちたまわるようにと縁起を担いで献上されたという故事に想いをよせ、黄奈粉餅を創製したそうです。沖縄産黒砂糖で作った黒蜜をかけていただきます。
    陣内評定餅の由来。
    俳聖芭蕉が奥の細道の旅の途中、元禄二年三月小山宿を過ぎた時、同行の曽良が指さす小山館の跡を見て、家康公が天下統一の志を決した旧跡かと、振り返りつつ通った事は曽良日記に書かれている通りです。慶長五年七月、家康公は諸大名を一堂に集めて、上杉討つべきか三成と戦うべきかを小山で評定したのです。それは徳川の運命と共に、日本の運命も決定づける重大なもので、陣中の名将勇将が身を震わせて評定の席に連なりました。心利いた人が一同に餅を供して、心を合わせて天下をもち給わるようにと口上を述べ、一同の勇気を奮い立たせた故事を偲び、色よく味良く形良く「陣内評定餅」を創製致しました。と言うことだそうです。

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