1990/05/01 - 1990/05/01
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まーがりんさん
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2015年桂林再訪。
過去の旅行記を改定しました。
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当時はイギリス統治であった香港からでっかい夜行船で広州へ12時間。
入国管理に稠密に犇く人を見て羊の群れを思う。
予約なしだし、往復6日しかとってない。
広州から悟州へ24時間の船とさらに桂林へ12時間のバスで
息継ぐ暇も無く往復する旅。 -
広州行き船に給湯器が有るので持参のコーヒーを飲んでいたが、そのうち水が濁ってきた。水タンクの上にパイプがあって常時給水している様子。もしかして川の水?
船上で一番安い瓶ビールで歯を磨く。
船は幅60cmに仕切られた寝台の上しか居場所がない。周囲の人に話しかけて見たけど反応がない。インドネシアの遠慮と違って牽制しあっているような雰囲気。 -
船のトイレはもちろん垂れ流し。トイレが詰まるのは仕方がないけど、そのあと十数人が用を足してコンモリ山になっている。(女性でも3食ごとにドンブリめし2杯は食う国です)きれいに積み上げた技術は相当のもの。隣りに使えるトイレが三つもあるのに。
田舎道でバス休憩。西洋人のちっちゃな子が「pig looks me.」とトイレに入るのを嫌がっていた。
冷蔵飲料が普及していなくて道端では冷えていないスイカスライスがよく売られていた。 -
桂林着。バスを降りると「宿決まった?」と呼びかける若い女が居る。ホテルの客引きかと思ったら「そこなら案内してあげる」という、腕を組んでも文句を言わないのは変だなあ。部屋に入りたいのかと思ったら「外で待ってる」。ドミトリーに部屋を取って「じゃお茶でも」と言うと「知ってる店があるから」と腕を引く。
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イチオシ
途中すれ違う同業らしい人に『つかまえた』と合図を送りながら路地裏に入り「ほらここ」と赤い電灯のぶら下がったみすぼらしい店に連れ込まれた。窓は赤を基調のステンドグラス、背の高い衝立でテーブル毎に仕切った狭くてすすけたレストラン。先客が一人居る様だ。「折角だけど趣味じゃない」と立ち去る。
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漓江下りのチケットを買いに行く。外人料金があったけど中国人チケットを購入。そのとたん漫画みたいなタイミングで豪雨。仕方なく店先でぶらぶらしてるとごま塩頭のじいさんが話しかけてくる。外人とバレルとまずいのでなるべくぶっきらぼうに答える。「どこから来た?」「広州」、「広州のどこ?」思わず台湾の地名「三民区」と答えたら「そんな通りはない」と決め付けられた。ピンチ!
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「なに人だ」と聞くので「ヒミツ」と恍けると「船の上では黙ってろよ」と優しいアドバイス。つっけんどんにしててご免ね。
ホテルでも「中国人です」と言って人民料金を得ようとした。
身分証を出せと言われると台湾の教員免許を出した。(高校の先生やってました)
同胞価格にはしてもらえた。 -
漓江下り、桂林から陽朔までのフルコース。水牛を洗ったり平底船に棹差したりといったシーンをみていたが、いつも公告で見るようなキマッタ景色がなくて程なくみんな厭きて座席についてお仕着せの定食。隣の人が特注した料理をつまませてくれた。
景色に飽きたころカラオケが始まると演奏も無いがみんな朗々と歌う。「台湾から来て1ヶ月旅行しています」なんて聞かれもしないのに自己紹介するおじさんがいて船員は苦笑いしていた。 -
陽朔に着くとお土産屋台がずらり並んでいたが売り子がみんな同じ顔で奇妙。ご親戚ですか?
「高いよ」というと「いくらで買う」と問われて困った。軽食以外買ってないので物価が判らない。毛沢東語録を台湾への土産に買う。日中友好バッチを胸に着ける。桂林よりもここの方が町並みも付近の景色も上等。 -
さっきの台湾おじさんが居たので話しかける。桂林ではキャッチレストランでメシ食っただけでなんの特別サービスもなく300元取られたとぼやいていた。
投資の話しをしに役場へ行くというのでついて行く。「担当が居ないんだけど」と言われたが人手調達・外資の受け入れ・開業手続きなどそれらしいことを話して来た。 -
おじさんとルームシェアで宿を取る。ここは外人を泊められないホテル。「身分証」と言われておじさんのだけ出した。部屋に入った後で「おまえさんの身分証を見てない」と追いかけてきたのでパスポートを見せる。困った顔をしたがなにも言わなかった。
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そこへ役場の高官と言うのがわざわざ尋ねてきた。若いがいかにも党エリートと言う硬い顔立ち。
宿の主人は西瓜を振舞いつつおろおろまとわりついていたが、空気の読めないおじさん「さっき日本人と知り合ってね」と暴露してしまう。寂しそうに去った宿の主人はそれからどうなったでしょうか。 -
陽朔から帰りのバスで見た景色はタイムマシンのようでした。新聞も無かった田舎からビニール袋を見かけるようになったり。板切れに並べた西瓜しかなかったのが色とりどりの瓶飲料が現れたり。
上り24時間かかった悟州ー広州の船は下り12時間。
広州まで来ても服が白と黒しかないってどういうこと。染料取れないの?
広州からは列車で香港に帰ることにした。 -
アイスを買おうと冷蔵庫を開けたら「決めてから開けろ」と怒られた。霜で見えないんだもん。タクシーの鉄格子で区切られた運転席に驚いた。広州駅前が仕事を求める人で埋まっていて跨いで歩く状態。アパート一階には炭を焚いた共同竈があって煮込み料理が多いようす。非常階段から部屋を覗くとテーブルは折畳式だしテレビは高い箪笥の上で狭そうに暮らしている、洗濯物はベランダに出しっぱなしにするようだ。
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夜の広州の公園でご禁制写真の雑誌をホイとめくって見せる人がいる。すべて白黒で(印刷の話しです)一ミリ粒子のドット印刷だった。こういう商売ってどこの世界にでもあると感心してしまう。
租界の金色に光る豪華絢爛な世界を窓から見て、たとえお金があっても僕はあっちの人間になれないと寂しく感じた。 -
広州では上海バンスキングを彷彿とさせるダンスホールを持つビルの船員旅館に泊まる。「門前三清」というのが宿の住所かと思い覚えて歩き出したが、町中に同じ琺瑯看板が張ってあった。清掃キャンペーンらしい、そんなことに立派な琺瑯看板を作るのか!
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香港国境へ向かう特別線の駅。道に迷って駅裏に出てしまった。戻るのも面倒なので不法侵入する。線路回りは「管制区域・進入禁止」の看板があるけど後ろから撃たれたりはしないでしょ。
線路を跨ぎ越えてひとけの無いプラットホームに攀じ登る。列車の来ないときは改札も無人なので鎖をくぐって何食わぬ顔で切符売り場へ。 -
なぜか市場で緑地に金ボタンの警官の制服を売っていた。これを着てシンセン国境を通る。すべての警備員が「まて、こら!」と声をかけるのが面白い。
パスポートを見せればok。
橋を超えて香港に入りカーキ色の制服の警官はこちらの服装を見てもなにも言わなかった。 -
市バス 0.3元 宿6〜24元
おかゆ 0.3元 客飯1〜1.5元
アイス 0.5〜3元 タバコ 1.5〜5元
ビール 2元 スライススイカ1元
ジュース 0.6〜1.5元 缶ジュース 2.8元
Tシャツ 5元 Yシャツ 15〜30元
悟州ー広州船 17元 桂林川下り37.5元
1元=30円時代。
ちなみに当時の台湾物価
ジュース20元 ビール22元
客飯20〜30元 市民プール20元
レンタバイク一日 300元
高雄ー台東夜行バス 300元
1元=5円時代。 -
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