2026/09/30 - 2026/10/02
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gyachung kangさん
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季節の変わり目に入って私のお山活動シーズンも終盤。で山と言えば活動エリアは圧倒的に東日本。なんせ日本100名山のうち9割近くが東日本にある。従って西日本の山々にはなかなか手が回らない、そうなっちゃうんですよねえ。
なあんて思っていたら気がついた。マイルレスキューのタイミング、来てました。こりゃあ絶好の遠征チャンスということで西日本のお山をプランニング、ターゲットを鳥取県の大山に決定した。羽田⇄米子の航空便を活用して西日本の至宝大山に登る山旅となります。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス ANAグループ JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
9月30日
羽田発米子行きの第一便に搭乗。近づいていた台風は予想よりも日本列島の南側に進路を変えてくれたおかげで1ヶ月続いた長雨鬱憤を吹き飛ばすように朝から晴れた。眼下にはまだ黒々とした南アルプスの峰が広がっている。そ、右翼座席予約はこの景色をキャッチするためにある。 -
飛行機は1時間ちょいで米子鬼太郎空港にランディング。私、今回の大山登山遠征はお天気リスクを考慮して予備日を組み込んでいた。元々この日は大山には向かわない。そこで空港を出て向かったのは境港の駅。空港に名前を冠している通り、境港は『ゲゲゲの鬼太郎』を生んだ漫画家水木しげる先生が育った街であった。
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駅前には水木しげる&鬼太郎&ねずみ男の銅像
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駅舎内ベンチには鬼太郎ファミリー
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駅前ロータリーにあった足湯
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妖怪神社
お、おやじがこんなことに -
つーことで、ここはかの有名な水木しげるロードであります。私、鬼太郎マニアでもなんでもないんですけど、俄然興味が湧いてきた。
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街の電機工業が妖怪ショップを経営しておる
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お休み処 なんですが
砂かけられるんか? -
売られているグッズはほぼ妖怪縛り
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商店街には妖怪オブジェが数メートル間隔で歩道両サイドに置かれている。これはクサビラ神。クサビラ神とはキノコを司る妖怪だそうな。
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脇道に入ると妖怪楽園
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ここも鉄板のメンバーがお出迎えしてくれている
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楽園館はこの日生憎の休館で館内を体験することはできなかったが、この水木しげるロード界隈が徹底して妖怪まみれになっていた。
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水木しげる記念館がオープンしていた。これはちょっと見てみたい。入館料1000円を払って見学に。
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館内は一部を除いて撮影OK。展示パネルを追いながら水木先生の生い立ちと漫画家としての功績を知ることができる。1922年大阪府住吉区で出生、移り住んだ境港で幼少期から過ごした。独学で絵を学び高等小学校時代に地元で個展を開くほどの画才を開花させたと言う。
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水木先生は太平洋戦争下1943年に召集されラバウル戦線に投入された。その戦線中に森の中でぬりかべに会い命拾いしたという面白いエピソードが。
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ラバウル戦線では米軍との攻防戦で左腕を失う過酷な体験を負った。写真は本人の義手。
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記念館には水木先生の生い立ちだけでなく作品を通してライフワークになった妖怪たちを紹介する楽しいコーナーもある。これ、名前なんでしたっけ、どなたか知ってる人~!
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あかなめ、ですか
舐めるのは風呂場の垢とは。使い方次第では水場のスーパークリーナーになれる笑 -
驚きのエピソードがあった。ラバウル戦線で現地住民と親交が深まり、戦後再訪して当時の親友と再会、葬儀では喪主を務めたとのこと。さらに驚くのは日本がポツダム宣言を受諾し敗戦が決まった後、一度は帰国せずに現地に居残ることを申し出たのだという。
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たくさんの語録が残されている。
これがまた私には刺さった。 -
漫画界の巨星と言えば手塚治虫や藤子不二雄、誰もが知る作家が何人かいる。で、水木しげる先生も間違いなくその巨星の一人。私、この記念館を見てよく分かりました。
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この水木しげるロードでお昼ご飯にする。昭和感満載のレストランが営業中、頼んだシーフードオムライスは見たまんま卵ふんわりとろ~りの王道味で◎。
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境港を後にして米子市内へ。米子へは50分程。このJR境線で揺られてみることにする。車両にはやっぱり目玉おやじ、そして全16駅には全て妖怪名の別称がつけられていた。
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米子市内に入る。
米子に来たからには是非とも訪ねてみたいスポットがある。それは米子城跡。 -
米子城の起源は1591年天正19年吉川広家の築城に遡る。吉川広家は毛利氏の配下であったがその手腕を豊臣秀吉に評価されて秀吉養女の娘婿となり豊臣姓を下賜されたという。関ケ原の戦い後に広家は転封され駿河から入った中村一忠が城主となり城は完成。その後に何人か城主が代わり1632年から荒尾氏が城主になり11代に渡って管理。だが明治維新後に山陰随一と謳われたお城は解体されてしまった。従って現在は米子城跡。標高90メートルの湊山の上に石垣が残っている。
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天守があった山のてっぺん
ベンチと東屋以外今はご覧の通り何も無い。この何もない空間が逆に米子市民には絶好の癒しの場になっているようだった。 -
西側には宍道湖に水路でつながる中海
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南東方向には私が登ろうとする大山が裾野を広げている。一年に2回、2月20日頃と10月22日頃、大山山頂から太陽が昇り後光が指すような姿がダイヤモンド大山としてNHKでも紹介されたことがある。なるほど。ここって米子のキラースポットってことですね。
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米子城跡があった湊山を降りて加茂川が流れるエリアを歩いてみた。江戸時代に北前船の航路として栄えた米子、水運路や白壁の土蔵が往時の様子を現在に残していた。
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予約を入れた駅近の宿にチェックイン。この日の夜は海鮮丼を食べる。さて。大山登山を明日にするか明後日にするか、最終決断するタイミングである。両日とも降雨になる可能性はほぼ無い。最新の天気予報では明日よりも明後日のほうがより晴れそうだ、ということで私の行動計画は決定した。
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次の日
米子から大山とは反対方向にある島根県松江市にやって来た。松江駅前から路線バスで10分。松江と言えば日本屈指の名城がある。そうアレですよ。 -
松江城
お初にお目にかかります! -
松江城か、凛々しいなあ。
築城当時の天守閣が今なお現存するお城は全12城。その内、国宝指定を受けているのは全5城。松本城、犬山城、彦根城、姫路城、そしてこの松江城になる。 -
内部見学へ。失礼します。
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地階。入ってすぐの場所は領内から集めた塩を備蓄するための塩蔵。
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天守を支える最大柱
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鬼瓦
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この幅の狭い急階段を登って上階へ上がって行く
この階段って実用性の難度は極めて高い。おそらく転落事故頻発したであろうと推測する。 -
石落としの開口。城防衛のための必須設備だがエレベーター無しで石を上階に上げるのがなあ。お疲れ様です笑
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最上階 天守である。
天守をどれくらいの頻度で使用したかはわからないが自らの役目で一階から毎日ここまで上がってくる人がいたとしたらなかなかのご苦労じゃなかったかと。 -
天守窓から見える下界の眺望はこんな感じ。シジミ漁で名高い宍道湖が見渡せる。もちろん現代の高層ビルからの眺望とは比べるまでもないが、この視点の高さがまさに城主目線。下界を見下ろした時に毎日城下の釜戸から煙が上がっているかどうかを案ずる、それが名君に足るか否かの分かれ道。
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松江城おさらい
築城は1611年慶長16年。城郭建築の最盛期を代表するお城で築城主は藩主堀尾忠氏。構造は5階地下1階。現存12天守のうちで平面規模で2番目高さでは3番目の規模を誇る。松江城が国宝の指定を受けた背景は「包板(つつみいた)」という技法を用いるなどの特殊な建築構造と建築年を証明する「祈祷札」が再発見され歴史的価値が学術的に証明されたことによる(byAI先生)。
私、ぶっちゃけ特段のお城ファンというわけではない。今回、大山遠征登山のボーナス観光で松江城に立ち寄ってみたのだが、昨日の米子城跡も併せて実にいいものを見れた。松江城、ありがとうございました。 -
昼飯は松江市内で天ぷらを所望。この後は松江から米子に戻り地元路線バスを使って大山の麓にある大山寺に移動となった。
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15時前、バスは目的地の大山寺に到着。バスの発着場周りには大きな駐車場とビジターセンター的役割の事務所があるだけ。バス乗り場のすぐ近く、この坂道に数軒の宿泊施設が固まっているようだ。
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坂道を上っていくとちょいと小洒落た建物を発見。おお、これだ。私が宿泊サイトで予約を入れていた宿を発見した。
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チェックイン。この宿の客室は3室だけ。フレンチ料理を提供するレストランが宿泊施設を併設している宿で大山への登山者向けに素泊まりプランも用意している宿だった。なるほどね、大山ならば需要有り。私のような遠征登山者には前泊拠点として大いにお助けになる。
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翌朝。登山の準備を整えて出発。この日に照準を合わせた甲斐があったよ、青い空が覗いている!
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大山の登山はこの大山夏山登山道から。
肌で感じる空気は確実に秋。さあ、行くぞ。 -
登山道を入るとこの案内板。大山寺はかつては100以上の僧坊を擁する大寺院であった。大正3年にまだこの地にあった僧坊の蓮淨院に作家志賀直哉が宿泊し大山に登った。その体験をもとに「暗夜行路」の最終章を執筆したと書かれている。そうなのかあ。「暗夜行路」は高校生の時に読んでいた。とにかく重たい内容でかなり衝撃を受けた記憶が今も残っている。私、大山に登頂してもおそらく、いや間違いなく小説を書くことはできないんで、代わりの4トラ旅ログでお許しを笑
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登山道は実によく整備されていた。さすが大山、西日本を代表する秀峰である。山頂まで2.6キロ。
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標高表示も視認性完璧。私がこれまで登った山の中では過去一のクリアさだな。
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五合目に到達
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ここで初めて木の合間から眺望が抜ける。米子市街地と美保湾が見えた。
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そして小さな祠が
山ノ神に手を合わせる -
六号目の避難小屋に着いた。ここ、水場は無いが殆どの登山者が休息を入れるところ、そんな場所だった。
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眼下には日本海
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右手側に大山の北壁が立ちはだかっている。が、この時、北壁はガスに巻かれて全容が分からない。道半ばの天候に一喜一憂していたらキリがないのがお山なのさ。わかっちゃいるけどお願いだから山頂では晴れておくれ、果たして。
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1500メートル地点経過
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八号目に到達。ここから登山ルートは激変、大きな下りが始まりアップダウンしながら山頂へと向かって行く。
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山頂はまだガスに覆われている
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アップダウンはしっかりと木道がついている。大山は植生保護対策も抜かり無い。
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この高度、足元では紅葉が進んでいる。この色が見たかった。
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石室
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来ました、頂上はすぐそこに
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ジャジャーン🎉 大山山頂、弥山デス!
1709メートル、ここが中国地方の最高地点になる。到着おめでとう👏 -
山頂には日本海を見渡せる階段テラスが設置されていた。登頂者みんながここでザックを下ろししばし達成感に浸れる、いやあ素晴らしい。
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私が登頂した時にまだガス残りだった山頂はどんどんガスが消え始めやがて眼下の景色が綺麗に浮かび上がっていった。すぐ下に頂上避難小屋、んで米子市街地と日本海が一望。体感気温は20℃前後、爽快感この上無く、皆さまにお裾分けしたくなるそんな気分に。
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大山山頂パノラマ劇場。ただひたすら目の前の景色をボーッと眺める、そんな時間をゆっくり味わう。もちろん時間制限は無く、好きなだけここに居てもいいんだよ~なんですけど、去り際は自分で決めるしかないな。
じゃそろそろ降りますか。下山路へ。 -
山頂下にびっしりと根づいていたのがこの低木の常緑樹、ダイセンキャラボク。秋になって赤い実をつけている。学術的に貴重であることから天然記念物に指定されており大山は日本最大級の群生スケールなんだそうである。登山ルートにかなりの割合で木道を敷設しているこの大山、保護対象の一番手がこのダイセンキャラボクである。
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八号目までの下山路は眺望全開の日本海ビューになる。これがまた清々しい。
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六号目避難小屋まで下降して休憩。今度は大山の北壁がハッキリと。
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10月1日だからね、そりゃまだまだ紅葉ピークには早過ぎる。でも私は先取り感が好きなんだ。
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2本ある登山コースの分岐点。登ってきた夏山登山口ではなく行者登山口、コチラを使って下ってみよう。
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この行者登山口ルート、鬱蒼としたブナ林の急坂を下って行く。そして登ってくる登山者がまるでいない。なるほどなあ、敢えて登りで使うのはシンドいかもなあ。分かる。
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だが、この下り、だんだん楽しくなってきた。
なんか螺旋階段をグルグル下りているような感じがする。私の頭の中にあの楽曲が鳴り出していた。そうです、ビートルズ ♫Helter Skelter -
突然として森が途切れこのガレ場に飛び出た
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開けたガレ場で一瞬進行方向を見失って焦る。が、冷静に全方位を見渡すと、ピンクテープ発見。こっちやな。
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青々とした見事なブナ林をくぐり抜けて行くと
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建屋が現れた。登山道の出口だ~
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行者登山口の出口に建っていたのは大神山神社奥宮(おおがみやまじんじゃおくのみや)。創建は平安時代の後期とされ現存する社殿は1805年の再建。堂々たる社殿で国の重要文化財に指定されている。本社は米子市内にあり写真で見てみたのだがこの奥宮のほうがはるかに立派である。
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奥宮から大山寺がある中心部に繋がる参道が破格に長かった。ほぼ直線700メートルの自然石の参道は日本一の長さとのこと。
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大山寺の宿が集まる一本道、数えるくらいしかない飲食店の中で平日この時間に営業している店を発見してしまった。こりゃ運命だな。入らないと。
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や、や、やるな お主
お店に入った瞬間にたじろぐほどのタイムスリップ感。これほど時間の流れを封じ込めたお店が現役で存在するとは。。大神山神社奥宮が重要文化財であることに異論は無いが、私的にはこのお店も負けず劣らず重要文化財指定である。 -
店を切り盛りしていたのは80代に差し掛かったと思しきご夫婦。私にメニューを差し出して嫌な顔ひとつ見せず一人だけの客に応対してくれた。頼んだカレーうどん、刻み海苔とかまぼこのトッピングにはこれまで出会ったことがない。私もまだまだ修行が足りないってことなんだなぁ。
大山寺式秘伝のカレーうどんの味を噛み締める私に昭和50年代登山ブームの時代に大山の頂上が踏み荒されてしまったこと、その後に大山の植生保護機運が高まり一木一石運動が始まって山頂の自然が再生したこと、この地に来るまで知る由もなかった大山ヒストリーをご主人が語り部のように教えてくれた。私はお代を払っていつもより少し丁寧にお礼を言って店を出た。カレーうどんのお代は700円。泣けた。いろんな意味で。 -
大山寺から米子市内へ走る路線バス待ちの間、大山を見上げる。地元の方々は大山のことを親しみと畏敬の念を込めて大山さん、と呼ぶらしい。実際に登ってみて、大山さんと呼ぶ理由がちょっとわかったような気がする。大山さんこれにて見納め。これから米子に戻って鬼太郎空港発最終羽田便で東京に帰る。今回の遠征登山で西日本の名峰を体験できたことは大きな収穫になった。手間はかかるし天候リスクはより高くなる。だがお山の楽しさはそれを超えると。大山さんに学ばせていただきました。
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