2026/04/01 - 2026/04/01
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ペコちゃんさん
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4月の〇〇会は、例年なら近くの稲荷山公園(ハイドパーク)で花見会ですが、今年は趣向を変えて赤羽にある「赤羽桜堤緑地」の桜を鑑賞・・・『せんべろの街』として有名な赤羽は、一度訪れたかった街です。
東京都北区の北部に位置する赤羽・・・北側には荒川が流れ、新荒川大橋を渡れば対岸は埼玉県川口市(荒川町・舟戸町)。
江戸時代には、日光御成道(岩槻街道)沿いの岩淵宿(赤羽の東側)が宿場町として賑わいを見せ、本陣・脇本陣や旅籠が置かれていましたが、明治時代に鉄道が敷設されたのは岩淵ではなく赤羽・・・これにより赤羽は王子と共に北区の代表的な街に発展してきました。
赤羽の北側を流れる荒川は、岩淵の辺りで隅田川と分かれますが、写真は、荒川と隅田川を仕切る「旧岩淵水門(赤門)」。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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かつては地上駅だった赤羽駅・・・1979年から西口の再開発が始まり、1990年から駅や付近の線路の高架化工事と立体交差化工事を開始して、約8年かけて完全高架化されました。
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いつも工事中の印象だった赤羽駅・・・東口に出ると、ロータリーに春の花々が咲き乱れています。
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花壇の右側には「母子像」・・・交通安全を願って1985年に設置されました。
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最初に「赤羽八幡神社」に参拝します。
東口から北方向へ進み、ガードをくぐって西側に回り、更に北に向かうと境内があります。
赤羽駅から北に延びる鉄道は神社の手前で二手に分かれ、川口に向かう京浜東北線や高崎線などは神社の東脇を通っていますが、戸田に向かう新幹線や埼京線は、何と神社の下を通り抜けています。 -
この急坂は神社の駐車場に向かう車道(裏参道)で、右側の高架は神社の真下に造られた「赤羽台トンネル」に続いています。
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新幹線が境内下を通過する、全国でも例がない赤羽八幡神社・・・新幹線の高架下をくぐって表参道に行きます。
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昭和2年に建立された「一の鳥居」。
赤羽八幡神社は延暦3年(784)坂上田村麻呂が東夷征伐の折に、この地に陣を張り八幡三神を勧請して武運長久を祈ったのが始まりとされ、以後、鎌倉・室町・江戸時代と武士の信仰を集めました。 -
56段の石段を登ると「二の鳥居」があり、社殿の真正面に出ます。
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石段の上端付近の左側の壁面には、東北新幹線工事に伴う神社の神域整備完成記念の石板があります。
『昭和五十六年、八幡神社神域内に新幹線建設工事という、創建以来、未曾有の難問に直面し、神社並びに役員は時代の趨勢を認識し、幾多の障害を克服して同年通過を承認、昭和六十三年三月竣工し新幹線開通。
これを機に、参道大鳥居及び本殿・神楽殿・神輿庫・社務所を新築、拝殿を改修し、石段回り築庭の全工事を完成。
茲に神域一新を記念し、神社の隆昌と繁栄を祈念し、神社役員が碑に名を刻し、永くその労を顕彰す。 平成三年九月吉日』 -
満開の桜と手水舎。
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天気はイマイチですが、神社と桜のコラボは、なかなかのもの。
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赤羽八幡神社の社殿は大正12年の関東大震災で倒壊し、現社殿は昭和6年に再建されたものです。
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拝殿の前に鎮座する狛犬は、昭和63年に奉納されたもの。
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向拝の木鼻の彫刻も、なかなかのもの。
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拝殿の脇障子の彫刻。
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拝殿内部。
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駅の表示板のような案内板・・・左は心願成就、右は身体健全の赤羽八幡神社。
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社殿の右側にある神楽殿。
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社務所は境内の一段高いところにあり、その下に東北・上越新幹線のトンネルが造られました。
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いろんなおみくじがあります。
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高台にある社務所からは境内の様子がよく分かります。
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社殿の左側に祀られた境内社。
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長屋のような境内社は、左から大国主神社・疱瘡神社・稲荷神社・住吉神社・大山神社・阿夫利神社・御嶽神社・北野神社。
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右側には北野神社ゆかりの「撫で牛」と、子宝の御利益がある金精石。
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「伊勢奉拝記念の碑」と沢山の狛狐。
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境内の南端に建つ「神域整備記念碑」。
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その先からは、左側に京浜東北線・宇都宮線・高崎線、右側に埼京線・新幹線と線路が分かれているのがよく分かり、両方の列車が見れるので、鉄道ファンに人気のスポットです。
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裏参道からも新幹線が赤羽台トンネルに入ったり出たりするところを見ることが出来ます。
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赤羽八幡神社の参拝を終え、赤羽一番街を通って赤羽桜堤緑地へ向かいます。
赤羽一番街商店街は、戦後間もない1946年に赤羽復興会商店街として発足し、400mの通りにおよそ100軒が軒を連ね、そのうち4割が居酒屋・・・朝から開いている店が多く、今では昼飲みや立ち飲みが楽しめる ” せんべろ街 ” として人気のスポットにもなっています。
帰りに、ここに立ち寄るのも、今回のお楽しみの一つ。 -
一番街を通り抜けて荒川に向かうと、環八通りに出ました・・・ここ岩淵町が環八の終点・起点とは知らなかった!
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環状八号線(通称:環八通り)は、羽田空港から世田谷区・杉並区・練馬区・板橋区を経由して北区岩淵町に至る環状(実際には半円状)の都道です。
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環八から更に北に向かうと「新河岸川」があり・・・
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その先には「荒川」が流れています。
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赤羽の花見スポット「荒川赤羽桜堤緑地」は、荒川と新河岸川に囲まれた中洲の土地に整備されている緑地・・・ここには108本の桜が植えられ、丁度、今が満開の時期です。
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案内図を見ると、左側に東京と埼玉を繋ぐ「新荒川大橋」、右側を見ると荒川と隅田川に分かれ、墨田川は新河岸川と合流しています。
河川敷には野球場やサッカー場があり、ジョギングやサイクリングに格好の場所となっています。 -
新河岸川・荒川と2つの川に架かる「新荒川大橋」・・・岩淵町と川口市を繋ぐ国道122号(岩槻街道・北本通り)の橋で、上り・下りの2つの橋からなり、竣工時期は下り線が1966年、上り線が1970年です。
かつては「岩淵の渡し」「川口の渡し」の渡船で対岸を結んでいましたが、明治38年に11艘並べた船の上に板を渡した舟橋が架設されて渡しは廃止され、舟橋も新荒川大橋の架設により昭和3年に廃止されました。 -
新荒川大橋の少し上流に架かる「荒川橋梁」・・・初代橋梁は木製で、日本鉄道・上野~熊谷間の開通に合わせて明治16年に架けられました。
現在の橋梁は、京浜東北線や高崎線など輸送力増強のため、1968年に3複線で供用が開始された3代目です。 -
対岸の川口にある埼玉県最高層ビルの「エルザタワー55」と「エルザタワー32」。
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桜を鑑賞しながら下流にある岩淵水門の方に進みます。
東京湾へ注ぐ隅田川の上流部は、かつては旧入間川でしたが、江戸時代の瀬替えで荒川の本流となり、昭和初期までは今の隅田川に荒川が流れ、たびたび氾濫し大きな被害を出したことから、人工的に流路を変更することになり、大正13年に約22kmもある荒川放水路が造られました。 -
荒川と隅田川を仕切る岩淵水門・・・新旧2つの水門があり、左の旧水門は赤水門、右の新水門は青水門と呼ばれます。
この水門は、荒川上流からの水流が増えた場合に閉めて、隅田川の洪水を防ぐための水門で、平常時は水門を開け、荒川と隅田川・新河岸川とを繋いでいます。
1964年の河川法改正により、荒川放水路を荒川の本流と定め、岩淵水門から下流の荒川は隅田川と定められました。 -
赤水門(旧岩淵水門)は大正5年から8年の歳月をかけ、大正13年に完成しました。
水門の設計・施工に尽力した青山士(あきら)氏は、パナマ運河建設に参加した唯一の日本人技術者で、帰国後、荒川放水路の工事を指揮します。
9m幅のゲート5門で構成された水門は、1960年に通船のために右側の5番ゲートが改造されました。 -
青水門は赤水門の後継として、1982年に旧水門の300mほど下流に作られました。
10m幅のゲート3門で構成され、閉鎖にかかる時間は約45分ですが、電気が無くても自重で降下するようになっています。 -
赤水門は完成以来、2m以上の地盤沈下や左右岸の不等沈下が発生するなどの問題に悩まされましたが、新水門の完成でその役割を終え、地元民の要望などから保存されることになりました。
水門の下流側は歩行者・自転車専用橋として開放されており、川に囲まれた中之島(水門公園)に渡ることが出来ます。 -
赤水門の近くに「攝政宮殿下御野立之跡碑」があります。
当時23歳の攝政宮殿下(後の昭和天皇)が大正13年10月25日に、荒川放水路の通水後の様子をこの場所から視察されました。 -
青水門も下流側に橋が架けられています。
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土手の回りは満開の桜・・・まさに桜堤緑地ですね。
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“ 桜のプロムナード ” と呼ばれて親しまれる桜堤緑地。
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今日も多くの花見客で賑わっています。
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新河岸川の起点は川越市上野田町の八幡橋付近で、荒川に平行するように流れ、岩淵水門(青水門)から先は隅田川となって東京湾に注いでいます。
新河岸川は、川越藩主・松平信綱公が、川越大火で焼失した喜多院に江戸城・紅葉山にあった別殿を移築するために整備したことが始まりで、後に江戸と川越を結ぶ舟運ル-トとして栄えました。
喜多院に残る家光公誕生の間と春日局化粧の間は、かつての江戸城の唯一の遺構となっています。 -
新河岸川に架かる「岩淵橋」・・・1979年に架橋された人道橋。
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岩淵橋のたもとに鎮座する「八雲神社」。
一の鳥居は大正6年の建立です。 -
江戸時代には牛頭天王社として崇敬され、日光御成道の岩淵宿の鎮守でした。
現在は、最初に参拝した赤羽八幡神社の兼務社となっています。 -
境内に咲く、美しいシダレザクラ・・・その先にある二の鳥居は、大正14年の建立。
社殿のある敷地は、大水の際に建物が水に浸からないよう盛土をした上に建てられている水屋造り。 -
シダレザクラの先にある手水舎。
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手水舎の反対側にある植栽。
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その一角にある「岩淵町名存続之碑」・・・昭和37年5月に「住居表示に関する法律」が制定され、歴史的な地名が次々に消えていく中で、岩淵も赤羽に変えられることになりましたが、岩淵町1丁目の住民が町名存続運動を続けた結果、旧岩淵町の北端だけが岩淵町として残されることになりました。
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八雲神社の創建年代は不詳ながら、江戸時代後期には「牛頭天王社、宿ノ鎮守トス、正光寺持」との記録が残され、今でも(牛頭)天王さまとも呼ばれています。
左右の狛犬は明治33年の建立。 -
かつての社殿は大正12年の関東大震災で倒壊し、氏子達の寄進により昭和2年に再建されました。
祭神には須佐之男尊(すさのおのみこと)が祀られています。 -
向拝の彫刻も、なかなか見事です。
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拝殿の左隣にある神楽殿。
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境内にはスダジイや・・・
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イチョウの巨木があります。
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境内末社の「水神社」・・・かつては新荒川大橋のたもとにあり、舟運業者から篤く信仰されていましたが、河川敷整備のため、ここに移転されました。
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祠の右側には「寛政十二庚申正月吉日」と刻まれています。
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八雲神社から赤羽駅前に向かう途中の交差点(赤羽1丁目)の一角にあるビルを見ると、週刊新潮の表紙絵で知られた谷内六郎の絵が目に留まりました。
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建物壁面に描かれたモザイク壁画「砂山」・・・昔は、この建物の1階に本屋があったそうです。
また、この交差点は都電赤羽線の終着駅「赤羽」があった所・・・王子まで路線がありましたが、昭和47年に廃線となりました。
昭和の足跡・記憶として、この壁画だけはいつまでも残して欲しいですね。 -
赤羽駅東口にある『赤羽一番街商店街』・・・飲食店の数は北区の中でも随一で、千円でべろべろに酔える「せんべろの聖地」として知られています。
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その中でも「赤羽一番街シルクロード」はアーケードがあるエリアで、独特の雰囲気とともに赤羽の飲み文化を象徴するスポットになっています。
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昼間はシャッターを閉めている店もあるので、アーケード街を一通りチェック。
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駅に近い「きぶんや本店」に入りました。
さすがに「せんべろ」の街・赤羽・・・昼前から多くのお客さんが入っています。 -
当店の「せんべろ」は、ビール・ウィスキー・日本酒・焼酎などが3杯で千円・・・これは安い!と思ったのですが、当店のルールはグループ全員が「せんべろ」でないとダメ。
仲間にお酒を飲まない・飲めない人がいるので、折角の「せんべろ」は諦めて、お酒は個別にオーダー。 -
今回の参加者は8名・・・お酒が飲めても飲めなくても、仲間との楽しいひと時でした。
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