2025/10/23 - 2025/10/23
182位(同エリア2203件中)
愛吉さん
小江戸川越蔵の街、江戸から続く蔵の街を生涯大学OB会のメンバーと歩きました。
スタートは西武新宿駅、9時40分の特急に乗車、本川越着10時25分。
駅からは歩いての観光です。
喜多院~蔵造りの街~時の鐘~川越城本丸御殿の順に回ります。
川越藩は家康江戸入府以来、江戸北辺の守りとして、代々親藩、譜代が努め、維新時の藩主は松平家8万4千石でした。
川越は江戸に近く、街道筋で船運にも恵まれ、物資の集散地となり、小江戸と呼ばれる繁栄を築きます。
明治26年の大火以降は蔵造りの商家が建ち並び、現在の街並みとなりました。
それでは歩いて観光スタート。
表紙は時の鐘
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
仙波東照宮。
駅から15分程歩いて到着しました。 -
神門を潜ると、立派な鳥居が。
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しかし拝殿前は、門に鍵が掛かり入れません。
貼紙も有りません、どうしたのでしょう。 -
仕方なく、境内が続く喜多院へ。
天海大僧正の木像を安置する慈眼堂。
1645年建立。国の重要文化財。 -
奥には大黒天を祀る大黒堂。
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本堂、慈恵堂。
1639年再建。厄除けの川越大師として信仰を集めます。 -
本堂正面。
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客殿へ回ります、正面式台。
1638年、将軍家光の命により、江戸城紅葉山の御殿を移築しました。 -
庫裏。
客殿と書院の拝観は此処から。
それでは入場。 -
建物内部は撮影禁止。
客殿には家光公誕生の間、書院には春日局化粧の間が残されています。
これは客殿縁側より見た庭の一部。 -
境内に建つ多宝塔。
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お地蔵さんも居られます。
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一隅には五百羅漢像。
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中央高座には釈迦如来、両脇に普賢菩薩と文殊菩薩、合計で538体居られます。
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これらの像は、1782年から1825年の約40年を掛けて造られました。
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売店に並ぶ人形。
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次は蔵の街を目指します。
成田山別院前を通過。 -
熊野神社前を通過。
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街中には、こんなモニュメントもあります。
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蔵造りの街に到着。
明治26年の大火後に防火の為に造られました。 -
立派な蔵造りの商店街。
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未だ続きます。
1軒1軒趣が異なり、それなりの風情を醸します。 -
時の鐘が見えて来ました。
寛永時代から続く時の鐘です。
現代の鐘楼は、明治27年の大火後再建されたもの。
現在でも1日4回(6時、正午、15時、18時)鳴らされます。 -
ではアップで。
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川越城本丸御殿に来ました。
川越藩は代々親藩、譜代が勤め、幕府の要職を担当する為、江戸常府。
従い地元に藩主の住まいは有りません。
御殿といっても、留守居の城代家老が政務を行う事務所なのです。 -
一番奥の上段の間もこの質素さ。
床の間のある部屋も此処一間のみです。 -
本丸御殿を出ると、向うに三芳野神社、傍にわらべ唄発祥の処の碑。
通りゃんせ、通りゃんせ、ここは何処の細道じゃ、で始まるわらべ歌発祥の地碑。
この歌は、江戸末期から巷間謳われており、作者は不詳。
発祥の場所としてもこの地の他、小田原その他が名乗りを上げています。 -
三芳野神社。
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本丸御殿から5分程歩いて、中の門堀跡。
白壁は中の門の白壁になります。 -
蔵造り通りに戻って来ました。
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再び時の鐘前。
これで川越に別れを告げ、駅に向かいます。
昔を偲ぶ想い出が出来ました。
終
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