2023/10/01 - 2023/10/03
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今回も阪急交通社トラピックスのツアーです。
<1日目> 10月1日(火)
自宅===静岡駅7:18→→→こだま767→→→9:51新大阪駅======◎姫路城(100分)======△明石海峡大橋======淡路島・○伊弉諾(いざなぎ)神宮(20分)======鳴門温泉<17:30着>(アオアヲ ナルトリゾート 泊)
(× × 夕)
<2日目> 10月2日(水)
ホテル(8:00発)======鳴門うずしお観潮船(30分)======栗林公園(50分)======讃岐うどんの昼食(讃岐麺業)======高松港~~~~~フェリー(60分)~~~~~小豆島・土庄港======平和の群像======小豆島オリーブ園(30分)======エンジェルロード(20分)======(ベイリゾートホテル小豆島 泊)
(朝 昼 夕)
<3日目> 10月3日(木)
ホテル(8:00発)======紅雲亭駅≒≒≒≒<寒霞渓ロープウェイ>≒≒≒≒山頂駅……寒霞渓(日本三大渓谷美)======小豆島・土庄港~~~~フェリー(70分)~~~~新岡山港======倉敷美観地区(自由昼食含む:120分)======新大阪駅19:51→→→こだま760→→→22:04静岡駅===自宅
(朝 × ×)
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.0
- ホテル
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
<1日目> 10月1日(火)
7:18発の新幹線で静岡から大阪へ。 -
9:51に新大阪駅に到着し、観光バスに乗り出発しました。
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山陽自動車道を西へ向かいます。
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三木SAでトイレ休憩です。
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姫路城に到着しました。
姫路城はその400年の歴史の中で、戦にまみえることなく、近代の戦災に遭うこともなかった、たぐいまれな城です。
天守や櫓、門などの保存状態が非常に良いうえに、ほかに類例のない遺構も多く、極めて貴重な文化遺産となっています。 -
姫路城の正面玄関にあたるのが、高麗門形式(防御を高める工夫がされた門)で造られた「大手門」で、かつては三重の城門からなり、城内で最も格調が高い厳重な門として、重要な役割を担っていました。
残念ながら「大手門」は明治時代に取り壊され、1938年に新しく建築されたものが現在の「大手門」です。 -
姫路城の象徴とも言える「天守」は、国宝に指定され、「大天守」と3つの「小天守」を渡櫓(わたりやぐら)で連結した「連立式天守」となっています。
「大天守」は、江戸時代から残る「現存12天守」で最も高い約31.5mを誇ります。
小天守は、それぞれ「西小天守」「乾(いぬい)小天守」「東小天守」と呼ばれています。
5重6階の大天守と3つの小天守が渡櫓でつながり、幾重にも重なる屋根、千鳥破風や唐破風が、白漆喰総塗籠造の外装と相まって、華やかな構成美をつくっています。 -
菱の門は櫓門と呼ばれる型式の二の丸の入口を固めた門で、両柱の上の冠木に木彫りの菱の紋のあることから、この名前が付いています。
門全体に安土桃山時代の様式を残しており、城内で最も大きな門です。 -
羽柴秀吉が城の石垣の石が集まらず、苦労しているという話が広まっていました。
城下で焼餅を売っていた貧しい老婆が、それを聞いて古い石臼を差し出しました。
これを知った秀吉は大変喜び、石臼を現在の乾小天守北側の石垣に使いました。
これが姥が石とよばれるもので、石の上に網がかぶせてあります。
この後、人々が競って石を寄進するようになった為、工事が順調に進んだといわれています。 -
大天守に上がりました。
城内や市内の様子が一望できます。 -
化粧櫓が見えています。
西の丸長局より男山を拝んだ千姫が、この櫓を休息所としたので、この櫓を化粧の間、または化粧櫓と呼んでいました。 -
大天守は、「地階から2階まで」と「3階」「4階」「5階から6階まで」の4つのブロックで構成され、それぞれは 井桁の上に櫓やぐらを組んだ頑丈な造りになっています。
各ブロックの縦の柱の位置はまちまちで、このままだと横揺れの心配 が出てきます。
その弱点を 補おぎなうのが「心柱」で、高さ24.8m 、根元の直径 0.95mもある東西2本の心柱 が、地 階から6 階の床まで 大天守の中央 部を貫き、各ブロックが心 柱に絞り込まれるように組み上げられ、横揺れを防げるようになっています。 -
天守閣の最上階に刑部(おさかべ)神社という小さな祠(ほこら)があります。
そこには、有名な宮本武蔵と妖怪伝説が関係しているという言い伝えがあります。
ある夜、天守を上る武蔵に、炎と地震のような揺れがごう音とともに襲ってきたが、武蔵が「おのれ妖怪、退治してやる」と腰の刀に手をかけると静まりかえります。
最上階にいる武蔵が、妖怪が現れるのを待ち、うとうとしていると、そこに城の守り神「刑部姫」が現れ、妖怪退治の褒美として宝剣を授けたのだとか。 -
城郭建築では外観の屋根の数が「重( 層)」、内部の床の数が「階」。
大天守も外観は5重ですが、内部は地下1階と地 上6階の7階建てになっており、5重7階建てです。 -
シャチホコは姿は魚で頭は虎、尾ひれは常に空を向き、背中には幾重もの鋭いとげを持っているという想像上の動物で火事による焼失を避けるため、時代により形は多少異なりますが、守り神として大切にされてきました。
一般的なシャチホコは、オスとメスの2体が対になってることが多いですが、姫路城のシャチホコは、どちらもメスという珍しいシャチホコです。 -
大天守は天守台の東南隅に位置し、外観5重・内部は地下1階・地上6階の造りになっていて、最上階の大棟両端には阿吽一対の大鯱瓦を飾っています。
外観は千鳥破風・大千鳥破風・唐破風を組み合わせ、調和のとれた非常に美しいものになっています。 -
三国堀は菱の門内にある空堀、二の丸の本道と間道の要所をおさえる重要な位置にあります。
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お菊井戸。
播州皿屋敷のヒロインお菊が責め殺されて投げ込まれたと言われる井戸で、もとは釣瓶取(つるべとり)井戸と呼ばれていました。 -
備前門の入り口脇には大きな直方体の石が縦に積まれています。
これは古墳に埋葬されていた石棺で築城の際に石垣に転用されたものです。
このように古墳の石棺が積石として転用されているのが、姫路城の石垣の特徴です。 -
西の丸跡は天守を西から扇ぐ位置にある千姫ゆかりの施設です。
平時には女性の空間として生活を支えながら、戦時には防御施設としての性格も兼ね備えており、それぞれの目的に応じた遺構や復元物を見ることができます。 -
姫路城 リの一渡櫓へ入場しました。
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姫路城の百間廊下は、西の丸の外郭を囲むように続く約240mの長い廊下です。
西の丸の櫓群と長局をつなぐ渡櫓で構成されており、防御機能を担っています。 -
西の丸 百間廊下の説明がありました。
「千姫ゆかりの西の丸櫓郡」ワの櫓から化粧櫓まで240mの長い廊下が続く長屋群を百間廊下と呼び、江戸時代の城郭に不可欠な建物です。
倉庫にも住居にも更に防御施設として機能する上、構造も単純で解体して移築することも容易でした。 -
「千姫姿絵」(茨城県常総市 弘経寺蔵)を元に忠実に復元した千姫の打掛と小袖、およびその夫・本多忠刻の胴服と小袖を解説グラフィックとともに展示していました。
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リビングヒストリー事業で制作した大名行列調度品28点を展示し、映像や解説板等で大名行列の豆知識を交えつつ、姫路藩の大名行列を紹介しています。
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内堀の和船観光船が見えました。
船に乗りながら、姫路城を説明付きで堪能できるそうです。 -
西の丸北門跡から最後に姫路城を一瞥して、次の観光場所に向かいました。
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明石海峡大橋を渡ります。
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大観覧車で有名な淡路SAでトイレ休憩です。
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伊弉諾(いざなぎ)神宮に到着しました。
淡路市にある伊弉諾神宮では、夫婦円満、安産子授、縁結びなどの利益があるとされています。 -
『古事記』・『日本書紀』の冒頭「国生み神話」に登場する、国生みの大業を果たされた伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)の二柱をお祀りする神社です。
『古事記』・『日本書紀』に記載がある中では全国で最も古い神社で、淡路国一宮として古代から全国の掌敬を集めています。 -
放生の神池(ほうじょうのみいけ)は聖域の周濠の遺構といわれる神池。
生命を司る御祭神を称へ奉り病気平癒を祈る命乞ひに「鯉」、快癒報賽に長寿を願って
「亀」を放つ習俗があるそうです。 -
切妻平入一間一戸四脚門は、豪壮な構えで、檜皮葺の瓦棟とし、神威を誇示するような景観を感じさせられます。
1883年までは随身像を置く三棟造でありましたが、明治期の大造宮で現状に改修されました。
1998年の震災復興事業で、左右に授与所棟(東・西)が造設されました。 -
さざれ石(細石)は細かい石・小石のことで、その集まりが炭酸カルシウム(CaCO3)などにより埋められ、1つの大きな石の塊に変化し、巌(いわお)となった状態のものが”さざれ石”と呼ばれるそうです。
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本殿の右側には樹齢900年を越すといわれる『夫婦の大楠(めおとのおおくす)』があり、兵庫県の天然記念物に指定されています。
元は二株だったものが、結合して一株に成長したという珍樹で、天地創造の神であるイザナギ(男神)・イザナミ(女神)の二神が宿る御神木として信仰されており、安産・子宝子授けや夫婦円満の御利益があるとされます。 -
拝殿 (1882年築)。
入母屋造り四方縁組の品格高い建物で、当初は檜皮葺で舞殿を兼ねて板床、菱格子犬垣仕切でした。
現在は一部板壁、蔀戸しとみ、引戸、畳敷、銅板一文字葺に改築されています。 -
延壽宮という池の中に建つ小さな神社がありました。
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弉諾神宮 神橋から見える伊弉諾神宮 二の鳥居。
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伊弉諾神宮の西鳥居から退出しました。
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鳴門温泉のアオアヲ ナルトリゾートに向かいます。
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アオアヲ ナルトリゾートに到着。
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部屋は広く、綺麗でした。
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ホテルのレストランで夕食です。
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バイキングは自分で料理を運ばなければならないのが面倒でした。
落ち着いて食事が出来ません。 -
食後は阿波踊りを見て楽しみました。
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<2日目> 10月2日(水)
ちょっと雲がかかり、日の出はいまいちでした。 -
うずしお観測船「わんだーなると」に乗って、鳴門の渦潮を見に行きます。
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大鳴門橋の真下を通り過ぎます。
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ちょっと迫力に欠けますが、「うずしお」を見ることは出来ました。
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低い山が連なる四国の道を進んでいきます。
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栗林公園(りつりんこうえん)に到着しました。
16世紀後半には地元豪族・佐藤氏の小さな庭でしたが、1631年頃にこの地を治めた生駒家の家臣・西嶋八兵衛による治水工事により、広大な庭園の基礎が築かれました。庭造りは初代藩主・松平頼重に引き継がれ、5代目・頼恭(よりたか)の時代に完成。以来、歴代藩主が修築を重ね、明治維新に至るまでの228年間、高松松平家の下屋敷として使用されていました。 -
1875年には県立公園として一般に公開され、1953年に「特別名勝」に指定されました。明治終わりの高等小学読本によると、栗林公園は「日本三名園」とされる水戸の偕楽園、金沢の兼六園、岡山の後楽園よりも「木や石に風雅な趣がある」と記されているそうです。
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栗林公園の中央に佇む「栗林公園商工奨励館」。
起源は、松平藩主の別荘・桧御殿跡に建てられた「香川県博物館」です。
「商工奨励館」は、香川県の文化・芸術・産業の情報発信の拠点として、明治・大正・昭和・平成と100年以上の時を刻みました。
2015年、「讃岐迎賓館」として新たな出発をしました。 -
大きく横に枝を広げた黒松は、「鶴亀松」。
110個の石を組み合わせた岩組は亀を連想させ、鶴が羽を広げたような美しい松と共に縁起が良いとものとされています。 -
広大な敷地に6つの池、13の築山を有する栗林公園は、江戸時代初期の大名庭園として地割り石組みを有する南庭、明治以降に近代的な公園として整備された北庭にわかれています。
池の周りを散策できるように造られた大名庭園は、広い園内を回りながら様々な景色を楽しめるのが魅力です。
散策していると立派なコイが見られました。 -
富士山に見立てて造られたといわれる築山「飛来峰」から見る偃月橋と南湖は、園内随一の眺めです。
庭園の外の山や樹木などの風景を庭の一部として取り入れる借景の手法を取り入れた栗林公園では、庭園の西に位置する紫雲山が、背景として重要な役割を果たしています。 -
歴代藩主が大茶屋と呼び、こよなく愛した掬月亭(きくげつてい)が池の向こうに見えています。
17世紀後半に建てられたといわれている「掬月亭」は、「水を掬(すく)えば月が手にある」という中国唐代の詩の一節から名付けられました。
園内のどこからでも出入りができるよう、四方に正面がある数寄屋造りの建物で、歴代藩主はこの建物をこよなく愛したそうです。 -
偃月橋(えんげつきょう)を渡っていると、和船が通り掛かります。
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掬月亭の脇にそびえる根上り五葉松。
高さ約8m、幹の周りの太さは約3.5mにもなる松の巨木で、1833年に高松藩の松平頼恕(よりひろ)が、徳川11代将軍の家斉からいただいた鉢植えの盆栽を庭に植えたところ大きく成長したものと伝えられています。
松が多い栗林公園でも五葉松はこの1本だけです。 -
旧日暮亭(きゅうひぐらしてい)は2代藩主・松平頼常公の時代に建てられたと言われる茶室「考槃亭(こうはんてい)」が現在の日暮亭の場所に移築されました。
1871年に一度園外へと売却されましたが、終戦間近に有志の手で再び園内へと戻されことで戦火を免れました。
古い茶室の形態を残す貴重な建物です。 -
園内には似た名前の茶室「日暮亭(ひぐらしてい)」もあります。
日暮亭は旧日暮亭が園外にあった1898年に建てられた石州流の茶室です。
いずれも栗林公園と茶の湯の繋がりを伝えています。 -
讃岐麺業という店で昼食です。
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讃岐うどん定食は量は多かったですが、味は普通でした。
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フェリーで小豆島へ渡ります。
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高松港を出港しました。
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小豆島の土庄港に到着します。
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小豆島の玄関口、土庄港・緑地公園には小豆島出身の作家壺井栄の不朽の名作である「二十四の瞳」のブロンズ像があり、島に到着した人々を迎えます。
このブロンズ像には平和と幸せを求める永遠の願いが込められています。 -
100m程離れた港の海岸にはオブジェ「太陽の贈り物」があります。
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日本ではオリーブは、小豆島で1910年ごろに初めて栽培に成功しました。
今では島のあちこちでオリーブの樹を見ることができます。 -
オリーブの実が沢山見られました。
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エンジェルロードは、潮の満ち引きで砂の道が現れたり消えたりする小豆島の人気観光スポットです。
エンジェルロード手前に、展望台への登り口があります。 -
階段状の道を2分ほど登れば頂上に行けます。
エンジェルロードを眺めながら幸せの鐘を鳴らすことができます。 -
エンジェルロードは、干潮時間の前後に現る道で、歩いて島に渡ることができます。
夕日が沈みかけています。 -
エンジェルロードは「大切な人と手をつないで渡ると願いが叶う」と言われている道ですが、私は一人で渡ります。
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中余島に着きました。
周囲は岩場が多く崩落の跡などがあります。 -
中余島側から見たエンジェルロードです。
弁天島から中余島までは180mほどの距離があります。 -
ベイリゾートホテル小豆島 に着きました。
部屋はシンプルな和室です。 -
夕食はホテルのバイキング。
飲み放題でしたが、バイキングはどうも落ち着いて食べられません。 -
<3日目> 10月3日(木)
朝、ホテルの窓からの眺め。 -
寒霞渓(かんかけい)ロープウェイ乗り場に到着しました。
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小豆島のほぼ中央に位置する寒霞渓は島の最高峰星ヶ城山と四方指しの間にある渓谷です。
寒霞渓は、約1300万年前の火山活動によってできた安山岩層や火山角礫岩層などの岩塊が、長い年月の地殻変動や風化・侵食によって絶景を創りあげたものです。 -
深い渓谷を行くロープウェイから望む、瀬戸内海の素晴らしい景色。
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山頂駅に到着しました。
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山頂からの眺めです。
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再びフェリーで岡山県に戻ります。
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倉敷美観地区で2時間の自由行動です。
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大原美術館は930年に設立された日本初の私立西洋美術館です。
本館にはエル・グレコ作『受胎告知』やクロード・モネ作『睡蓮』、ルノワール、ゴーギャンなどの名画が数多く展示されています。
ほかにも、エジプト古代美術、西洋現代美術、日本近代・現代美術など約3,000点の美術品を収蔵しています。 -
国の重要文化財に指定されている大橋家住宅です。
江戸時代に新田開発などで大きな財を成した大橋家が1796年に建てた建物です。
倉敷の代表的な町家のひとつに数えられ、長屋門や倉敷窓・倉敷格子などを備えた往時の商家の姿を現在に残す重厚な造りが印象的です。
住宅の屋敷構えは旧往来に面して長屋門を有し,主屋が通りに直接面することなく,前庭を隔て門の奥側に配置されている点に特色があります。 -
主屋は入母屋造(いりもやづくり) で本瓦葺き、屋根裏に部屋と厨子(ずし)を設けた重層の建物が主体となり、東には平屋建ての座敷があります。
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米蔵・内蔵は土蔵造りで『なまこ壁』を備えており,非常に美しい姿を呈しています。
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倉敷ブランドが揃うおしゃれなショップや、町家を改装したカフェなどが軒を連ねる通りを散策しました。
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人力車に乗って観光する事も出来るようです。
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阿智神社は鶴形山の山頂に鎮座する旧倉敷村の鎮守です。
倉敷美観地区を見下ろす絶好のビュースポットである鶴形山の山頂に鎮座し、境内には能舞台や蓬莱思想に基づいた古代庭園を構えています。
航海の安全を司る宗像三女神を主祭神として祀る1700年を超える古社です。 -
白壁の蔵屋敷、なまこ壁、柳並木など倉敷川沿いのレトロモダンな風景が、観光客を魅了します。
昼食は食べ損ないました。
この後、新大阪駅から新幹線で静岡まで帰りました。
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