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今回掲載する熱田区千年の八幡社の2社は、波限神社から??東の国道154号線を越え南東へ徒歩10分弱の熱田区千年1丁目に鎮座する八幡神社の社頭が左に見えてくる。<br />千年2丁目の八幡神社へは旧東海道を南に進み新幹線の高架を過ぎ、暫くすると八幡神社の社頭に至ります、所要時間は徒歩10分程。

名古屋市熱田区千年の「八幡神社」二社を巡る

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2024/02/17 - 2024/02/17

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おやじさん

今回掲載する熱田区千年の八幡社の2社は、波限神社から??東の国道154号線を越え南東へ徒歩10分弱の熱田区千年1丁目に鎮座する八幡神社の社頭が左に見えてくる。
千年2丁目の八幡神社へは旧東海道を南に進み新幹線の高架を過ぎ、暫くすると八幡神社の社頭に至ります、所要時間は徒歩10分程。

旅行の満足度
2.5
観光
2.0
交通
2.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
徒歩
  • 波限神社から??東の国道154号線を越え南東へ徒歩10分弱<br /> 熱田区千年1丁目に鎮座する八幡神社の社頭が左に見えてくる。<br />左に鳥居の姿があり、道は緩やかに上り、その先の堀川堤で突き当りとなり、堤の上に立ち並ぶ住宅の先は堀川が流れている<br /> 白鳥橋から下流の堀川右岸は1676年に作られた南北に長い船方新田が広がっていました<br />名が示す様に、海運業を営む船頭や船の補修を生業とするものが多く居住したと云われます<br /><br /> 1876年船方新田は作倉新田と合併し千年村字船方になり、その後も合併を繰り返し現在の千年1丁目や千年2丁目に編入されていったようです<br /><br />波限神社から八幡神社へ来る途中で船方の名が付く交差点や公園を見かけますが、船方新田の元々の位置は堀川右岸沿いの三角屋根が連なる工場の辺りに相当するようです

    波限神社から??東の国道154号線を越え南東へ徒歩10分弱
     熱田区千年1丁目に鎮座する八幡神社の社頭が左に見えてくる。
    左に鳥居の姿があり、道は緩やかに上り、その先の堀川堤で突き当りとなり、堤の上に立ち並ぶ住宅の先は堀川が流れている
     白鳥橋から下流の堀川右岸は1676年に作られた南北に長い船方新田が広がっていました
    名が示す様に、海運業を営む船頭や船の補修を生業とするものが多く居住したと云われます

     1876年船方新田は作倉新田と合併し千年村字船方になり、その後も合併を繰り返し現在の千年1丁目や千年2丁目に編入されていったようです

    波限神社から八幡神社へ来る途中で船方の名が付く交差点や公園を見かけますが、船方新田の元々の位置は堀川右岸沿いの三角屋根が連なる工場の辺りに相当するようです

  • 最初に書きますが、幾つかの地史に目を通しましたが、神社の記述は見付けられず、境内にも由緒に繋がる碑はなく、由来や創建など分からないので地図から見ていくことにしました<br /> 上は明治24年頃の千年1の八幡神社鎮座地とほゞ現在の地図を見ています<br /><br />当時は現在の大瀬子橋はなく、大瀬子渡しで対岸に渡っていました、ここに橋が架けられるのは明治42年(1909)のことです<br /> 左の地図で、大瀬子渡しに続く赤い道筋は旧東海道で、そこから少し東に入った辺りが神社の鎮座です<br />明治24年の地図には八幡神社の鎮座地に鳥居の印は見られず、昭和43年(1968)に忽然と鳥居が現れます<br /> これを持って昭和の創建とはなりません<br /><br />その理由の一つに、境内寄進物の幾つかに大正の元号が見られることから、規模はともかく大正時代、又はそれ以前から鎮座している事になります<br /> 創建は地史の編纂が進む江戸後期以降、或いは明治に入ってからなのかもしれません

    最初に書きますが、幾つかの地史に目を通しましたが、神社の記述は見付けられず、境内にも由緒に繋がる碑はなく、由来や創建など分からないので地図から見ていくことにしました
     上は明治24年頃の千年1の八幡神社鎮座地とほゞ現在の地図を見ています

    当時は現在の大瀬子橋はなく、大瀬子渡しで対岸に渡っていました、ここに橋が架けられるのは明治42年(1909)のことです
     左の地図で、大瀬子渡しに続く赤い道筋は旧東海道で、そこから少し東に入った辺りが神社の鎮座です
    明治24年の地図には八幡神社の鎮座地に鳥居の印は見られず、昭和43年(1968)に忽然と鳥居が現れます
     これを持って昭和の創建とはなりません

    その理由の一つに、境内寄進物の幾つかに大正の元号が見られることから、規模はともかく大正時代、又はそれ以前から鎮座している事になります
     創建は地史の編纂が進む江戸後期以降、或いは明治に入ってからなのかもしれません

  • 上は年代は不明ですが、船方新田之図になります<br /> 堀川と精進川(新堀川)が交わり熱田湊や船方新田が描かれています<br />新田北側に「御除地十一丁歩氏神」と中央に「御除地五畝卜氏神」の文字が見えます<br /> この二社がどこを指すものか、想像を膨らませてみる<br />北側の氏神は堀川に面しており、先に掲載した波限神社の遷座前の鎮座地、中央が当神社ではないだろうか<br /> ただ、写真では切れていますがすぐ下に山崎川が描かれており千年2丁目の八幡神社の可能性もあります<br />それでは境内へ

    上は年代は不明ですが、船方新田之図になります
     堀川と精進川(新堀川)が交わり熱田湊や船方新田が描かれています
    新田北側に「御除地十一丁歩氏神」と中央に「御除地五畝卜氏神」の文字が見えます
     この二社がどこを指すものか、想像を膨らませてみる
    北側の氏神は堀川に面しており、先に掲載した波限神社の遷座前の鎮座地、中央が当神社ではないだろうか
     ただ、写真では切れていますがすぐ下に山崎川が描かれており千年2丁目の八幡神社の可能性もあります
    それでは境内へ

  • 社頭西側から見る境内<br /> 南南西を向いて社頭を構え、石の明神鳥居とすぐ先に拝殿が建てられています

    社頭西側から見る境内
     南南西を向いて社頭を構え、石の明神鳥居とすぐ先に拝殿が建てられています

  • 社頭正面の眺め<br /> 社頭に社標は見られず、壁際に二対の石燈籠がある

    社頭正面の眺め
     社頭に社標は見られず、壁際に二対の石燈籠がある

  • 鳥居の額は八幡神社、拝殿の鬼には八幡社の名が入っています

    鳥居の額は八幡神社、拝殿の鬼には八幡社の名が入っています

  • 境内右側に置かれた手水鉢(寄進年未確認)

    境内右側に置かれた手水鉢(寄進年未確認)

  • 境内から社殿全景の眺め<br /> 入母屋妻入りの二段垂木の四方吹き抜け拝殿で破風飾りに橘の紋が入る<br />拝殿と本殿の間に一対の狛犬の姿がある

    境内から社殿全景の眺め
     入母屋妻入りの二段垂木の四方吹き抜け拝殿で破風飾りに橘の紋が入る
    拝殿と本殿の間に一対の狛犬の姿がある

  • 拝殿前から本殿の眺め、左の建物は八幡神社社務所

    拝殿前から本殿の眺め、左の建物は八幡神社社務所

  • 拝殿から眺める本殿<br /> 石垣で高く積まれた本殿域に本殿の他に両脇に二社祀られているようです

    拝殿から眺める本殿
     石垣で高く積まれた本殿域に本殿の他に両脇に二社祀られているようです

  • 本殿域と狛犬<br /> この辺りは古くから?曽の山奥で切り出された木曽材を?曽川を使い、桑名を経て堀川上流に廻漕し名古屋城築城部材として供給した事から、築城後もこの地方で産出された木材の一大集散地となり堀川沿いにはそうした企業が多かった<br />狛犬の寄進者もそうした団体名のものが見られます

    本殿域と狛犬
     この辺りは古くから?曽の山奥で切り出された木曽材を?曽川を使い、桑名を経て堀川上流に廻漕し名古屋城築城部材として供給した事から、築城後もこの地方で産出された木材の一大集散地となり堀川沿いにはそうした企業が多かった
    狛犬の寄進者もそうした団体名のものが見られます

  • 地図上では昭和に入って忽然と記されていた八幡社ですが、この狛犬は大正13年に寄進されたもの

    地図上では昭和に入って忽然と記されていた八幡社ですが、この狛犬は大正13年に寄進されたもの

  • 本殿域全景<br /> 中央の一間社流造の八幡社、祭神は恐らく応神天皇、左右の社は社名札がなく詳細は不明

    本殿域全景
     中央の一間社流造の八幡社、祭神は恐らく応神天皇、左右の社は社名札がなく詳細は不明

  • 境内寄進物の元号は燈籠の竿には大正12年(1923)、狛犬の台座が大正13年(1924)<br />この神社の創建には堀川周辺で海運業や渡しなど営む方々が大きく寄与しているようです

    境内寄進物の元号は燈籠の竿には大正12年(1923)、狛犬の台座が大正13年(1924)
    この神社の創建には堀川周辺で海運業や渡しなど営む方々が大きく寄与しているようです

  • 拝殿から社頭の眺め<br /> 正面の鳥居は大正12年(1923)に寄進されたもの<br />なにも分からない千年1丁目の八幡社でしたが、10分程南に鎮座する千年2丁目の八幡社でなにか分かるかもしれません<br /><br />八幡神社<br />創建 / 不明<br />祭神 / 応神天皇<br /><br />境内社 / 不明社2社<br />例祭日 / 不明<br />所在地 / 名古屋市熱田区千年1-9-37<br />参拝日 / 2024/02/17<br />徒歩アクセス<br /> ・波限神社から八幡神社 / 国道154号線を越え南東へ徒歩10分弱

    拝殿から社頭の眺め
     正面の鳥居は大正12年(1923)に寄進されたもの
    なにも分からない千年1丁目の八幡社でしたが、10分程南に鎮座する千年2丁目の八幡社でなにか分かるかもしれません

    八幡神社
    創建 / 不明
    祭神 / 応神天皇

    境内社 / 不明社2社
    例祭日 / 不明
    所在地 / 名古屋市熱田区千年1-9-37
    参拝日 / 2024/02/17
    徒歩アクセス
     ・波限神社から八幡神社 / 国道154号線を越え南東へ徒歩10分弱

  • 千年1丁目の八幡神社から旧東海道を南に進み新幹線の高架を過ぎ暫くすると千年2丁目の八幡神社の社頭に至ります<br />所要時間は徒歩10分程<br />千年2丁目に鎮座する八幡神社の社地全景<br />道路沿いにほゞ東向きに社頭を構えます

    千年1丁目の八幡神社から旧東海道を南に進み新幹線の高架を過ぎ暫くすると千年2丁目の八幡神社の社頭に至ります
    所要時間は徒歩10分程
    千年2丁目に鎮座する八幡神社の社地全景
    道路沿いにほゞ東向きに社頭を構えます

  • 社頭全景<br />正面に石造明神鳥居と右側に象形文字で書いたかのように八幡神社の社標がある<br />社標の文字は鳩をモチーフにして書かれ、少し離れて見ると違和感なく読めてしまう

    社頭全景
    正面に石造明神鳥居と右側に象形文字で書いたかのように八幡神社の社標がある
    社標の文字は鳩をモチーフにして書かれ、少し離れて見ると違和感なく読めてしまう

  • 鳥居の左に八幡神社祭礼の案内板

    鳥居の左に八幡神社祭礼の案内板

  • 社頭左の開拓記念碑<br />碑文は確認しなかったが、この辺りは潮の満ち引きで干潟が現れ、その間に堤を築きながら人と自然が陣取り合戦の様に農地を広げてきた場所です<br />それに伴い堤は沖に伸び、河口も遠のいていった

    社頭左の開拓記念碑
    碑文は確認しなかったが、この辺りは潮の満ち引きで干潟が現れ、その間に堤を築きながら人と自然が陣取り合戦の様に農地を広げてきた場所です
    それに伴い堤は沖に伸び、河口も遠のいていった

  • 鳥居から境内の眺め、正面に石造番塀を構えています

    鳥居から境内の眺め、正面に石造番塀を構えています

  • 鳥居の額は八幡神社で八は鳩を意識した書体

    鳥居の額は八幡神社で八は鳩を意識した書体

  • 境内右の全景<br />正面に忠魂碑があり、常夜灯、本殿末社造営碑、八幡神社由緒が纏められています

    境内右の全景
    正面に忠魂碑があり、常夜灯、本殿末社造営碑、八幡神社由緒が纏められています

  • 千年八幡神社由緒<br />御祭神 誉田天皇(応神天皇)<br />境内神社 <br />多度社 御祭神 天津日子根比命、天目一筒命<br />秋葉社 御祭神 迦具土命<br />由緒<br />当神社は もと尾張徳川公の下屋敷の南庭に鎮座 歴代藩主の崇敬が厚かったが天保8年8月11日熱田築地前新開の総鎮守 また熱田全新田の丑寅(北東)の鎮とし 現在地より南方約20間(約36㍍)の処に社殿を建立し 徳川家よりの多くの宝物と共に遷される<br /><br />安政元年11月 安政大地震起こり社殿等倒壊するが有志により復興<br />安政2年8月 暴風雨の為全面入潮被害多し<br />万延元年4月 社殿改築遷座を行う<br />同 5月 烈風暴雨襲い南堤の崩壊により一面に海水氾濫し宝物什器類赴く流失<br />明治5年7月 村社に列せらる<br />明治6年9月 再度大暴風雨に襲われた為遂に現在地に遷座<br />明治18年5月 本殿末社の御造営を行い遷座の式を行う<br />明治24年10月 濃尾地震により多大の被害あり<br />明治29年 本殿改築<br />明治34年 拝殿修復<br />大正12年 本殿御造営し遷宮式を行う<br />昭和10年9月 神饌幣帛料供進神社に指定される<br />同 10月 本殿・渡殿其の他附属建物に至るまで面目を一新し正遷座の厳儀を執行<br />昭和20年6月 戦災により壊滅<br />昭和34年9月 伊勢湾台風により損壊<br />昭和35年10月 本殿御造営<br />昭和54年5月 本殿末社殿御造替祝詞殿拝殿を再建し正遷座の式を挙行<br /><br />名古屋市史の八幡神社の記述は当社由緒と同じ内容でした、また愛知県神社庁からも見ましたが内容は神社由緒の足元にも及びもしないいつもの内容

    千年八幡神社由緒
    御祭神 誉田天皇(応神天皇)
    境内神社 
    多度社 御祭神 天津日子根比命、天目一筒命
    秋葉社 御祭神 迦具土命
    由緒
    当神社は もと尾張徳川公の下屋敷の南庭に鎮座 歴代藩主の崇敬が厚かったが天保8年8月11日熱田築地前新開の総鎮守 また熱田全新田の丑寅(北東)の鎮とし 現在地より南方約20間(約36㍍)の処に社殿を建立し 徳川家よりの多くの宝物と共に遷される

    安政元年11月 安政大地震起こり社殿等倒壊するが有志により復興
    安政2年8月 暴風雨の為全面入潮被害多し
    万延元年4月 社殿改築遷座を行う
    同 5月 烈風暴雨襲い南堤の崩壊により一面に海水氾濫し宝物什器類赴く流失
    明治5年7月 村社に列せらる
    明治6年9月 再度大暴風雨に襲われた為遂に現在地に遷座
    明治18年5月 本殿末社の御造営を行い遷座の式を行う
    明治24年10月 濃尾地震により多大の被害あり
    明治29年 本殿改築
    明治34年 拝殿修復
    大正12年 本殿御造営し遷宮式を行う
    昭和10年9月 神饌幣帛料供進神社に指定される
    同 10月 本殿・渡殿其の他附属建物に至るまで面目を一新し正遷座の厳儀を執行
    昭和20年6月 戦災により壊滅
    昭和34年9月 伊勢湾台風により損壊
    昭和35年10月 本殿御造営
    昭和54年5月 本殿末社殿御造替祝詞殿拝殿を再建し正遷座の式を挙行

    名古屋市史の八幡神社の記述は当社由緒と同じ内容でした、また愛知県神社庁からも見ましたが内容は神社由緒の足元にも及びもしないいつもの内容

  • 上は八幡社(千年1丁目)で使用した舩方新田と熱田築地前新開絵図<br />右上に山崎川が描かれており、現在の地図と照らし合わせると、位置的には中央の氏神は千年2の八幡社を示しているのかもしれません<br />因みに熱田築地前新開の絵図には社は描かれていなかった

    上は八幡社(千年1丁目)で使用した舩方新田と熱田築地前新開絵図
    右上に山崎川が描かれており、現在の地図と照らし合わせると、位置的には中央の氏神は千年2の八幡社を示しているのかもしれません
    因みに熱田築地前新開の絵図には社は描かれていなかった

  • 現在の道路と合わないいのは明治6年に遷っているからだろう<br />ここから先は由緒を尊重して先に進めよう<br /><br />さて、由緒にある下屋敷とは、現在の名古屋市東区葵1丁目に残る下屋敷跡を指しており<br />延宝7年(1679)尾張藩2代藩主徳川光友が築いた屋敷とされ、6万4千坪の広大な敷地に回遊式庭園を持つていたとされます<br />簡単に6万4千坪と云われても庶民には全く現実味の無い広さ<br />昔の車のカタログには性能をアピールするため0から400㍍の走行時間を測定したゼロヨンなる表示がされていた<br />取り締まりの心配のなく、自分の庭でゼロヨンを試すことができた広さだろう<br />その私邸にあった神社を新田の鎮守として現在の鎮座地から少し南の鬼門に遷座させたという<br />現在の千年水処理センターあたりと思われます

    現在の道路と合わないいのは明治6年に遷っているからだろう
    ここから先は由緒を尊重して先に進めよう

    さて、由緒にある下屋敷とは、現在の名古屋市東区葵1丁目に残る下屋敷跡を指しており
    延宝7年(1679)尾張藩2代藩主徳川光友が築いた屋敷とされ、6万4千坪の広大な敷地に回遊式庭園を持つていたとされます
    簡単に6万4千坪と云われても庶民には全く現実味の無い広さ
    昔の車のカタログには性能をアピールするため0から400㍍の走行時間を測定したゼロヨンなる表示がされていた
    取り締まりの心配のなく、自分の庭でゼロヨンを試すことができた広さだろう
    その私邸にあった神社を新田の鎮守として現在の鎮座地から少し南の鬼門に遷座させたという
    現在の千年水処理センターあたりと思われます

  • 境内右の百度石

    境内右の百度石

  • 境内左に手水舎

    境内左に手水舎

  • 手水鉢には天保の元号が刻まれています、その下は…12年(1842)と読めるような

    手水鉢には天保の元号が刻まれています、その下は…12年(1842)と読めるような

  • 境内左に作良(さくら)堤の石標と境内社<br />先の絵図にある熱田築地前新開、文久元年(1861)に作良新田に改称され、新田を護っていた堤がこのあたりにあったと云う事でしょう<br />作良新田は後に舩方新田と合併し千年となりますが、名の由来が当時は一帯に鶴が生息していたそうで、鶴は千年、亀は万年から引用し千年になったそうです

    境内左に作良(さくら)堤の石標と境内社
    先の絵図にある熱田築地前新開、文久元年(1861)に作良新田に改称され、新田を護っていた堤がこのあたりにあったと云う事でしょう
    作良新田は後に舩方新田と合併し千年となりますが、名の由来が当時は一帯に鶴が生息していたそうで、鶴は千年、亀は万年から引用し千年になったそうです

  • この板宮造りの社、社名札がなく詳細は分かりません<br />奥の石灯籠を見ていないので、竿に答えが刻まれているかも知れません

    この板宮造りの社、社名札がなく詳細は分かりません
    奥の石灯籠を見ていないので、竿に答えが刻まれているかも知れません

  • 八幡神社社殿全景<br />コンクリート造の入母屋妻入り拝殿で奥に渡殿と繋がっています<br />大棟の鬼や軒丸瓦、破風飾りには橘の紋が入ります

    八幡神社社殿全景
    コンクリート造の入母屋妻入り拝殿で奥に渡殿と繋がっています
    大棟の鬼や軒丸瓦、破風飾りには橘の紋が入ります

  • 拝殿前を守護する狛犬、親の背にやんちゃな子供の姿があります<br />寄進年は見忘れました

    拝殿前を守護する狛犬、親の背にやんちゃな子供の姿があります
    寄進年は見忘れました

  • 拝殿額には「千年八幡神社」で熱田神宮宮司による揮毫<br />根拠はないけれど千年と付くだけに、先に掲載した千年1の八幡神社はこちらから分祀されたものかもしれません

    拝殿額には「千年八幡神社」で熱田神宮宮司による揮毫
    根拠はないけれど千年と付くだけに、先に掲載した千年1の八幡神社はこちらから分祀されたものかもしれません

  • ここにも橘紋<br />樽酒かぁ、説明会終えたらかみさん誘って一杯ひっかけて帰るかぁ

    ここにも橘紋
    樽酒かぁ、説明会終えたらかみさん誘って一杯ひっかけて帰るかぁ

  • 拝殿から本殿域の眺め<br />柱の陰に隠れていますが、本殿域手前に一対の狛犬と本殿両脇に社が祀られています

    拝殿から本殿域の眺め
    柱の陰に隠れていますが、本殿域手前に一対の狛犬と本殿両脇に社が祀られています

  • 隠れていた狛犬は年代不明ですが、体の黒ずみや意匠などから、拝殿正面の面々よりキャリアがありそうです

    隠れていた狛犬は年代不明ですが、体の黒ずみや意匠などから、拝殿正面の面々よりキャリアがありそうです

  • 本殿と境内社<br />大きな社が八幡神社で、左右の社が多度社、秋葉社と思われます<br />何れも一間社流造で、八幡神社本殿は脇障子をはじめ桁隠し、木鼻などら彫が施され、大棟には金色の橘の紋が施されています<br />幾度も越水や災害を受けながら、氏子達に支えられ今も鬼門を護る千年2丁目の八幡社<br />スッキリして明るい神社でした<br /><br />八幡神社<br />創建 / 天保8年(1837)<br />祭神 / 誉田天皇(応神天皇)<br />境内社 / 多度社、秋葉社、不明社<br /><br />参拝日 / 2024/02/17<br />所在地 / 名古屋市熱田区千年2-31-9<br />千年1八幡神社から千年2八幡社徒歩ルート / 旧東海道を南下徒歩約10分

    本殿と境内社
    大きな社が八幡神社で、左右の社が多度社、秋葉社と思われます
    何れも一間社流造で、八幡神社本殿は脇障子をはじめ桁隠し、木鼻などら彫が施され、大棟には金色の橘の紋が施されています
    幾度も越水や災害を受けながら、氏子達に支えられ今も鬼門を護る千年2丁目の八幡社
    スッキリして明るい神社でした

    八幡神社
    創建 / 天保8年(1837)
    祭神 / 誉田天皇(応神天皇)
    境内社 / 多度社、秋葉社、不明社

    参拝日 / 2024/02/17
    所在地 / 名古屋市熱田区千年2-31-9
    千年1八幡神社から千年2八幡社徒歩ルート / 旧東海道を南下徒歩約10分

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