2023/10/13 - 2023/10/13
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ポポポさん
この旅行記スケジュールを元に
児玉神社とは周南市(旧徳山市)出身の軍人児玉源太郎をまつる神社である。
児玉源太郎と言うと日露戦争時の満州軍総参謀長として満州派遣軍の全戦略戦術を立案。負けないまでも大国ロシアと5分5分の戦いができれば上出来という開戦当時の予測を覆して連戦連勝。最後は奉天の戦いでクロパトキン総司令官率いるロシア軍を来た方に敗走させた。
しかし児玉源太郎の評価は台湾総督時代にこそあると思う。児玉以前の台湾総督は武力で圧して現地住民を屈服させる政策を行ったため、紛争や反乱が頻繁に発生した。
政府から派遣された教員の多くが現地人にされたとの記録が残されている。
児玉は今までの政策を転換、民生長官に後藤新平を迎えインフラ整備や土地改革、道路施設等の「整備や学校教育の普及、製糖業などの育成を行った。
特に貧しい台湾人の経済的地位を高めるために行ったのは製糖業である。
日本国が製糖の収益を吸い上げるのではなく台湾人の生活向上のために行った施策であった。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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周南市児玉町1丁目にある児玉神社を訪れた。
いつか訪れてみたいと思っていた場所だったが、なかなか機会が無く思い立ってからずいぶんと月日が経ってしまった。
児玉神社は明治時代の陸軍大将児玉源太郎が祀られている神社である。同様の神社は神奈川県の江の島にもあるそうだが、そちらはまだ行ったことが無い。
さて、児玉源太郎と聞くと日露戦争時の満州派遣軍総参謀長の児玉源太郎を思い起こすが、台湾総督時代の政治家としての側面を併せ持つ軍人であることも忘れてはならない。
明治維新後日本の軍隊は海軍が薩摩閥、陸軍が長州閥で占められたというのが一般的認識だった。
しかし陸の長州は一枚岩では無かったことを認識していただきたい。
陸軍の長州派閥には2つの系譜があった。一つは村田蔵六(後の大村益次郎)から始まる合理的な考えの戦略・戦術に長けた軍人の系譜であるが、それは
大村益次郎から山田顕義、そして児玉源太郎へと続く。
一方軍人でありながら政治権力の魅力に取りつかれたのが山縣有朋を初めとする系譜である。
山縣有朋から桂太郎、田中儀一、寺内正毅と連なる系譜。彼らは総理大臣になっている。
同じ陸軍部内で政治に関心を向ける山縣と純粋に軍人であろうとした山田とはそりが合わず、西南戦争後山田は陸軍を退官し法律編纂に没頭。後に司法大臣として明治政府の骨格となる明治法典を編纂した。
山田顕義は用兵の天才と言われ、「用兵の妙、神の如し」と陸軍部内から言わしめた。
鳥羽伏見の戦い以降山田顕義は一度も戦で負けたことが無く、小ナポレオンと呼ばれていた。
その軍才は大村益次郎の薫陶を受けたためでもあるが、生来の用兵と軍略の天才であったことは否めない。特に人物を見極める目は確かで西南戦争の戦略的軍事拠点である熊本城の鎮台司令官に、山田が土佐の谷干城を推挙した時には山縣と大激論となった。
山縣は実戦経験の少ない谷干城を司令官にするのは大反対。山田は実戦経験ではなく、ぞの人物の人となりや性格・気質で人選していたのだが、山縣には分からない。
結局すったもんだで山田が自分の意見を押し切ったが、これが吉と出た。
熊本鎮台司令官谷干城は薩摩軍に取り囲まれ食料が尽きようとしても一歩も動ぜず撤退もしない。この強靭な粘りが戦局を好転させた。
さらに西南戦争全域の戦略は山田顕義が立案したもの。薩摩軍を彼一人の用兵で打ち破ったと言っても過言ではない。
その山田の愛弟子が児玉源太郎である。児玉は函館戦争が初陣だった。この時の政府軍の指揮官が山田顕義であった。山田は児玉の才能を見抜き、児玉は山田の後押しで兵学寮に入ることができた。また山田から軍の用兵や戦術について事細かに教え込まれていた。
西南戦争では熊本鎮台副司令官に山田から任命され、圧倒的大群に取り囲まれて持久戦を強いられた時の防御戦のノウハウ、旗色が悪い時指揮官としての気持ちの持ちよう、部下将兵の戦意高揚の方法等、苦しい局面での打開方法を山田から実地で学ばされることになった。この経験が日露戦争時の満州戦線で役に立ったのであろう。
山田顕義は次に暴発するとすれば薩摩士族だろと早くから見切っていて、いろいろ手を打っている。大村益次郎から生前託されたこともあったという。
大村益次郎から薫陶を受けた山田顕義によって戦術・戦略・用兵は磨かれ、愛弟子の児玉源太郎に受け継がれてさらに工夫がなされ日露戦争で結実した。
こうして日本は守られたと言えるであろう。
写真左端に写っている木はタイワンゴヨウマツ。児玉大将の偉業を讃える記念として台湾から苗木を取り寄せ植えられたもの。児玉神社 寺・神社・教会
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児玉神社は児玉源太郎が児玉家の家督を相続した時に住んでいた屋敷跡に創建された。
創建の経緯は周南教育委任会が設置した説明板が分かりやすい。
ここに児玉神社を創建する以前に神奈川県の江の島に児玉神社の神殿と付属建物があり、これらの建物をここに移築してここに創建したそうである。児玉神社 寺・神社・教会
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萩博物館学術員の一坂太郎氏が児玉神社に浩気と言う題で揮毫した文の碑
この碑文は神社入口にあったが、この文章の中で触れている「浩気長存」という碑は入口付近のどこを探しても見当たらなかった。
私には何のためにこんなところにこの碑があるもか皆目理解できなかったが、神社の境内で「浩気長存」の碑をようやく見つける事が出来た。
旧台湾総統李登輝氏から揮毫された碑文だったが、この一坂太郎氏の碑文は神社入口では無く、李登輝氏の碑文の側に置いた方が訪れた他県の人には分かりやすいのではないかと思った。 -
神社入口に児玉源太郎の一生を小学生の子供にも分かるような文章で説明してあった。
私が一々書くよりも、そちらを読んで頂いた方が分かり易いのでそのまま掲載した。
まずは生い立ちから。
尊王攘夷の波に巻き込まれ養育してくれた義兄は暗殺され家禄は没収、家名断絶となり子供の頃は困窮した生活を強いられた。 -
日清戦争後の検疫事業で生涯の片腕ともいうべき後藤新平との出会いがあった。
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4代目の台湾総督となり、後藤新平の力を借りながら台湾発展のため力を尽くす
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家族への想いとして、良き父・良きおじいさんとしての源太郎の一面を伝えている。
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児玉文庫について
人手に渡った生家を買い戻しそこに児玉文庫という図書館(私設文庫)を作って明治38年に開設した。
郷土の人が多くの本を読んでいろいろな知識を学び活躍して欲しいという願いからだった。
蔵書の数は昭和17年3月末で43088冊に達した。館外貸し出しもでき、多くの人に利用されていたという。
この図書館は残念ながら昭和20年7月26日の徳山大空襲で焼失した。
焼失を免れた本は山間部に貸し出されていた6冊と貸し出し箱のみだったという。 -
児玉源太郎の年譜
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神社の鳥居を潜ってすぐ右にある「徳足以懐遠」の碑。
「徳、足るを以って遠くを懐かしむ」と読むが、児玉源太郎十三回忌に後藤新平から送られた言葉である。
「児玉源太郎公の徳が台湾の人々に伝わり、今では台湾の地はとても平和で豊かな地になっています。貴方の下で働いたあの頃が懐かしいですね。」と言う意味でしあろう。
この碑は神社入口ミグ側にあった。 -
児玉源太郎薨去御沙汰書碑
拝殿前の参道の左側にある。 -
後藤新平の「児玉神社参拝記念碑」
拝殿までの参道左にはこれらの他に「日本帝国褒章之記」、歌碑「山縣元帥(山縣有朋)の児玉大将の死を惜しまれたる歌」がある。
また右側には元台湾総統李登輝さんから揮毫された「浩気長存」碑がある。
これらの碑は写真を写していない。 -
神社の拝殿。奥に本殿があるが、本殿の写真は撮り忘れた。
拝殿の奥に少しだけ建物が見えるがこれが本殿。児玉神社 寺・神社・教会
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拝殿前の「二に三ツ星」の家紋は児玉家の家紋では無く、毛利支藩徳山藩公の家紋。
社殿建設にあたり旧徳山藩主から毛利徳山藩の家紋を使用するようにと伝えれたそうだ。
中央の扁額は児玉源太郎大将の長男秀雄氏の揮毫である。 -
神社の本殿右手にあるのが「徳山七士の碑」。
徳山七士とは幕末徳山藩で尊王攘夷派として活躍し殉難した7名の勇士で、児玉次郎彦、本城 清、江村彦之進、河田佳蔵、浅見安之丞、信田作太夫、井上唯一。
そのうちの一人児玉次郎彦は児玉源太郎の義兄である。
児玉家は源太郎が4歳の時に父半九郎が亡くなったため、姉の久子に浅見家から次郎彦が婿養子に入って家督を継いだ。
源太郎は8歳で藩校に入り、文学を本城清、槍術を浅見安之丞に学んだが、とりわけ文武に秀でた次郎彦の影響を大きく受けて育ったといわれている。
元治元年(1864年)「禁門の変」で長州が敗れると、俗論党(保守派)が台頭し藩内の勢力は一変。
攘夷派の抹殺が企てられ、江村彦之進は暗殺、児玉次郎彦は自宅に帰っていたところを刺客に襲われ、源太郎の目の前で斬殺された。
河田佳蔵と井上唯一は処刑、翌年には本城清、浅野安之丞、信田作太夫も処刑さてしまった。
俗論党の血の粛清は徳山藩に限らず長州藩内にも吹き荒れ、禁門の変の首謀者として幕府に謝罪のため益田、福原、国司の三家老は切腹、4参謀と藩政を牽引した長州正義派を含む甲子殉難十一烈士(十一人の正義派)が萩の野山獄で処刑された。
そのほかには正義派の執政周布正之助は切腹、井上馨は山口市の袖解橋の手前で山口政治堂から帰る途中俗論党の息のかかった狂信的な攘夷派数人に襲われてなます切りにされ瀕死の重傷を負った。
なお、この政変に巻き込まれて惨殺されたのが明治天皇の叔父中山忠光卿であった。
中山忠光卿は過激な尊王攘夷派の勤王公家。天誅組を組織し大和で挙兵するが幕府軍に鎮圧され長州に逃れた。
長州では支藩の長府藩に保護されていたが幕府の密偵に隠れ家を突き止められため山村に潜伏している所を俗論党の刺客5人に暗殺された。
この政変で逃げ延びた正義派の主要人物は高杉晋作ただ一人。筑紫の平尾に亡命して回天義挙の時を待った。
長州藩は禁門の変以降、藩内の政変で有為な人材を多数失っている。すでに松陰門下の四天王のうち3人は死亡し、正義派として藩政を任されていた多くの有能な人材が粛清された。
もはや時は周布政之助に命を救われた高杉晋作を待つだけとなったところで話は終わるが、児玉源太郎がもう少し早く生まれていて、俗論党に暗殺されていたとしたらこの先の日露戦争はどうなっていたか皆目分からない。
多分満州軍派遣軍は各個で撃破され、我々はロシアの植民地になっていただろう。東アジアの地図はロシア一色に塗り替えられ、欧州一の強国はロシアになっていたかもしれない。
そういう意味では幕末から明治にかけて軍事・戦術・戦略の天才が続けて3人も山口県に現れたのは奇跡と呼ぶしかないと思う。徳山七士碑 名所・史跡
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徳山七士碑の説明
徳山七士碑 名所・史跡
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児玉神社に隣接して広大な児玉公園があったので覗いてみた。
児玉公園 公園・植物園
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児玉神社の説明。
神社創建の由来と境内にある記念碑について述べてある。 -
児玉公園の全景。付近には小学校等もあり、子供や家族連れが広く遊べるようになっていた。
中央の記念碑は忠霊塔。児玉公園 公園・植物園
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児玉源太郎大将の銅像。
この銅像は台湾の国立台湾博物館に展示されている像のレプリカとして制作された。
国立台湾博物館は日本統治時代に児玉源太郎と後藤新平の台湾統治における数々の功績を記念する建物として建設された。
そのため入口エントランスには2人の彫像が設置されていたそうである。
しかし日本軍が敗戦により台湾から撤退すると、中華民国軍が進駐して来た。
蔣介石率いる中華民国軍が進駐して来ると、日本関係の文物がどのような被害にあうかもしれないとい予測した博物館の学芸員が2体の彫像をそれぞれ布で包み、博物館の床下に隠したのだった。
学芸員が予測した通り中華民国軍が進駐してくると中華民国軍による強姦や強盗が頻発、行政公所の要職は外省人(大陸から渡って来た中国人)が独占し汚職と腐敗が蔓延した。さらに日本人狩りが始まり、日本人と分かるとその場で射殺、日本統治時代に日本軍に協力した台湾人は逮捕され拷問などひどい扱いを受けた。
ついに台湾人の民衆は蜂起し二・二八事件が勃発するが,蒋介石は軍隊を動員して徹底的に反乱分子を弾圧した。特に知識階級や学生(高校生や大学生)に対しての処分は苛烈で駅前など衆人の目の前で多くの者が射殺された。
ノンフィクション作家門田隆将さんの「汝、二つの故国に殉ず」を読まれると二・二八事件の事や中華民国軍の残酷さが良く分かる。この本の主人公の日本人は台南大学の学生達を助けるために日本人と名乗り出て公園で処刑されるのだが・・・。
さて、これらの苦難を経てようやく自由を謳歌できるようになったのが李登輝総統の政権下だった。
この時満を持して秘匿されていた2体の彫像は博物館の床下から引き出され、博物館に展示されたそうだ。児玉公園 公園・植物園
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児玉源太郎大将の横顔と横からの姿。
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銅像台座には銅像製作の経緯や児玉源太郎の略歴を簡潔に記した銘板があった。
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再び児玉源太郎像。
写真の児玉源太郎はイケメンでかくしゃくとした姿だが、この像は老齢でかなりやつれた印象を受けた。個人的にはもっと凛とした姿の銅像であって欲しかった。 -
児玉公園内にあるジャカランダ。
児玉源太郎ゆかりの樹木かと思ったら、全く関係なくブラジルの姉妹都市から種子をもらって育て上げたジャカランダの木とのことだった。
詳しくは下記の説明文を参照のこと。 -
ジャカランダの説明文。日本では珍しい木だと思ったので写真に写すことにした。
児玉源太郎大将の生家まで訪れれば良かったが、周南市を訪れたついでに訪問したため時間の制約があり、この度は神社のみ訪れた。生家はまた機会があればおとずれてみたい。
簡潔ですが児玉神社の旅行記はこれで終わります。
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