2023/03/25 - 2023/03/29
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ちゃおさん
40数年前、娘は沖縄で生まれた。内地に戻って出産するのがベターだったが、母親の健康状態も良くなく、妊婦が荷物検査のレ線を浴びるのも良くないので、結局沖縄で産むことにした。産院は屋冨祖産婦人科で、住んでいたマンションからも程近い場所にあった。娘、即ち孫達の母親がどこで生まれたかを孫に教えてやるのも今回の旅行の一つの目的でもあった。
旅行前に場所の確認をすべく、地図検索、電話番号案内などで調べても、同様の名前は出てこない。そこで浦添医師会に尋ねてみても、不明だった。更にその上の病院、医院等を管轄する厚労省の九州管区厚生機関、沖縄中部保健所等にも確認したが、この名前の産院は存在しない、との回答だった。・・そうか、もう40年も経って、産院は閉院したのかも知れない。兎も角、今はどうなっているか、現地へ行って確かめてみるしかない。
ホテルでの朝食を終え、今日一番の訪問先は、40数年前に住んでいた浦添市の国道58号線交差点直ぐ際のマンションを訪ねることだった。10数年前、妻と姉夫婦と沖縄に来た時にはまだあった。地図アプリで見ると、同じ場所に同じ構造のビルがあるので、建物自体はまだある筈だ。那覇から国道58号線を北上し、大謝名交差点を通り過ぎ、浦添市内に入ると米軍基地のフェンスが左側に続く。海軍補給基地で、昔からこの場所にある。基地が途切れた辺りが屋冨祖の交差点で、産院はこの交差点を住宅地の方に入った辺りにあった。次の大きな交差点が港川で、栄行マンションはこの交差点の直ぐ上にある。
長男が1歳の頃、このマンションに転居し、長女はここで生まれ育った。4階建てマンションは以前のままで、4階のルーフベランダは広く、三輪車で遊んだり、東シナ海に沈む夕日が綺麗だった。自分は足が悪く車の傍で待っていたが、子供たちは階段を上って4階のルーフまで行った。娘は当時2歳にもなっていなかったから、記憶はないだろう。下の景色もかなり変わった。会社事務所はこの交差点の直ぐ向いにあって、南国調の平屋の事務所に広い駐車場があったが、10数年前に来た時は既に売却され、今はどこか車メーカーの販売店に変わっていた。直ぐ前のユアサマンションは8階建ての大きな建物だったが、それも今は無く、全く別のマンションに変わっている。国道に面したこの周辺は大きくチェンジしたが、唯一、この先のA&Wは同じ場所に、同じような感じの店舗が残っていた。
ひとしきり以前のマンションを眺め、次に産院に向かった。産院は屋冨祖通りで、1本那覇寄りの通りだ。車を走らせてみるが似たような建物はあるが、どうもどこかは分からない。古くから仕出し弁当を販売してる店があり、主人に聞いて見ると、屋冨祖産婦人科の名前は知っていた。今は産院からデイケアの施設に変わっているという。この先のローソンの前にあるという。そのコンビニ前に車を停めて、向かいの建物を見る。外面のカラーは変わっているが以前と変わらない4階建ての建物だ。そう、43年前、娘はここで生まれたのだ。このビルの2階の部屋で。今はデイケアの施設になっているが、今日は休業なのか、時間的にまだ始業前なのか人の気配もなく、訪ねて聞くこともできない。外から建物を眺め、次におきなわワールドに向かった。
- 旅行の満足度
- 4.5
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