2023/06/01 - 2023/06/01
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ペコちゃんさん
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狭山市民大学の「狭山の歴史講座」の第2回野外学習は「入曽地区」。
入曽駅東口広場に8時20分に集合し、入曽地区は道路が狭く全員の行動が難しいため、A班・B班に分けて順コース・逆コースを巡り、12時20分に現地解散しました。
今回の行程は、入曽駅→金剛院中央墓苑の夢地蔵さん→入間野神社→七曲井と観音堂→野々宮神社(トイレ休憩)→常泉寺と井戸神さま→下水野の地蔵尊→入曽用水→金剛院→水野の庚申塔→入曽駅で、距離は約4.5km。
なお、このブログでは順路を分かりやすくするため、見学先の順番を一部入れ替えています。
写真は、観音堂の「聖観世音菩薩坐像」。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 徒歩
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今回の入曽地区は狭山市の東南側・・・北入曽・南入曽・水野にある史跡・文化財を巡ります。
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<1>水野の庚申塔
狭山市内には38基の庚申塔がありますが、これは入曽駅近くの水野にある庚申塔で、天明2年(1782)に造立されたもの・・・主尊の青面金剛は6臂像で、三叉矛・宝輪・弓・矢・宝剣・半裸の女人を手にしています。 -
足元には二童子を従えて二邪鬼を踏まえ、その下には鶏が向き合う形で2羽、台座には三猿が刻まれています。
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左側面に刻まれた造立趣旨は「当処転禍為福 衆病悉除 心身安楽之御祈願」・・・「村中の災いを転じて福となし、村人の病のすべてを除いて、心身とも安楽に暮らせるよう祈願する」という意味で、水野村の村民が施主となって建てたことが分かります。
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庚申信仰は中国・道教徒の間で生まれたもので、人の体内(頭・腹・足)に棲む三尸(さんし)という虫がその人の悪事を監視しており、60日毎に巡ってくる庚申の晩に天に昇って天帝(閻魔大王)に罪科を告げてその人の寿命を縮めたり、死後に地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕としたりします。
そこで、三尸の虫が天に昇れないようにするため、この夜は村中の人達が集まって神々を祀り、その後、囲炉裏を囲んで寝ずに酒盛りなどをして夜を明かしました。
江戸時代に庶民にも広まった庚申講は、五穀豊穣や二世(この世・あの世)安楽を祈る信仰の場にもなり、金銭を出し合って庚申塔を造立するようになりました。 -
<2>金剛院
真言宗豊山派の金剛院は奈良県長谷寺の末寺で、本尊は不動明王・・・創建年代は不明ですが、建久年間(1190~1197)の創建と伝えられます。
総檜造りの「山門」は風格のある四脚門で、天明二年(1782)に建立された当院で最も古い建築物です。 -
天保四年(1833)と明治38年の火災で四脚門と土蔵を残し全焼しましたが、その後再建され、本堂は昭和32年に唐招提寺風の屋根に改装されました。
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本堂の前に建つ弘法大師像。
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本堂に安置されている「木造地蔵菩薩立像」・・・室町時代に制作され、像高は79cm。
地蔵菩薩は釈迦が亡くなってから56億7000万年後に弥勒菩薩が現れるまでの無仏の間、この世で衆生を救う仏とされ、慈悲深い穏やかな顔立ちと共に、右手には錫杖を、左手には宝珠を持っています。 -
県道50号・所沢狭山線に面した入口から境内に入ると・・・
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左側にある「石橋供養塔」・・・天明3年(1783)に金剛院角の交差点に造立されたもので、道しるべを兼ねています。
正面には「石橋四所供養塔」と刻まれ、下部には「此方川こへみち(川越道)」、右側面の下部には「此方入間川道」、左側面の下部には「此方江戸道」、裏面には「此方あふめ八わうじミち(青梅八王子道)「此方あふぎ町やミち(扇町屋道)」と刻まれています。 -
境内から見た山門と参道・・・綺麗に手入れされた植栽の右側に庚申塔があります。
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天明2年(1782)に造立された「四夜叉を刻む庚申塔」・・・水野の庚申塔にあった三猿や鶏の代わりに四夜叉が彫られ、国家の安穏や五穀豊穣、万民の安楽を願って建てられたものです。
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この庚申塔は青面金剛を主尊とするもので、「陀羅尼集経」の中の「青面金剛呪法」という仏教の教義に基づいて造られました。
青面金剛の足元は二邪鬼を踏み左右に二童子、台座には四夜叉が配されています。 -
庚申塔の向かいには、元禄6年(1693)造立の「日待供養塔」・・・日待供養(夜を徹して忌みごもりなどして日の出を拝した行事)のために建てられた石塔です。
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① 左の供養塔は寛政9年(1797)に造立された「観音霊場巡拝供養塔」
中央に「板東」を、その両側に「西国」「秩父」と刻み、合わせて「百番巡礼供養塔」と正面に彫られています。
② 中央の供養塔は文政11年(1828)に建てられた「出羽三山供養塔」
江戸時代後期には出羽三山(山形県の中央部に聳える月山・羽黒山・湯殿山)の供養塔が各地で造立されるようになりました。
三山のうち、農民の崇拝が最も厚かったのは湯殿山で、湯殿山神社の御神体である巨岩から噴き出す霊湯が、五穀豊饒に霊験があるとされました。
③ 右の供養塔は天保3年(1832)に造立された「敷石供養塔」
参道の敷石工事が完成した際に建てられたものです。 -
道路を挟んで反対側にある金剛院の中央墓苑・・・広い墓苑の中央に地蔵さんが祀られていますが、左側の一角に「夢地蔵さん」も祀られています。
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<3>夢地蔵さん
百観音霊場を巡拝した人が、金剛院大日堂の境内に寛政7年(1855)に建立した地蔵尊ですが、ある信者の夢枕に現れて『我が地を信州小諸千曲川の傍なる湯の瀬に移し、温泉を堀り、人々の身心の健全を守るべし』とのお告げがあったので、それから十数年かけて念願の温泉を掘り当て、夢地蔵を温泉の守護仏として移転させました。
千曲川のほとり・湯の瀬温泉に安置されていた「夢地蔵さん」ですが、ようやく平成11年に信州から里帰りしたのです。
どんな夢でも叶えてくれる「夢地蔵さん」に願いを託しましょう。 -
金剛院から北に延びる、かつての「鎌倉街道」・・・源頼朝が鎌倉に幕府を開いてから、天正18年(1590)に後北条氏が滅びるまでの約400年間、主要道路として役割を果たし、畠山重忠・新田義貞などの名将たちが栄枯盛衰の物語を刻んだ道で、街道沿いには多くの寺社仏閣が残されています。
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<4>入間野神社
創建は建久2年(1191)と伝えられ、旧号は国井神社・・・この辺りは大きな川がなく、農耕は雨水に頼るしかなかったため、大規模な井戸が掘削され、当初は井戸の神・水の神として祀られたと考えられています。 -
その後、天正6年(1578)に御嶽大権現に改め、明治44年に水野にあった浅間神社を合祀して入間野神社となりました・・・神社の敷地が「南入曽」と「水野」の間にあったことから、「入」と「野」の「間」で「入間野神社」になったとか。
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拝殿の屋根を見ると、屋根の両端で交叉する千木(ちぎ)は内削ぎ=女神、鰹木(かつおぎ)は5本(奇数)=男神・・・祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと)と木花耶姫命(このはなさくやひめのみこと)です。
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横から見た拝殿と本殿。
神社の千木の形は、先端が「外削ぎ」(先端が垂直)と「内削ぎ」(先端が水平)になっているものがあり、祭神が男神の社は外削ぎ、女神の時は内削ぎという説があります。 -
また、鰹木の数が奇数なら男神、偶数なら女神を祀っているという説があります。
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道路側にある「入曽の獅子舞」の石碑・・・入曽の獅子舞は、毎年10月第3土・日の両日にわたり、金剛院と入間野神社に奉納されます。
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拝殿に掲げられた、獅子舞を描いた奉納絵馬には「宝暦8年(1758)9月当村中」とあり、江戸時代中期には既に行われていたことや、天狗が持つ軍配に「風雨和順五穀成就」とあり、豊作や雨乞いを祈願したことなどが窺えます。
土曜日にかつての別当寺・金剛院で揃獅子が、日曜日に入間野神社で本獅子が奉納されます。 -
獅子舞の構成は、獅子役3人・天狗1人・棒使い2人・花笠4人で、これに笛役8人・唄役6人・法螺貝1人が加わります。
舞には「前狂い」と「後狂い」がありますが、舞は切れ目なく続き、三匹の獅子と天狗が輪になって踊り続けます。 -
<5>七曲井
飲料水を得ることが困難だった武蔵野台地では、竪堀り井戸を掘る技術が発達する近世まで、漏斗状(すり鉢型)に掘り下げて井戸を作りました。
その一つが旧鎌倉街道沿いに面した「七曲井(ななまがりのい)」・・・底の井筒まで降りる曲がりくねった道があることから七曲井と呼ばれ、上口部の直径は26m、井桁までの深さは15mあります。 -
七曲井の井戸は、昭和45年(1970)に実施された発掘調査により復元されました。
この辺りの地名は「北入曽掘難井」・・・「掘難井」は今は「ほりがたい」と呼ばれていますが、古くは「ほりかねのい」と称していました。 -
平安時代の女流歌人・伊勢(872~938)は「いかでかと 思ふ心はほりかねの 井よりもなおぞ 深さまされる」と詠み、清少納言は「枕草子」168段で「井はほりかねの井、玉の井、走り井は逢坂なるがをかしきなり・・・」など9つの井戸を挙げていますが、第1位は「ほりかねの井」・・・平安の時代からその名は都にも広まっていたのでしょうね。
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<6>観音堂と木造聖観世音菩薩坐像
観音堂は七曲井の手前にある堂舎で、管理は常泉寺・・・創建年月は不明ですが、常泉寺にある『当山沿革史考』によれば、建仁2年(1202)に建てられたと記されています。
かつて常泉寺はこの地にありましたが、元禄2年(1689)に観音堂を残して移転しました。 -
本尊の聖観世音菩薩坐像は安永4年(1775)から文政2年(1819)の間に造られたものと推定されます。(像高:54cm)
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端正な顔立ちで全体的に均整のとれた仏像・・・左手に未敷蓮華(つぼみのハス)を持ち、右手はすべての恐れを取り除いて衆生に安心を与える施無畏印を結んでおり、技術的にみても優れた作品です。
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<7>野々宮神社
当神社の創建は古記録がないため不明ですが、社伝によると創建は奈良時代で、朝廷の命を受けて、入間道(いりまじ)の警備と七曲井の管理に従事したと言われています。 -
一の鳥居の神額には「野々宮大明神」。
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二の鳥居をくぐって拝殿へ。
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御祭神は倭姫命(やまとひめのみこと)・・・千木=内削ぎ、鰹木=6本(偶数)が女神様を祀る神社であることを示しています。
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横から見た拝殿と本殿。
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これは、7月中旬に野々宮神社で行われる「天王さま」の夏まつり・・・神社のお神輿を担いで入曽地区を練り歩きます。
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「天王さま」や元旦、春・秋の大祭には「入曽囃子」が奉納されます。
入曽囃子は、地元に古くからあった里神楽を土台にして、文政年間(1818~30)に江戸徳丸(現在の東京都板橋区)から芸人を招き、土地の有志に伝授されて始まったと伝えられています。 -
<8>常泉寺
創建時期は不明ですが、当寺の「当山沿革史考」によると、天正年間(1573~92)にはすでに存在し、その後、元禄2年(1689)に權大僧都法印教海が再興し、七曲井の場所から観音堂だけを残して現在地に移転しました。 -
対の石柱の山門・・・奥に本堂が見えます。
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伽藍は明治18年(1885)の火災で焼失しましたが、飯能の宝泉寺の本堂を90円で買い受け、明治20年(1887)に再建されました。
解体された資材は名栗川~入間川を筏で下り、入間川町で陸揚げされたと伝えられます。 -
真言宗智山派の寺院で、本尊は木造釈迦如来坐像。
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境内に入ると左側に石碑が並んでいますが、その中で珍しいのは左側の「日待供養塔」・・・文政3年(1820)の造立で、正面には庚申日待、左面には弁天日待、右面には大黒日待の3つが塔に刻まれています。
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「水天」と刻まれた境内の「井戸神さま」・・・小さな自然石で銘文に「井戸組中」とあることから、1つの井戸を共同使用する家々が「井戸神さま」として、安政7年(1860)に造立したものです。
関東ローム層の下に厚い礫層が堆積する入曽周辺は、15~25mも掘らないと水が出ないので、かつては井戸を掘るのに家1軒を建てるのと同程度の費用が掛かったそうです。 -
<9>下水野の地蔵尊
貞享2年(1685)に造立された地蔵菩薩・・・かつてこの周辺は、欅や竹が鬱蒼と茂る寂しい場所で、夜中に通るとそこにポツンと立つ姿がお化けに見えたことから「水野の化け地蔵」と呼ばれるようになりました。 -
これは、狭山市在住の童絵作家・池原昭治さんが描いた「化け地蔵」。
このお地蔵さんは子供の夜泣きにもご利益があり、願をかける時は荒縄で縛って、願いごとが叶うと縄をほどく習わしから「夜泣き地蔵」とも呼ばれます。 -
水野村は川越藩の新田開発によって寛文6年(1666)から開拓された新田村で、この地蔵尊は入植後に亡くなった人の供養や開拓民の二世安楽などを願って建てられました。
水野地区は現在も新田開発当時の開拓地割の形態をとどめ、地蔵尊に名前が刻まれている人達の子孫が、同じ地域で農業に従事して開拓地を守っています。 -
地蔵菩薩の両側には、名主の「牛久保忠元」をはじめ開拓に従事した48名の名前が刻まれ、地蔵尊自体が水野の開拓の歴史を表わしており、また、開拓後の水野の人々の信仰や伝承を伝えています。
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<10>入曽用水
今も一部が残る入曽用水は、天正6年(1578)に開削された生活用水路・・・中世以降、入曽村では七曲井が飲料水などの生活用水として使われてきましたが、人口が増加するにつれて井戸だけでは不十分になり、用水路を掘削して入間市宮寺から流れ出る林川から用水を引き込みました。
その長さは約3.3km、深さ約30cm、川幅約1.8 mで、かつて入曽村の人々にとってかけがいのない生活用水でした。 -
これは、少し離れた所にある入曽用水。
開発当初の水野村には10か所の井戸しかなかったため、南入曽村に入曽用水の分水を延宝2年(1674)に願い出て、何事も南入曽村の指示に従う条件付きで元禄12年(1699)に許可されました。
今回の野外学習で、それぞれの地域にそれぞれの暮らしに根差した長い歴史があることを感じました。
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