2023/05/29 - 2023/05/29
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kokonoさん
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台風シーズンに入りました。
小雨の中「有田町歴史民俗資料館 東館へ向かいました
幸いに、お客さんは・・私独り占めですね。苦笑い
久しぶりの訪問です、
展示風景に変化はあるのかなぁー楽しみです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
-
玄関口です
有田町立歴史民俗資料館
Folkiore Museum of ARITA -
2 観覧料
大人 個人 \120 団体「20名以上」\80
高校生以下「聴講生は除く」無料 Free
※「身体障害者手帳」をご提示頂いた来館者様は、
本人様と同伴の方一名様が無料となります。
※当館を見学される方は、
隣接する有田焼参考館もご覧になれます -
19-29 応接室に設置されたテレビ視聴ビデオです
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30 応接室内の壁面写真です
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31-33 1階大広間の展示風景です
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右側の展示風景です
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左側の展示風景です
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34-35 明治時代の登り窯 縮尺1/10の模型 解説版です
登窯は、数室から数十室の焼成室が連なった窯で
山の斜面に築かれます・・ -
明治時代の登り窯
縮尺 1/10の模型だそうですよ -
36 江戸時代の有田焼 解説版です
江戸時代、有田を中心とした肥前地区が、国内生産地として
発展することができた理由はいくつかあります。・・ -
37 当時の作品や破片などですねっ
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38 近世から近代へ の解説版です
江戸時代の有田焼は、佐賀藩にとって重要な財源であったため、
厳しく管理されるとともに保護もされていました・・ -
39 有田・その風土と歴史 の解説版です
有田は厳しい山に囲まれています。現在は「うなぎの寝床」と形容される細長い谷筋に家屋が軒をならべていますが、・・ -
40 泉山磁石場の解説版です
17世紀初めころに発見されて以来、・・ -
41 幕末~昭和前期の有田焼
幕末~昭和前期の有田焼は、近代化の時代です。
それは、新しい時代に適応するための模索の時代でした。・・ -
42 生産体制の変化
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43 ヨーロッパからの技術導入
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44 ウィーン万国博覧会伝習生
明治6年(1873)日本政府は西洋の近代工業技術を
習得するために、26名にのぼる伝習生を送り込みました。 -
45 ゴットフリート・ワグネル
近大日本工業の祖として偉大な貢献をしました。
特に彼がもたらした科学的な知識は有田焼の近代化の
幕開けとなりました。 -
46 原料や顔料のうつりかわり
江戸時代の有田焼の生産を支えていたのは、
有田の泉山磁石場の豊富な磁石でした・・ -
47 原料・陶石
天草陶石 泉山陶石
天草陶石を使った製品 泉山陶石を使った製品 -
47 原料・陶石
天草陶石 泉山陶石
天草陶石を使った製品 泉山陶石を使った製品 -
49 施文技法のうつりかわり
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50 明治ごろの香蘭社
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51 染付の作品展示
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52 有田工業学校の二階式円筒型石炭窯
ウイーン万国博覧会伝習生の納富介次郎が、
明治33-34年に築かせた石炭窯を、
のちに改良したものです
焼成技術のうつりかわり
薪を燃料にした窯
石炭を燃料にした窯
以後、重油・ガスへと燃料が変遷するとともに
窯も改良され、変化していきました。 -
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54 有田焼の制作工程
時代の流れに応じて刻々と変化しています
現在では、多くの場面で機械化が進み、より効率的に
上質な製品を・・ -
55 採石・成土の道具
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56 成形道具
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57 施釉・下絵付け道具
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58 上絵付け・施釉道具
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59 上絵焼成道具
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60 検品・出荷
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61 染付大皿
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62 明治時代の登り窯 縮尺1/10の模型
後ろ姿です -
63 近代から現代へ
有田も太平洋戦争に至る長期間の戦争のため・・
現代に適応しようとする姿が今見られます -
64 戦時中の有田焼
昭和13年に公布された「国家総動員法」により・・ -
65 陶貨
終戦直後に磁器製の貨幣が試作されました・・ -
66 有田町献納海軍機
有田町民から海軍に収められた戦闘機です・・ -
67.71 統制経済 陶貨
焼き物の陶貨です、10銭、5銭、1銭、の3種類が
試作されています・・ -
68 軍需産業品など
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69.73 手榴弾??
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70 防衛食器
缶詰めの代用品として作られたもので
パッキンを挟んで密閉します
実際に使用れていました -
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74 金属の代用品
陶製水筒 -
75 post
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76 明治33年パリ万国博覧会
出品用の図案と色絵桜文蓋物 -
77 納富介次郎 立雁香炉草稿
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79 色絵流水花弁文蓋付椀
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80 明治時代の登り窯 縮尺1/10の模型
斜め横より撮りました -
81 素描スケッチ・・
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82 渦巻蓋物
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84-85 収蔵資料の紹介
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88 有田皿山のくらし
かつて有田郷と呼ばれたこの一帯の地域は、
町の西部を中心に、原始・古代より農業を主体として
人々の生活が営まれてきました・・ -
89 ミシン
昭和5年ごろのアメリカ製ミシンで、・・ -
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91 燭台
室内などで、ろうそくを灯して使う照明具です -
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93 鏡台
身だしなみを整えるため、
全身を映し出す大きい鏡です -
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95 火鉢
一般的に中に灰を入れ、炭火を起こして
暖房や湯沸かしなどに用いたものです・・ -
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97 当時の街中様子ですねっ
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98 磁器製風呂桶
大正15年佐賀練兵場とその周辺で
特別大演習大演習観兵式が行われました・・ -
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100 江戸期の商家内部です
町内に残る商家の内部を模して復元したものです・・ -
101 祭壇
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102 文箱
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103 たばこ盆
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104 箱枕
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105 湯たんぽ
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106 お歯黒道具
歯を黒く染める平安時代から始まった化粧法です・・ -
107 耳だらい
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108 山高帽
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109 かねつけ椀
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110 ランドセル
現在では小学生が背負っているイメージがありますが・・ -
111 映写機
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112 見本入
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113-115 資料館へ移動しました
室内風景です -
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116-120 安政六年有田郷図模型
この模型は安政6年に描かれた有田皿山の・・ -
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121 Ⅰ.成立期の窯業
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122 小溝上Ⅰ号窯跡 天神森窯跡
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123 有田の窯業の成立
肥前の窯場の拡大に伴い・・ -
124 小森窯跡・原明窯跡 1600-1610年代
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125 磁器の誕生
日本の磁器は、1610年に有田に根ざした唐津焼の技術の
中で誕生しました・・ -
126 小物成2号窯跡 1610-1620年代
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127 磁器の創始窯
李参平と通称される金ケ江三兵衛は、元和二年に
有田の三代橋に移住したと言います・・ -
128 小溝上1・2号窯跡
1610-1620年代 -
129 磁器生産窯の拡大
南原地区で磁器が創始それると、南原を中心として
急速に有田周辺に窯場の数が増加しました。・・ -
130 天神森窯跡
1620-1630年代 -
131-132 泉山の発見と天狗谷窯成立
「家永家文書」には、小溝原に住んで製陶していたが、
土が底をついて焼くことが叶わなくなったので
正右衛門が方々を探し回り、泉山を発見したことが
記されています・・ -
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133 窯場の整理・統合{1}
「山本神右衛門重澄年譜」には次のような
記述が見えます・・ -
134 原明窯跡・小物成1号窯跡
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135 窯場の整理・統合「2」
「山本神右衛門重澄年譜」には、続いて
日本人を払ったついでに、伊万里の・・ -
136 弁財天窯跡・迎原窯跡 1620-163年代
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137 岩中窯跡「岩屋川内山」 1630年代後半~1650年代後半
-
138 窯場の整理・統合の意義(1)
窯場の整理・統合は、単純に陶工の数を抑え、生産場所を
制限したという表層的な面には・・ -
139 天神山窯跡「稗古場」
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140 窯場の整理・統合の意義「2」
窯場の整理・統合は、単純に陶工の数を抑え、
生産場所を制限したという表層的な面には・・ -
141 山小屋窯跡「中樽山?」
1640-1650年代 -
142 地図です
-
143 中樽1号窯跡 「小樽山」
-
144 窯場の整理・統合「1637」以後の窯跡と関連遺跡
-
145 外尾山1・2号窯跡 1630-1640年代
-
146 新たな窯場の創設
窯場の整理・統合では、多くの陶工が窯業界から追放されました
しかし、・・ -
147 一本松窯跡 1630年代後半~1640年代
-
148 有田皿屋の範囲
窯場の整理・統合によって13の山に集約されますがが、
具体的な山名は記されていません・・ -
149 広瀬向6・1号窯跡 「広瀬皿屋」
1630年代後半~1650年代前半 -
150 皿山代官の創設
1640年代頃の有田では、窯場の整理・統合によって
形成された窯業地の中で・・ -
151 広瀬向6
-
152 窯場の整理・統合以後の運上銀
慶安元年1月8日に皿屋代官として着任した
山本神右衛門は、同年の運上銀を集め終えて
次のように語ったと言います・・ -
153 楠木谷1号窯跡 1640年代後半~1650年代
-
154 初期伊万里様式と古九谷様式
1610年代に誕生した最初の有田磁器のスタイルは
初期伊万里様式と呼ばれています・・ -
155
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156 肥前陶磁の生産技術構造図
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157 香苷窯跡 広瀬山 1650-1680年代
-
158 窯場の再編と地域色
広瀬や南原皿屋が、いつの時点で有田皿屋に
含まれたのかは はっきりとしません・・ -
159
-
160 広瀬山地区 近景
-
161 樋口4号窯跡 1640~1650年代
-
162 内山と外山「1」
皿山代官所が管理していた窯場には、
内山は窯場の整理・統合によって・・ -
163 樋口4号窯跡
-
164 地図
-
165 天狗谷窯跡 1650~1660年代
-
166 内山と外山「2」
内山は1650年代後半ごろのかまばの再編により
高級量産品の生産拠点として・・ -
167 広瀬向1号窯跡 1650~1680年代
-
168 広瀬向1号窯跡も野原層
-
169 皿山の世代交代
有田の窯業は、その成立以来、朝鮮半島の
技術を身に着けた第一世代の人々によって
うんえい運営されてきました・・ -
170 小溝上窯跡 1600~1630年代
-
171 楠木谷窯跡 1640年代後半~1650年代
-
172 初期伊万里様式と古九谷様式時代の窯道具
どちらの時代も基盤とする生産技術自体は李朝のものであるため
登り窯で焼成する際の・・ -
173 赤絵町遺跡 1650年代後半~1980年代
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174 海外輸出の時代
有田の磁器は1650年ころまでには海外への
輸出が始まったようです・・ -
175 幸平遺跡
1650年代後半~1680年代 -
176 赤絵屋の生産制度「1」
有田では、現在の赤絵町周辺に11軒の
赤絵専門業者が創設され・・ -
177 幸平遺跡 1650~1690年代
-
178 赤絵屋の生産制度 「2」
17世紀後半の赤絵屋の特徴は、上絵付専門業者
ではなかった点です・・ -
179 赤絵町遺跡
1650年代後半~1690年代 -
180 赤絵窯
-
181 中白川窯跡
1650年代後半~1680年代 -
182 内山の海外輸出製品
佐賀藩の産業的磁器生産の拠点として、海外輸出の
主翼を担ったのは・・ -
182 西登窯跡
1650年後半~1680年代 -
184 中白川窯跡
-
185 柿右衛門窯跡・平床窯跡
1650年後半~1680年代 -
186 柿右衛門様式
もともと酒井田柿右衛門製品に、この名称が・・ -
187 柿右衛門窯跡
1650年代後半~1680年代 -
188 柿右衛門窯跡
-
189 外尾山窯跡
1650-1670年代 -
190 製品のランクと匣鉢
発掘調査では、当然ながらランクの製品を
焼成した窯場なのかは・・ -
191
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192 李朝と有田の窯詰め方法
上級品・中級品・下級品 -
193 掛の谷窯跡 17世紀後半
窯の谷窯跡 17世紀後半 -
194 外山の海外輸出製品
17世紀後半には、外山の窯場でも
多量の海外輸出向け製品が生産されていました -
195 多々良の元A窯跡
1650-1680年代 -
196 多々良の元A窯跡
-
197 広瀬窯跡
1650-1680年代 -
198 17世紀後半の製品のスタイル
有田磁器の様式で、全体的に用いられたのは・・ -
199
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200 肥前陶磁の様式返還図
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201 辰砂製品の出土窯跡
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202 辰砂製品
-
-
204 広瀬向窯跡
1640-1650年代 -
205 清六ノ辻1号窯跡・清六ノ辻大師堂横窯跡
山小屋窯跡 1610-1650年代 -
206 18世紀の量産化・効率化の技術
広瀬山をはじめ大衆向けの製品を生産した窯場では・・ -
207 赤絵町遺跡 コンニャク印刷
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208 型紙刷り 広瀬向窯跡
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209 赤絵町遺跡 見込み蛇の目釉剥ぎ
広瀬向窯跡 -
210 赤絵町遺跡 ハリ支え
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211 皿類の成形の簡略化
下級品 中級品以上 -
212 赤絵町遺跡
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213 古伊万里様式の誕生と復及
初期伊万里様式が主役の座を譲った後、有田では・・ -
214-215 赤絵町遺跡2号赤絵窯跡
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216 泉山口屋番所遺跡
1690-1700年代 -
217 様式差から質差へ
古伊万里様式の復及は、17世紀には・・ -
218 穴の中に・・
【ハウステンボス】ビックリ・フォト編 2006-12-11
270
曇り空の穏やかな、客足の少ない11日「月曜日」に開催中のイベントを観に【ハウステンボス】へ出かけて見ました
午後の3時頃に入場しました、案内のご婦人と3名です
最初はビックリカメラ 次はブルガリアよりの民謡・・
908 お馴染みの
自転車おじさんと
彼も外仕事の合間には 貸し出し自転車の不備な部分を自分で修理していました
909 運河の畔も紅葉でした
910 チョコレートハウスです
心地よい香りが漂います
911 路地裏風景です
912 こちらのモチノキ ?? には
真っ赤な実がいっぱいでした
946 公園広場です
947 その公園広場の直ぐ前に
ショッキングなフォトハウスが在ります
子供だまし臭いですが・・
撮影者によっては、意外と良い記念写真になるかも ??
モナリザの左指先にご注意を・・
948 私も試して見ました
ダビンチも苦笑いですね
949 こちらは 完全に額から はみ出していますよね
973 私もイタズラしてみました
あくまでも トリックですよ
974 これは 凄いでしょう
975 ジョーズ ??
976 案内のご婦人と2人ががりで力比べ
女性は強し
977 私はこれでも 男性です
一人で大丈夫 ??
032-034-036-037-
038
100 下のほうに 手回しオルガン
上のほうには 電動自動オルガンが
時刻に合せて自動演奏します
101-102 運河の こぶ白鳥が 餌採りです
103-104 チャーチの花時計
135 木靴
181-182-183
184 記念撮影です -
219 泉山口屋番所遺跡
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220 多々良の元C窯跡
1690-1700年代 -
221 有田の生産制度改革
有田では、1650年代後半ごろ内山の・・ -
222-223 外尾山窯跡・外尾山5号窯跡
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224 ムクロ谷窯跡
1600-1740年代 -
225 様式差から質差へ
古伊万里様式は、大衆向けの製品を・・ -
226 窯の谷窯跡
18世紀 -
227 ムクロ谷窯跡
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228 広瀬向4号窯跡
1690-1740年代 -
229 広瀬向窯跡全景
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230
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231 18世紀の外山
17世紀後半の外山では、東南アジアを主体とする・・ -
232 広瀬向窯跡
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233 大衆向け製品への移行
1684年の清王朝による海禁の解除以後も・・ -
234
-
235 広瀬向4号窯跡
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236
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237 大型トチン・タコ足ハマ
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238 足付きハマ・大型ハマ
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239 見込み釉剥ぎ
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240 磁器の普及
18世紀末~19世紀初頭ごろになると・・ -
241-242-243 広瀬2号窯跡
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244 黒牟田新窯跡
19~20世紀 -
245-246 19世紀の磁器の特徴
19世紀の磁器も、製品の様式的には・・ -
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247 多々良の元D窯跡
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248 外尾山窯跡
19~20世紀 -
249 有田の登り窯
19世紀ごろになると、文献資料から・・ -
250
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251 安政6年 松浦郡有田郷図
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252 南川原窯ノ辻窯跡
19-20世紀 -
253 19世紀の皿山
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254
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255 皿山代官旧記覚書
文化十一年の日記に記された登り窯 -
256 年木谷3号窯跡
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257 新たな付加価値の創成
18世紀以降、古伊万里様式が・・ -
258
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259 広瀬向窯跡
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260 小樽2号窯跡
19世紀 -
261 登り窯衰退と地域色の減退
明治時代になっても、地区の共同窯として・・ -
262
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263 小樽2号窯跡
-
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264-271 展示室内風景です。
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-
272 玄関口右手に展示されている物です
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273 歴史民俗資料館の総工費と設計監理者です
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275 建屋の風景です
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