2023/01/05 - 2023/01/05
51位(同エリア398件中)
愛吉さん
世田谷生涯大学OB35期グループで令和5年の初詣に出掛けました。
今年は深川の七福神、七福神詣は3年連続、今年も良い年になるでしょう。
深川は江戸の名残を残す古い町、合わせて史跡も訪ねました。
芭蕉が奥の細道出立直前迄住み、”古池や蛙飛び込む水の音”を詠んだ芭蕉庵跡、出立地の採茶庵跡にも立寄ります。
表紙は冥界の大王、”深川閻魔”
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 交通手段
- 私鉄
-
スタートは富岡八幡宮。
1617年創建、江戸最大の八幡宮、8月に行われる例大祭は江戸三大祭りに数えられます。(11月下見時写真) -
本殿。
正月なのに人出はこの程度、2017年の事件以降参拝客が激減、その上コロナ禍です、仕方ないかな。 -
境内の入口には伊能忠敬像、日本地図を完成させた人物。
深川に住んで居り、調査出立前には、必ず富岡八幡に詣でました。 -
向かいには大関力士碑、歴代大関名を刻します。
1684年、幕府より勧進相撲が認められ、春秋年2回境内で相撲興行を行ったのが江戸相撲の始まりです。
現在でも新横綱の初土俵入りは、この八幡宮に奉納されます。
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本殿横には横綱力士碑。 横綱らしくサイコロ型の大きな石碑。
歴代横綱の四股名が刻まれています。 -
本殿に詣でた後は七福神詣スタート、先ず八幡宮の末社恵比寿宮から。
本殿の真後ろです。
正月の1日から7日間だけの御開帳。 -
恵比寿様ご本体、小さな厨子に収まっています。
航海安全、商売繁盛の神様です。 -
2っ目は冬木の弁天堂。
葛西大通りに面した小さなお堂です。
江戸時代この地にあった材木商冬木家邸内にあった弁天堂でしたが、いつしか冬木の名は町名となり、弁天堂だけが残されました。
その後関東大震災、大戦による空襲で全てが焼失、昭和28年近隣有志により再建されます。
境内地は狭く、御堂だけです。 -
奥に厨子に入った弁天様、琵琶を抱えています。
芸能上達、商売繁盛を司ります。
正月7日間と巳の日が御開廟。 -
普段は堂の前に身代わり弁天様がお出まし。(11月の下見時)
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三番目福禄寿に向う途中で法乗院の深川閻魔に立寄ります。
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日本最大の閻魔像、お賽銭を入れる場所により夫々お言葉を述べられます。
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本堂に入ると、天井と左右の壁面が鏡、異様な感覚に誘われます。
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又講堂は両壁面に地獄極楽の絵が嵌め込まれ、時間を忘れます。
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福禄寿の心行寺に到着。
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福禄寿は別社、御開帳に成っていますが、紗で覆われ垣間見るのみ。
写真も紗を通して3枚程写しましたが、これがベスト。
名前の如く幸福と富と長寿を司ります。 -
社の外に石の福禄寿、普段は扉が閉じているので本尊の身代わり像です。
右手で捧げる桃は福禄寿のシンボル、触ると福が倍増します。勿論触りましたよ。
(11月下見時の写真) -
横断歩道を渡り、採茶庵跡に立寄ります。
芭蕉、奥の細道出立場所、芭蕉旅発ちの像があります。 -
尚採茶庵は門人杉山杉風の庵宅。
芭蕉はこの時46歳、旅に死す覚悟の旅発ちです。
よって今迄住んで居た芭蕉庵は人手に渡し、旅発ち迄の暫時杉風の庵宅に世話になりました。
”草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家” -
続いて滝沢馬琴誕生の地。
椿説弓張月や南総里見八犬伝が有名です。
下に積まれた本は初版本を積んだ高さになります。 -
大黒天を祀る文殊院に到着しました。
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ここは大黒天が御本尊。
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では大黒天をアップで。
はっきり写りませんね。 -
境内にある石の大黒様。
福袋を背負い、右手に打出の小槌、頭巾を被り米俵に乗った姿です。
福徳、開運を担当します。 -
毘沙門天を目指します、途中に間宮林蔵の墓。
江戸末期の探検家、樺太が島である事を発見、間宮海峡の名を地図上に残します。
深川に住んで居り、生前にこの墓を建立、墓銘は林蔵の自筆。
素直な優しい字体です。 -
続いて紀伊国屋文左衛門屋敷跡。
紀州の蜜柑船と材木で財を築いた江戸時代の商人。 -
竜光院毘沙門天に到着。
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普段はご本尊の脇侍として祀られています。(11月下見時)
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正月7日間は正面にお出まし。
勝運、財福、長寿を担当します。 -
雲光院の門前を通ります。
家康の側室阿茶局の墓が有ります。
局を有名にしたのが大阪冬の陣、大阪城を攻め落とせなかった家康が和議を提案、その時徳川方の交渉人が阿茶局、徳川が女性なら豊臣も女性を立てねばならず、女性同士の交渉となり、結局外堀を埋める事で決着、半年後堀の無い大阪城は落城します。
家康一番のお気に入りで、駿府引退時に帯同した唯一の側室、残念ながら家康との間に子供は居ません。
尚雲光院は阿茶局の法名からとった寺名、従一位の官位を受けています。 -
続いて霊巌寺、江戸を起点とする六街道の出入り口に設置された六地蔵の一つ、水戸街道を固める地蔵像が有ります。
水戸街道を歩く旅人達が道中の無事を祈った地蔵です。
又六地蔵は江戸市民の浄財で造られ、その名前が体内迄刻まれています。 -
同じく霊厳寺の境内には松平定信公の墓が有ります。
八代将軍吉宗の孫として生まれますが、陸奥白川藩の養子に出されます。
その後老中となり寛政の改革を断行しますが途中で退任、悔やまれる人物です。
”白河の 清きに魚も住みかねて 少し濁れる田沼ぞ恋しき” -
霊厳寺の向かいは出世不動。
徳川四天王の1人、榊原忠次の開基、出世を願う人の参詣が絶えません。 -
布袋尊の深川稲荷神社に到着。
小さなお社、普段は門を閉ざし、社の外からの参拝になります。(11月下見時) -
正月五日は御開扉。
小さな木彫りの布袋様。
担当は開運、子孫繁栄、健康になります。 -
境内にある石の布袋様。
普段参りの身代わり像でしょう。 -
万年橋を渡ります。
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道を入り芭蕉庵跡に立寄ります。
芭蕉が奥の細道出立迄住んで居た処。
当時は池があり、蛙が住んで居ました。
”古池や かわず飛び込む 水の音” -
隣接して小さな稲荷社が有ります、芭蕉稲荷です。
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隣に芭蕉展望公園。
芭蕉像の向うに見えるのは隅田川に掛かる清洲橋、ドイツケルンの眺めに例えられます。
”川上と この川下や 月の友” -
芭蕉記念館。
今日は入りません、庭だけ見学に立寄ります。 -
丘の上に小さな芭蕉庵、中には芭蕉の石像が。
勿論投句箱もあります。 -
七福神の最後、深川神明社の寿老神に到着しました。
寿老人は別社、御開帳は正月7日間だけ。(11月下見時) -
正月五日は御開帳。 杖を突き、鹿の御供を連れています。
長寿を担当する神様です。
これで七福神全て回りました、今年も福が付くでしょう。
地下鉄森下駅は直ぐ其処、ここで解散します。
終
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