1992/04/24 - 1992/05/07
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ふーてんナッツさん
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1992年の春に、会社の先輩O氏とS氏とで2週間シルクロードを旅しました。
成田~北京往復チケットと北京~ウルムチ片道チケットだけを手配し、おおまかな計画は立てていたもののネットが無い時代、今から見れば危なっかしい旅でした。
旅行中に自分が撮った写真は、残念なことに帰国後に全部紛失してしまったので、当時O氏、S氏から貰って残っていた十数枚の写真と、当時書いていた旅行の日記帳を元に再現してみました。
【写真と説明文は一致していません】
<旅程>
'92.4/24:成田-(飛)→北京(泊)
4/25:北京-(飛)→ウルムチ(泊)
4/26:ウルムチ-(バス)→トルファン(泊)
4/27:高昌故城、アスターナ古墳、ベゼクリク千仏洞、蘇公塔観光;トルファン(泊)
4/28:トルファン-(バス)→柳園駅(泊)
4/29:柳園-(列車)→敦煌(泊)
4/30:莫高窟観光;敦煌(泊)
5/1:敦煌-(飛)→蘭州(泊)
5/2:白塔山観光;蘭州(泊)
5/3:蘭州-(寝台列車)→(列車泊)
5/4:→北京(泊)
5/6:天安門、王府井観光:北京(泊)
5/7:北京-(飛)→(上海経由)→成田
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 自転車 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
1992年4月24日(金)くもり
中国旅行サービス(株)にて手配してもらった航空券で、再度中国へ旅立つ。成田~北京往復は中国民航(中国国際航空公司)VISA付きで11.8万円+北京~烏魯木斉片道航空券3.2万円(通信費5千円)。相棒はO氏とS氏、日程は5月連休+土日含めて14日という長旅である。
昨日は深夜残業だったが朝5時半に起きてあたふたと旅支度を始め、9時半に家を出る。途中図書館に寄って地球の歩き方・中国シルクロード編を借り、成田空港に12時半過ぎ着。そこでO氏、S氏と落ち合ってチェックイン。飯を食った後14:55発のCA926便に乗り込む。
【写真と説明文は一致していません】天安門広場 広場・公園
-
中国国際航空は中国民航だった頃と比べて食事、酒のサービスが格段に良くなって驚いた。
北京首都空港に17時半ごろ到着して荷物を受け取った頃は外はもう暗く、バス(8元)に乗って西単にに着くも(CAACオフィスは西単に移っていた)ホテルを探すのに歩き回り、結局崇文門の新僑飯店に泊まることにした。(ツイン1人120元+床1人50元。
【写真と説明文は一致していません】 -
4/25(土)快晴~雨
朝6時半に起床。7時頃から地下鉄に乗って(5角。高くなった!)天安門へ行って見物。凧揚げを見て饅頭を食べて、再度地下鉄で乗四十条駅近くにある天地賓館の旅行会社で烏魯木斉行きの航空券を受け取る。
地下鉄でホテルに戻り、時間がなくなったのでタクシーでCAACオフィスへ行き、帰りの北京ー成田便(5月7日 8:10発CA927便)の予約再確認を行い、そのまま首都空港へ(113元)。13:05発の中国新疆航空公司のツボレフに乗り込む。
【写真と説明文は一致していません】 -
17時過ぎに着陸して、ついに烏魯木斉についたのかと思っていたらなんとそこは蘭州空港で、烏魯木斉は砂嵐で着陸出来ないとのこと。蘭州空港で1時間待って再出発して21時すぎに真っ暗で雨の烏魯木斉に着きました。
タクシーで烏魯木斉市内に行き、飛び込みで烏魯木斉賓館にチェックイン(ツイン1部屋100元)。23時頃近くの店で水餃子を食べ(麻婆豆腐の入った大盛りの餃子だった)、夜中の1時頃にベッドに入った。
北京とは違って吐く息が白くなる程の寒さだった。
【写真と説明文は一致していません】 -
4/26(日)晴れ
朝6時半起床。7時過ぎにチェックアウトし、吐魯蕃へ行くべく徒歩で長距離バス駅へ行き、9時半発鄯善行きのバスに乗る(14.7元)。バスから見る景色は絶景で、天山山脈や瓦礫の砂漠が延々と続いている。途中、風力発電の風車が回っていたりもした。
【写真と説明文は一致していません】 -
吐魯蕃に近づくに従って気温はぐんぐん上昇し、Tシャツ1枚で十分なくらいの気温になった。
その後、小型の軽トラックで吐魯蕃賓館にテェックイン(103元/3人)。そしてバザールへ行ってシシカバブーを食べたりして久々にのんびりと過ごした。夜になっても気温は下がらず、日本の晩秋の様な気候だ。
道路脇の歩道には葡萄の蔦が上まで伸びて覆い隠し、ベンチに人々がのんびりと座って暮らしているそんな街です。
【写真と説明文は一致していません】 -
4/27(月)晴れのち曇り
今日は吐魯蕃のハイライトとも言うべき日で、8時過ぎに起きた後街中へ。ナンとジュース(3角と1元)で朝食を取った後、軽トラで高昌故城、アスターナ古墳、ベゼクリク千仏洞、蘇公塔と廻る。高昌故城とベゼクリク千仏洞は予想を遥かに上回る雄大さで圧倒された。火焔山をバックにしたベゼクリク千仏洞は、まさにインディジョーンズの世界で、その色、形、雄大さ、どれをとっても今までに見た事の無いものだった。また洞窟の中の破壊された壁画は見るも無惨で、わずかに残された9世紀に描かれた絵を直接手で触ることが出来た。
【写真と説明文は一致していません】 -
はるか砂漠(と言うより礫漠)の中の一本道をSPGが全く効かない軽トラで、バックに真っ赤に燃えさかる火焔山に見送られ、街に帰ったのは16時頃。まだまだ昼の暑さで、セーターを持ってきたのは大間違いだった。
明日の吐魯蕃駅までのバスの切符を買い(2.8元/人)、ホテルに一旦帰ったもののシシカバブーを食べに夜8時過ぎ(まだ明るい)再度S氏とバザールへ出かけた。シシカバブー(レバー0.5元、肉1元/本)はピリッとして美味く量も多く大好きだ。
【写真と説明文は一致していません】 -
4月28日(火)晴れ
朝6時半起床。7時半に吐魯蕃賓館をチェックアウト。歩いてバスターミナルに7時40分に到着。オンボロバスに乗り込み。瓦礫の山の中の道をひたすら走る事1時間半余り、ようやく吐魯蕃駅に着いた。12時21分発の特快98次の硬座の切符を買うべく列に並ぶも、3番窓口~4番~2番とたらい回しにされた後ようやく買え(70元/人)、初めて硬座に乗るもそれほど混雑していなくて座ることができた。(この頃からS氏の腹痛が始まる)。窓から眺める景色はまさに絶景、奇景、珍景でこれだけでもきた甲斐があったと言うものだ。
【写真と説明文は一致していません】 -
列車内ではカセットを聞いたり、食堂車から中国料理を持ってきてビールやウィスキーを飲んだり、本を読んだりして、夜中の1時すぎにようやく柳園駅に到着。駅で軟座の日本人団体客のバスに乗せて貰おうと交渉したがそのまま発車され、駅前の安宿(15元/人)に泊まる。思ったより寒く、捨てようと思っていたセーターを着て寝る。おりからの停電で宿の中は真暗。街中も真暗闇だ。汽車の汽笛や犬の吠える音で、なかなか寝付かれない。
【写真と説明文は一致していません】 -
4月29日(水)晴れ
朝6時半に起床。すぐ前のバスターミナルで8時半発の敦煌行きのチケットを買って出発。最初は黒ゴビ砂漠と言われる黒い砂のうねった道を走り、そのうち砂は無くなっていく。
走ること1時間45分くらい、降りたところが鳴山飯店の目の前で、そこにチェックイン(2人部屋2部屋で1人25元)。ホテルは工事中。
その後明後日の蘭州行きの航空チケットを買いに街中のCAACオフィスへ行くも閉まったままで、3時間近く待ったが結局買えなかった。仕方なくCITS(今年敦煌賓館から鳴山賓館の南の方にあるビルに移ったらしい)へ行って臨時便を予約する。(430元+手数料25元/人)
【写真と説明文は一致していません】 -
お昼頃、市内の博物館を見学(1元)、夕方6時から自転車を借りて鳴沙山まで行くも山に登る元気がなく、冷たいビール(2元、これが旅行中1番美味しいビールだった)を飲んで帰って来た。鳴山賓館~鳴沙山までは自転車で約30分の道のりだ。
夜夕食を食べ夜中に夜食も食べに出かけ、12時ごろ寝る。
【写真と説明文は一致していません】 -
4月30日(木)晴れ
今日はいよいよ莫高窟の見学の日で、昨日買っておいたバスチケット(3.5元)で朝8時出発。約40分余りで到着。
入場料25元を支払い、荷物、カメラ等を預けて洞窟の中を見て廻る。洞窟の中は暗い所が多く、案内人が懐中電灯を照らして説明するのを聞いて約1時間半で終わる。1000年以上前に描かれた壁画や巨大な仏像が数多くあり(絵そのものは幼稚だが)、団体客の中に混ざって説明を聞くうちにのめり込んで行きそうになる。
【写真と説明文は一致していません】 -
帰りは11時発のバス。午後から1時のバスで一人で莫高窟の前の山を登りに行く。2、3キロ砂の中を歩いて黒々としたもろい山に登り始めるのだが、頂上まではとても登れず、一番手前の小山までしか登れなかったのだが、それでもそこから眺める景色は雄大で素晴らしかった。
帰った後、食堂で包子を半斤食べたのだが、この後夜中頃からひどい下痢をすることになってしまった。
【写真と説明文は一致していません】 -
5月1日(金)晴れ
朝ゆっくりと8時頃目が覚めたのだが、夜中に2、3度トイレに行き、おまけに鼻水も出て体が熱っぽい。午後2時半頃の蘭州行きの臨時便だが、CITSのチケットがなかなか手に入らず、早めにホテルをチェックアウトしてタクシーで敦煌空港へ向かう。
空港に着いたのが11時半前で、結局出発時間の3時まで3時間半も誰もいない空港で待つこととなる。
【写真と説明文は一致していません】 -
そのうち日本人やフランス人の団体客がどっと入って来て、順番待ちに関するすったもんだのトラブルやおまけにCITSが(航空券が必要なのに)搭乗券しかくれなかったもんだから一時は乗れないと諦めかけたが、なんとか搭乗させて貰った。
蘭州空港に着いたのは午後5時15分頃。ところがバスもタクシーも無く、長い間待ってようやく夜7時10分発のバスに乗ろうとしたらタクシーが現れて、結局タクシーで150元のところを70元に値切って勝利賓館の3人部屋(70元/3人)に夜9時前にチェックイン。風邪気味。
【写真と説明文は一致していません】 -
5月2日(土)晴れ
8時前に起床。9時に2階の旅行社で炳霊寺のツアー(250元/3人+船18元/1人、、、通常は全部で60元/1人だが、満席で臨時バスを出すので高くなったとの事)と明後日の北京行きの列車の切符(200元/1人)の予約をした後、白塔山公園の見学をする。街中は風で砂塵が舞い上がり、マスクが必需品だった。
【写真と説明文は一致していません】 -
白塔山公園の山頂に上がると、黄河上流の黄色く濁った川と横に細長い蘭州の街が一望できた。
午後3時過ぎ、山から降りて街を散策しホテルに戻ってゆっくり休む。今日から100元のツインルームを2部屋とった。
夜、夕食を食べに外のレストランで食事。誰が食べれるのだろうかと思われる程の辛い麻婆豆腐が出てきて、辛いもの好きの自分でも3分の1も食べれなかった。その後、街中の店で買った風邪薬(Contac)を飲んで寝る。
【写真と説明文は一致していません】 -
5月3日(日)曇りのち雨
今日はいよいよ炳霊寺の見学の日だ。昨日の夕方に旅行社に寄ってみると我々3人の他にも参加者が増えたと言う事で、我々の為だけの臨時バスは出さずにすむという事で、60元/3人が戻ってきた。
朝7時40分頃、蘭州賓館を出発。約2時間で劉家狭ダムに到着。そこから船で黄河上流へ遡る事2時間半、とんでもないアクシデントが起こってしまった。なんと船が浅瀬に座礁してしまったのだ。あと30分のところでだ!なんとか抜け出そうとしたものの抜け出せず、5時間近くもそこで無駄な時間を費やされてしまった!
【写真と説明文は一致していません】 -
結局、他の小舟で他の船までピストン輸送し、炳霊寺は見ずじまい。常にゴテゴテに回った船長の対応と他の中国人観光客の呑気さには腹ただしくさえ思えた。
午後7時半頃ダムまで戻り、そこからまたバスでホテルに戻ったのが夜中の11時近くになってしまった。唯一の救いだったのが一緒について来てくれたガイドの張さんで、船上で昼食のパンとジュース、夕食も回麺をご馳走してくれた。バスの中でもKANの日本語の音楽をかけてくれたりして親切だった。日本に帰ったら彼女にテープを送ってあげよう。
ホテルに帰ったら、明日の北京行き列車の硬座の切符が取れていた。(470元/1人)
【写真と説明文は一致していません】 -
5月4日(月)雨
蘭州での3泊を終えて今日は北京までの移動日だ。朝9時発の北京行き特快44次に乗るべく、雨の中蘭州駅までタクシーで飛ばす(20元)。8時40分頃改札が始まり列車に乗り込むも、これから35時間も硬座ではやはり辛いと思われる為、軟臥に変更してもらう。(追加料金305元余り/1人)
9時3分に列車は動き出したものの、すぐに止まりそこで立ち往生。それをなん度も繰り返して蘭州駅で買った時刻表と見比べてみると、3時間以上も遅れてしまっている。昨日の船の座礁といい、全くついてないな、最悪帰りの飛行機に間に合わなくならないのかとイヤーな予感も脳裏をかすめたが、その後はなんとか動いているようだ。
【写真と説明文は一致していません】 -
車窓からは相変わらず緑のほとんど無いなだらかな丘が続く中を、列車は蒸気機関車に引かれながら右へ左へ大きな弧を描きながらゆっくり走って行く。カーブに差し掛かると前の蒸気機関車が窓からも眺められ、遥か彼方まで続く地平線の中を蒸気機関車の後ろ姿が懐かしくも頼もしくも感じられた。
【写真と説明文は一致していません】 -
5月5日(火)くもり
朝7時頃、2段ベッドの上で目を覚ます。列車は順調に走り続けているようだ。車窓から眺める風景も緑の多い景色に変わっている。
アストリアコーヒーとパンで朝食。時刻表で列車の時間を確認してみると、やはりまだ3時間あまり遅れている。この蘭京線は一部を除いて単線のようで、遅れた時間を取り戻すのはなかなか難しいようだ。
【写真と説明文は一致していません】 -
下痢の方は回復しているがまだ鼻風邪気味で、朝食の後風薬を一服飲む。伸ばして来た顎髭も大分伸びた。頭髪もザンバラ頭のままだ。今まで何枚ものシャツ、下着やズボン、靴下類を捨ててきて荷物も大分軽くなった。北京に着いたらもう1枚づつとパジャマを捨てよう。
O氏とS氏は持って来た小説を読んでいる。私も昨日読ませてもらった。
予定通り?、定刻より3時間遅れの11時頃に北京駅に到着。あいにくの雨の中、歩いて新橋飯店にチェックイン。(120元/1人+床50元)2泊はできないということで、明日また他のホテルへ移らなくてはならぬ。
【写真と説明文は一致していません】 -
5月6日(火)小雨のちくもり
いよいよ旅行も最後に近づいてきた。
8時頃起床。(S氏は床に寝た)9時頃チェックアウトし、斜め向かいの哈得門飯店にチェックイン。(ダブル128元x2)
その後、早速呼吸へ向かうも入場料30元が惜しくて入るのを止める。そして西単のCAACへ行って明日の帰国便の再々確認をした後、王府井で101やお茶、お酒なの買い物をし一旦ホテルに戻った後、友誼商店へ行って再度お土産を買いまくった。それでもT/Cが1万円以上も余った。(5万円分のT/Cと3万円の現金を持って来ていた)
【写真と説明文は一致していません】 -
夕方になり、私は2週間伸ばしてきた顎髭と頭の髪を切って貰いに床屋へ行き(8元)、明日の朝5時半に空港までのタクシーの予約をした後、哈得門飯店の並びのレストランで北京ダックや貝柱等とビールを飲み(16元/1人)、部屋に戻って今これを買いている。
これから荷造りをして明日に備えなければ。王府井で買った厚い漢・英/英・漢字典が重い!
【写真と説明文は一致していません】 -
5月7日(木)霧~晴れ
4時半起床。いそいそと荷造りし、昨日の夜頼んでいたタクシーのおっちゃんから5時15分頃TELがかかって来て。5時20分ころ哈得門飯店を出る。(北京首都空港まで100元)ところが途中ですごい霧がかかってきて、視界が50m程しかない。こりゃ飛行機が飛ぶかどうか分からないぞーと思っていたが、空港に近づくにつれて太陽が昇ってきて少しずつ晴れてきた。
空港到着後、空港税60元を払って荷物検査~カウンターにチェックイン。荷物は全て機内持ち込みにして貰った。
【写真と説明文は一致していません】 -
CA927便は北京~成田直行便だと思っていたら、なんと上海経由。何かイミグレーションの不手際があった様だが、予定の8時10分を少し過ぎてテークオフ。約2時間で上海着、そこで降りて再度イミグレーション手続きを行い、1時間待っていよいよ成田へ。3時間くらいで日本時間の午後3時過ぎに成田到着。税関ではほぼフリーパス、すいすいすい~と3時26分発の京成特急に乗る事ができた。
池袋では5時2分発急行で小手指まで行き、小雨の中タクシーでアパートまで来ました。(初乗り540円)
こうして楽しく辛くもあった長い旅は終わりました。
【写真と説明文は一致していません】 -
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