2022/06/03 - 2022/06/03
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azusa55さん
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名古屋市西区枇杷島4「神明社」
庄内川堤防に鎮座する中島黒體龍王大神社から庄内川上流に5分程遡った左岸堤防の上に小さな杜を持つ神社。
ここから東の白菊公園方向に5分程行くと家屋の隙間に祀られた秋葉神社があります。西区は屋根神様の多い地域、古い街並みは残るものの、建替が進み、居場所がなくなり地上に降ろされたり、消えゆく屋根神さまも多い。
- 旅行の満足度
- 2.0
- 観光
- 2.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
名古屋市西区枇杷島4「神明社」
庄内川堤防に鎮座する中島黒體龍王大神社から庄内川上流に5分程遡った左岸堤防の上に小さな杜を持つ神社。
枇杷島から県道に出る車道はあるが車の往来もあり路駐はし辛い、気にはなっていても長年縁がなかった神社の一つ、今回は自分の足で訪れて見た。
地下鉄鶴舞線の浄心から西に向かい庄内堤の神社まで徒歩30分程。
歩き出した事はいいがこの日は真夏のような陽気、日陰を探しながらの道行きだった。 -
土手の向こう側は県道、すぐ先を赤い電車が通り過ぎて行く。
神社の下側にも社があるようで、堤防道路からは目にすることのないものだ。
堤の斜面に石段が作られ、その先に基壇が作られ社が祀られている。 -
社全景。
赤い屋根の三つの扉が付く相殿。
上の神社とフェンスで区切られているので境内社ではなさそう。
どなたの三世帯住居なのか知りたいところですが、表札もなく扉は閉ざされさっぱり分からない。 -
基壇は意外に新しく、後方に複数の看板が置かれている、これひょっとして屋根神様かも?
西区は屋根神様の多い地域、古い街並みは残るものの建替が進んでいる。
建替に伴い居場所がなくなり地上に降ろされたものだろうか。
扉が三枚となるとそう勘繰りたくなる、扉をノックしたいがそうはいかない。
上の神社との関係はよく分からないが三世帯分の賽銭を上げ参拝させてもらう。 -
歩道を左に進むと神社に続く石段があり、堤の上に大きな切株と社標が立っている。
長年気になっていた神社の正体は「神明社」だった。
堤防の上に鎮座するので津島さんか龍神さまと決め込んでいたがそうではなかった。 -
堤の下から上を眺める、大きな切株は神明社の歴史を語っているかのようだ。
それにしても堤防上の巨木の切株、相当な根を張っていたと思うが、根が朽ちた後の空洞は堤防の強度を下げたりしないものだろうか。 -
1891年頃の枇杷島界隈。
随分と川の様相は違い、周辺には大きな中洲も見受けられる。
神明社について後日地史を調べて見たが創建に繋がる確かな記述は見つからなかった。 -
枇杷島と県道106号線を結ぶ車道から下流の眺め。
往古の庄内川や矢田川の堤は幾度となく切れ、特に1700年代の明和の洪水、宝暦の洪水など大きな被害に繋がっている。
ここに神明社が祀られた思いは分からないが、川の氾濫による禍除けからかもしれない。
この周辺の川の様子を知るものとして尾張名陽図会の挿絵を載せておこう。 -
枇杷島橋下流から上流方向を眺めたもの。
当時の枇杷島橋は美濃路への要衝ともなり、現在の橋より少し上流の中島黒體龍王大神社が鎮座する辺りとされ、名鉄の橋脚から少し下流あたりになる。
広い川幅に橋を架けるため中州を利用し二つの橋(枇杷島大橋と小橋)が架けられた。
挿絵には上流の堤防の様子も描かれ、右手の堤防上に神明社の姿を期待したが描かれていなかった。
当時は堤防から富士山も綺麗に見えたようだ。
ここに描かれた木造橋や中洲、集落など現在は姿を消しその名残はない。
暴れ川といっても過言ではない庄内川、輪中や水屋、横堤など人は知恵を絞り生活して来た、それでも最後は神が必要だったのかも知れない。 -
堤防から眺める社殿全景。
鳥居はなく形跡も見られなかった。 -
神明社の社標は1937年(昭和12)に寄進されたものだった。
後方に手水鉢と正面に瓦葺で四方吹き抜けの神楽殿、本殿域。 -
手水鉢。
-
神楽殿から本殿域の眺め。
常夜灯の先に神明鳥居が建てられている。
境内の寄進物の中では手前の常夜灯が一番古そうで、竿に文字は刻まれていたが読み取れなかった。 -
鳥居から本殿域。
枇杷島に繋がる道は対面通行で社地左側に玉垣はなく線引きがないので車には要注意。
鳥居の寄進は1931年(昭和6)と刻まれていた。
鳥居の向きから見ると現在の車道が参道だった気にさせる、その後右手に石段が作られた? -
本殿域全景。
周囲は玉垣で囲われ、小さな狛犬の姿がある。 -
本殿には扉が二枚。
神明造で内削ぎの千木と6本の鰹木が施された二社相殿。
祭神は神明社とあるので天照皇大神、もう一社が分からない。
読み取れなかった常夜灯に手掛かりがあるのかも。
取り敢えず二世帯分の賽銭を投入し参拝。 -
狛犬。
小振りながら整った容姿の持ち主で昭和生まれの様だ。 -
本殿から拝殿方向の眺め。
-
堤防道路から本殿側面の眺め。
いつも通り過ぎてしまうあの姿は神明社だった。
ここに神社を祀った動機は分からないが、すぐ先に見える住宅の屋根の高さは随分下。
技術と知恵でおとなしくなった川と云っても一カ所でも切れれば他人事では済まない。
祈るだけで願いが叶うなんてことはない。
技術と知恵で対策は施しているものの、時に自然がみせる荒々しい姿を目の当たりにすると神頼みしたくなるものがある。
神明社
創建 / 不明
祭神 / 天照皇大神、不明
境内社 / ---
所在地 / 名古屋市西区枇杷島4-20-22
参拝日 / 2022/06/03
公共交通機関アクセス / 地下鉄?鶴舞線「浄心」降車西に徒歩25分前後 -
神明社から東に5分程。
白菊公園の西の住宅街、建物に挟まれた奥まった場所にひっそりと「秋葉神社」が佇む。
道筋に掲げられた「秋葉神社 白川二部町内会」の看板を見逃すと恐らく気が付かないだろう。 -
秋葉神社正面の眺め。
社は左の民家の奥まった場所に祀られているようだ。 -
近付いて見て初めて分かる、身の丈程の高さに櫓が組まれ、その上に覆屋が設けられている。
-
覆屋を支える高さのある櫓の下はかがり火台が置かれるなど、奥行きを有効に生かすための策なのかもしれない。
入口の扉は施錠されていないものの気が引ける雰囲気がある。 -
精一杯寄った社は鰹木が4本、内削ぎの千木が付く神明造のように見えます。
社名札は見当たらないが「秋葉神社」とあるので火之迦具土大神を祀るものと思われます。 -
いつ頃祀られたものか調べて見るも定かにはならない。
左が明治26年頃の枇杷島周辺、美濃路沿いに集落が連なり、秋葉神社の鎮座地は美濃路の北外れにあたり、当時まだ町割りもされていない事から遡っても大正、昭和に入ってからかもしれない。
何れの時期にしても、ここに集落が集まりだし火伏の神が必要だったのだろう。
高い場所に祀られた社ですが綺麗に手入れされ、今も町内で神社当番を回しているのだろう。 -
白菊公園付近で見かけた白菊町の謂れ。
「藤原師長は1138年(保延4)藤原頼長の次男として生を受け、保元の乱のあと土佐に配流された
後に白河院政のもとで太政大臣、従一位となるも、1179年(治承3)平清盛のクーデターで当地に配流された
配流後の龍泉寺で理覚と改め出家、仏門に入る。
箏、琵琶の演奏に優れた才能を発揮、彼の琵琶は「白菊の琵琶」と呼ばれ、1181年(治承5)清盛の死後、京へ召還となります
師長に仕えた村長の横江氏の娘に白菊の琵琶を形見として残します
娘は現在の枇杷島まで師長を見送り、悲しみから琵琶と共に身を投じました。
それと共に師宣の琵琶は幻の琵琶となります。(後に白菊の琵琶は宮内庁所蔵と判明)
1192年(建久3)55歳死去。法名は理覚、号は妙音院。
妙音通、師長町、枇杷島の町名や神社から南の山崎川に架かる「師長小橋」などこれらは藤原師長にちなんだものと云われます。」
この地が分かれの場となった場所と言い、一部に残る白菊の名はこの白菊の琵琶から来ているもの。
「秋葉社」
創建 / 不明
祭神 / 火之迦具土大神
参拝日 / 2022/06/03
所在地 / 名古屋市西区枇杷島3-17-18
公共交通機関アクセス / 地下鉄 鶴舞線「浄心」降車 西に徒歩25分前後、
中島黒體龍王大神社から徒歩アクセス / 庄内川上流に5分程
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