2022/06/10 - 2022/06/10
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azusa55さん
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三重県四日市市久保田「窪田神社」・「井具羅神社」・「延命地蔵尊」
近鉄名古屋線四日市駅から三滝川沿いにひと回り、距離にして約5.5㌔、約1時間30分程度で巡れます。
この他、既に紹介した「諏訪神社」や「鵜森神社」、旧東海道の名残など残り、四日市、見所の多い街のようだ。
- 旅行の満足度
- 2.0
- 観光
- 2.5
- 交通手段
- 私鉄
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三重県四日市市久保田「窪田神社」
近鉄名古屋線四日市駅から徒歩30分程西の三滝川右岸堤防の手前に鎮座する。 -
三滝川。(久保田橋下流から上流の眺め)
西方の御在所から湧き出た水は窪田神社の背後を流れ、四日市市内を経て四日市港に流れ下る2級河川とか。
堤から川面を眺めると以外に澄んだ流れ、神社に向かう前に河原に下りて涼んで見た。 -
四日市はどうしても過去のイメージが付きまとうが、こうして見る空も水も青々として今では四日市港から三滝川を遡上するアユの姿も見られると云う。
過去の負のイメージは微塵も感じさせない。
この写真の堰堤、御存知の方も多いと思いますが、風船のように内部に空気満たし堰を形作るもの。
こうして溜められた水は導水口から取り込まれ田畑を潤し、町内に流され涼感を与えてくれる。
1898年頃の久保田橋界隈は久保田橋もなく、三滝川右岸の久保田集落と左岸の野田集落以外は田んぼの広がる一帯。
先程の堰から取り込まれた水はこれらの水田を潤す事になる。
随分と寄り道してしまったが窪田神社の話に戻そう。
窪田神社は明治31年の地図にも鳥居の印を見ることが出来る。 -
三滝川右岸堤防道路。
なんとこれで国道(477号線)なんだと云う。
窪田神社は右手側道の横になります。 -
側道を下りた久保田町。
柳通りから北に入った道路に面し窪田神社の社頭がある。
堤防と柳通りの間に鎮座し、社殿は大きな樹が聳えた杜に包まれている。
駐車場は見当たらなかった。 -
社頭から境内の全景。
社標としては立てられていないが、右の幟立てに「窪田神社」と刻まれていた。
常夜灯の先に石の神明鳥居、その先が拝殿、本殿の伽藍。 -
境内右に手水石。
-
拝殿正面全景。
切妻瓦葺で軒先を長くして向拝を設けている。
神紋は鳥居に刻まれていた左巴の紋だろう。 -
社殿全景、といきたいところですが左右に樹々が迫り本殿の姿まで入り切らない。
窪田神社の創建等の詳細は定かではなく、一説によれば1926年(大正15)に四日市市赤堀の八坂神社から分祠したとある。
地図が発行された明治31年には既に鳥居の印、境内の燈籠の1854年(嘉永7)などから八坂神社から分祀されたことは事実だと思いますが、それ以前からも存在し江戸時代まで遡る神社のようです。 -
拝殿横から本殿域。
神明造の本殿は鰹木5本、千木は外削ぎで、本殿域には燈籠、狛犬が安置されているようだ。
祭神は健速須佐之命の一柱とされるようです、分祀年度や地図の履歴から一柱ではないような気がする。 -
社地左側から社殿の眺め。
左手に澄んだ小さな流れが続き、そこには小魚も泳いでいる。
右手の看板が神社の由緒?と期待したがそれは外れだった。 -
三滝川「石垣井堰」からの取水口
「農業用水に供するため、三滝川に堰を造り、そこから左岸の野田側と右岸の久保田側に水を取り入れている。
ここで取水した水は、久保田と芝田の田を灌漑している。
この堰は「石垣井堰」と呼ばれ、河川改修に伴う井堰を造り替える工事が、2000年(平成12)から始まり、2003年(平成15)に完成した。
現在久保田、野田の自治会が維持管理している。
堰はゴム堰で、いわば風船を膨らませた形で川に堰を造り取水している。
表面水、伏流水両方の水を取り入れているが、きれいな水が流れ込んでおり、上流部では源氏ボタルのえさにもなるカワニナが生息している。
この川の流末は阿瀬知川になっている」
市内を歩いていると阿瀬知川を至る所で見かける。
街で見かける淀んだ汚い水ではなく、三滝川の澄んだ水が導かれ適度の流れを持つもので、横を歩いていても酷暑が続く毎日ですが、見た目体感ともに涼やかだ。
淀んだ汚い川には蓋を被せ暗渠にして見えなくする手法より、川を綺麗にして絶え間なく水を流してやる前向きな取り組みだと思う。
子供の頃身近にあった川も今や三面コンクリートになり、遠ざけられ危ないものの様に扱われている。
親水の中から学ぶ事は多いのだが・・・学ばせるより排除する方が容易だし金を生まない事もあるんだろうね。
ひょっとすると四日市市内に蛍が飛び交うのも夢ではないのかもしれないね。
窪田神社
創建 / 不明
祭神 / 健速須佐之命
所在地 / 三重県四日市市久保田2-17-18
公共交通機関アクセス / 近鉄名古屋線四日市駅西に徒歩30分程
訪問日 / 2022/06/10 -
三重県四日市市伊倉。
窪田神社から南西に10分程の住宅地の広がる一画に「井具羅神社」が鎮座する。
社頭に続く道は御覧の様に右に畑、左に幼稚園と挟まれるように社地かある。
南側の通りから眺める社頭は、狭い通りの先に鳥居があり神社の存在は分かり難いかもしれない。
北を流れる三滝川の南に広がる水田地帯にかつての伊倉村の集落があり、村の西外れに鎮座しているのが当神社。
現在の伊倉は1889年(明治22)に赤堀村、中川原村、芝田村、伊倉村、久保田村、大井手村、松本村の7ヶ村が合併して三重郡常磐村になったという。
石垣井堰の解説にあった「常磐のまち」はこの常磐村を指しているのだろう。
その後1941年(昭和16)に四日市市に編入され常磐村は廃止、常盤地区と呼ぶ様だ。
伊倉に鎮座する井具羅神社、伊倉が転じ井具羅神社になったのか、井具羅神社から転じ伊倉となったのか定かではないけれど何か関連がありそうです。 -
狭い通りを抜けると境内が広がり、その入口に白い狛犬が安置されている。
左の阿形は葉に遮られ顔を見せてくれていない。 -
社頭全景。
神明鳥居の先に広がる境内は左側が公園にもなっているようです。
隣が幼稚園という事もあり子供達の活気のある声が良く聞こえてくる。 -
境内に入り左の建屋は井戸の様に見えますが、全周玉垣で囲われた手水舎のようです。
ここに来るまで目にしなかった井具羅神社の社標もここに立っていた。
左に案内板もある。 -
囲われた手水舎の中の手水鉢、余程古い物かと屈んで側面を眺めるもそんな感じでもないようだ。
-
脇に立つ案内板は「井具羅神社由緒」
内容は以下。
「神社は伊勢国三重郡大字伊倉村字川嵜にある。
祭神は「健速須佐之男命」。
勧請年月日は不詳だが古来より現在の東隣の巨大老松の中にあった。
明治2年(1869)11月井具羅神社と改称。
明治6年(1873)3月20日に伊倉村村社となる。
明治21年(1888)町村制公布、明治22年(1889)4月1日、伊倉村は中川原村、久保田村等7ヶ村連合で常盤村へ。
後に明治政府の一村一社の令により明治40年(1907)9月26日、三重郡大字伊倉字浄裕の無格社山神社、祭神は「大山津見神」を合祀、井具羅神社と単稱とした。
明治40年(1888)町12月12日、赤堀村の八阪神社(常盤村村社)に合祀された。
以後氏子は遠離につき参詣が遠のき、敬神の念が次第に薄らいだ。
昭和2年(1927)3月12日、この地に井具羅神社を新築、八阪神社から分祀し現在に至る」
八阪神社はここから赤堀方向へ歩いて30分程の位置になる。
由緒にある「東隣の巨大老松」は何処を見渡しても名残らしきものは見当たらなかった。
身近にあってなんぼの集落の守り神、分祀した動機はよく分かる。 -
拝殿。
切妻瓦葺のシンプルな趣が漂う。
昭和2年(1927)に新築とあるので建物は綺麗、手入れされた境内と相まって心地いい環境です。
子供らを遊ばせるにはいい空間か。 -
伽藍全景。
拝殿から本殿は壁でぐるっと囲われ本殿域の様子は窺うことが出来ない。 -
本殿。
棟には5本の鰹木と外削ぎの千木が付く。
ひと昔前は田んぼが広がっていた伊倉、今はその姿はなく、舗装された道路と住宅が広がるベッドタウンに変貌したようだ。
この陽ざしを受けていると、水の張られた田んぼの光景が妙に恋しくなる。
井具羅神社
創建 / 不明
祭神 / 健速須佐之男命、大山津見神
所在地 / 三重県四日市市伊倉2-8-5
参拝日 / 2022/06/10
窪田神社より徒歩ルート / 南へ10分 -
三重県四日市市西町「延命地蔵堂」
井具羅神社から三滝川右岸堤防を30分程下流に向かいます。
ここまでは国道477号線沿いに歩く場面が多いので車には注意したい。
近鉄名古屋線の橋脚をくぐり、その先の歩道橋を上ると堤防沿いに一本の巨樹が聳えています。
最近はでかい樹を見るとなんでも楠に見えてくる。
傍でじっくりと見ていないのではっきりしませんが、立派な幹は艶々で楠ではなさそう。
保存樹リストには載っていなかったが威風堂々した立派な樹だ。
四日市市西町の「延命地蔵堂」は右の堤防道路の右に見える杜の中に佇んでいる。 -
「延命地蔵堂」は赤のラベルの位置。
残念ながら地図に記されていないのでいつ頃祀られたものなのかは推測が出来ません。
地蔵堂の前の通りは三滝川沿いに東西に延びる「菰野道」と呼ばれる旧街道。
かつての東海道四日市宿の陣屋があった四日市市北町交差点から始まり、西方の菰野町菰野に至る約11㌔の街道で、そのほとんどは三滝川と金渓川沿いに続いています。
四日市側から「菰野道」、菰野側からは「四日市道」と呼ばれていたようです。 -
「延命地蔵堂」全景。
瓦葺の方型の堂は地蔵堂としてみれば立派なもので、手入れも行き届き地元で大切に守られているのが窺われる。
右側の建物は西町会館、住民のコミュニティーの場となり人の往来も多いだろう。 -
堂前には二つの手水鉢が置かれており、樹々の間に隠れるように龍がいる。
生憎、龍はお休みの様です。 -
拝所から堂内の眺め。
軒下に吊るされた鰐口は小さいがいい音色をしていた。
ここ何年か鰐口にしても鈴にしても満足に鳴らしたことがなかった、久し振りかもしれない。
もう紐は巻き上げておく必要はないように思うし、龍に仕事をさせる時期に来ていると思うのだが… -
堂内は中央に金色に輝く厨子の中に一体、両脇に二体の三体の延命地蔵が安置されています。
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中央の延命地蔵顔王大菩薩像。
厨子の中に納められ像の大きさや表情などは読み取れないが彫は浅く、年代は古そうな感じがします。 -
左右の地蔵も赤い帽子と前掛けが付けられ、綺麗な羽織が掛けられ姿は拝めない。
僅かに顔が見えるが、穏やかで優しそうな表情をされているようだ。
延命地蔵の御顔の様に穏やかな人生を歩みたいものだ…家族分賽銭奮発、合掌。
延命地蔵
建立 / 不明
本尊 / 延命地蔵顔王大菩薩
所在地 / 三重県四日市市西町12-12
参拝日 / 2022/06/10 -
地図は1898年頃の当地で右がほぼ現在
今回巡った箇所をマーキングしてみました。
距離にして約5.5㌔、約1時間30分程度で巡れます。
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