2021/11/14 - 2021/11/14
86位(同エリア820件中)
愛吉さん
猛威を振るったコロナも下火になったので、街歩きを兼ねた地元の文学散歩に出掛けます、今回は隣の三鷹市迄足を延ばしました。
実際は3回に分けて回りましたが、旅行記は一つに纏めます。
御覧になって下さい。
表紙は三鷹市中央通りに建つ、山本有三”路傍の石”より「未来を見つめる少年」像。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス
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最寄りのバス停から20分程バスに乗り、10分程歩くと実篤公園に到着します。
ここは入口、武者小路実篤が最晩年の昭和30年から51年迄21年間暮らした屋敷跡です。 -
門を入ると説明板があります。
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矢印に従い細道を辿ると。
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住居に到着しました。
玄関脇には地蔵像が鎮座。 -
玄関。
中に入れます、屋敷内は生前の状態のまま残されていますが、撮影は出来ません。
アトリエの畳には絵具の汚れが残っていました。
国の有形文化財です。 -
家を出て、竹藪の道を奥に進むと。
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実篤の銅像が。
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崖を降りると池があり、ベンチも置かれています。
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そこから庭を出ると道路を挟んで武者小路実篤記念館があります。
昭和60年10月にオープンしました。
実篤の人となりや作品解説が展示されています。 -
次は蘆花恒春園。
大まかな方向は同じですが行先が違うバスに乗ります。
こちらも15分程乗車、10分ほど歩くと到着です。
徳富蘆花が明治40年から20年間暮らした処。 -
案内板があります。
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公園入口の佇まい。
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住居の門、公園の一角になります。
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母屋、梅花書屋。
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方向を変えて写します。
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建物内部。
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離れ、秋水書院。
著書「ミミズたわごと」」の舞台そのままです。
公園内には蘆花記念館もあり、遺品や作品等が展示されています。 -
又敷地内には蘆花夫妻の墓もあります、遺言によりここに埋葬されました。
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今度はバスを乗り継いで、隣の三鷹市に向います。
駅前の中央通りを南下。
通りの左右に三鷹に関係ある文学者の記念碑が4っあります。
先ず三木露風の”赤とんぼ”の像 -
解説書。
昭和3年から39年迄三鷹に住んでいました。 -
次は武者小路実篤の”地球を支える手”像、大きな地球儀です。
人間万歳の文字は実篤の自筆。
実篤は現実篤公園の地に移る前、暫く三鷹の玉川上水脇に住んでいたそうです。 -
太宰治の斜陽の一節に、亀井勝一郎の太宰評を加えた”本のレリーフ”像。
三鷹は太宰が暮らし、又亡くなった処です。
太宰の墓はこれから訪ねます。 -
4っ目は山本有三の代表作路傍の石より”未来を見つめる少年”像。
有三記念館も後ほど訪ねます。 -
先を急いで禅林寺に到着しました。
山門です。 -
こちらは本堂。
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境内に三鷹事件遭難者慰霊碑が建っていました。
三鷹事件を覚えている人も少なくなりました、終戦直後の事件です。 -
墓地に入って先ず太宰治の墓。
森鴎外の墓の近くに葬ってほしいとの遺言により、ここに葬られました。
墓碑名は本人の署名を刻みました。 -
向かいに森鴎外の墓。
当初向島の弘福寺に在りましたが、関東大震災で廃寺となり、故郷津和野とここに分骨されました。
何故この寺になったのかは不明だそうです。 -
近くに鴎外の墓碑についての遺言が記された石碑が建っています。
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玉川上水脇の風の散歩道を通り、山本有三記念館に到着。
門の前に置かれた黒い石は通称”路傍の石”です。
山本有三が昭和11年から21年迄の10年間を過ごした家で、代表作”路傍の石”はここで執筆されました。 -
改めて正面から。
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洒落た建物です。
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1階応接室。
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食堂。
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階段。
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書斎。
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その他の部屋は展示室になっています。
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庭側よりも眺めてみました。
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文豪を巡る旅を終り、疲れた頭を冷やすべく、井の頭公園に立寄ります。
秋色が漂う公園を半周。 -
池に浮かぶ井の頭弁天。
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正面からお参りして、文学散歩は終了。
又バスを乗り継いで帰るとしましょう。
終
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