2016/07/25 - 2016/07/25
6位(同エリア24件中)
旅四郎さん
今回、アイルランドの旅を決めた要因の1つはボンラッティ城の中世晩餐会に参加したいと思ったことだ。中世晩餐会という何とも怪しげで魅惑的な言葉の響きに惹かれた。どうしても参加したかったので、日本でWeb予約した。
7月25日(月)朝、キラーニーを電車で出発してリムリックに行く。聖メアリー大聖堂、ジョン王の城、条約の石を見学。昼食後、ハント博物館を見学。リムリック・バスステーションからボンラッティ民芸村に行き、民芸村と城を見学。夕方、中世晩餐会に参加。バスでリムリックに戻る。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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7月25日(月)キラーニー駅を午前7時36分発の列車で出発。
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リムリック・コルベール駅に午前10時14分に到着。1858年にリムリック駅としてオープンしたが、1916年のイースター蜂起で処刑された指導者の1人であるコーネリアス・コルベールを記念して、1966年4月10日にコルベールという名前が付けられた。
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リムリック・コルベール駅から歩いて6分のペリーズ・ホテルにチェックイン。リムリックはシャノン川とアビー川の南側がアイリッシュ・タウン、北側はキングズ・アイランドでイングリッシュ・タウンと呼ばれている。ホテルはアイリッシュ・タウンにあり、荷物を置いて市内散策に出かける。
ペリーズ ホテル ホテル
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ブリッジ・ストリートを北に進むと、写真の魅力的な白い橋を偶然見つけた。シャノン川に流れ込むアビー川に架かる歩道橋。アイルランドではこのような歩道橋を見かけるがある。
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ブリッジ・ストリートを北に進み川を渡ると、キングス・アイランドの丘に建つ聖メアリー大聖堂が見える。ここからシャノン川とアビー川の合流地点を見渡すことができる。写真のユニークな形をした門から大聖堂に入る。古くはヴァイキングの集会場があった場所。
聖メアリー大聖堂 寺院・教会
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リムリックで最も古い建物の1つで、1168年に最後のミュンスター王であるドムナル・モール・ウア・ブライエンが彼の宮殿の敷地内に大聖堂を設立した。14世紀に追加された塔は、37mの高さがあり、8つの鐘が付けられている。
聖メアリー大聖堂 寺院・教会
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大聖堂に入って、右側の聖ジャイムズ・チャペルのステンドグラスには聖書にまつわる5つの物語が描かれている。
聖メアリー大聖堂 寺院・教会
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入口と回廊はロマネスク様式、内陣と礼拝堂はゴシック様式が用いられ、両方の建築様式が見られる。写真の奥にあるレディー・チャペルには見事な祭壇があり、その背後の飾り窓は、イースター蜂起の中心人物のパトリック・ピアーズの父によって彫られたもの。天井からはシャンデリアが吊り下げられている。
聖メアリー大聖堂 寺院・教会
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写真はレディー・チャペルのレレドスと高祭壇。高祭壇は、長さ4m、重さ3トンの石灰岩のブロックを彫ったもの。1651年にオリバー・クロムウェルがリムリックを占領した後、彼の議会軍は大聖堂を厩舎として使用した。彼の軍隊は祭壇を取り除き、シャノン川に投棄した。しかし、1960年代に川床から回収され、祭壇は復活した。
聖メアリー大聖堂 寺院・教会
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ジェブ・チャペルにはカトリック教会の教理や規律を復活導入し、教会の主体性確立を目的としておこされた、信仰復興と教会改革の運動であるオックスフォード運動の先駆者と見なされているジョン・ジェブ司教の大きな像がある。
聖メアリー大聖堂 寺院・教会
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大聖堂の北翼廊には聖歌隊席が置かれており、写真のミセリコードは折り畳み式の座席に刻まれた小さな木製の彫刻で、長時間の祈りで立っている人をサポートするための棚として機能した。アイルランドに残された唯一のミセリコードの完全なセットで、エリザベス朝以前の唯一の彫刻である。
聖メアリー大聖堂 寺院・教会
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北翼廊の精霊礼拝堂には、写真の絵が付けられたパイプオルガンが置かれている。絵の左の窪んだ壁には「ハンセン病の斜視」と呼ばれる小さな開口部が付けられている。中世にはハンセン病は伝染性が高いと考えられていたため、ハンセン病患者は教会に入ることはできなかった。「ハンセン病の斜視」は、他の信者と接触することなく、教会の奉仕を受けることを可能にした。
聖メアリー大聖堂 寺院・教会
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聖メアリー大聖堂周辺の墓地の最も古い部分は12世紀にさかのぼるが、最も古い埋葬記録は1726年にさかのぼる。墓地の中央にはアイルランド独特のハイクロスが立っている。
聖メアリー大聖堂 寺院・教会
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聖メアリー大聖堂を出て、ニコラス・ストリートを北に進むとリムリック城、通称ジョン王の城に出る。シャノン川に隣接し、リムリックのキングス・アイランドにジョン王が1210年に建てさせた城。左のガラス張りの建物はビジターセンター。
ジョン王の城 城・宮殿
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城の初期の修復中にヴァイキングのものと思われる多くの家屋が発掘された。ビジターセンターには発掘で見つかった住居の遺品や敷地内で見つかった遺物が展示されている。タッチスクリーン技術、リアルなモデル、ホログラフィック・プロジェクションなど最新の映像技術を駆使して、城とその歴史的背景を紹介している。
ジョン王の城 城・宮殿
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ビジターセンターの隣にレンガ造りの4階建ての建物があり、城の入口になっている。2階に上がると、初期ゲール社会の展示から始まり、このフロアーには、写真の当時の兵士の服装が展示されている。後ろに立って顔を出せば、兵士になったような面白い写真が撮れる。兜や鎖帷子などを試着できる体験コーナーもある。
ジョン王の城 城・宮殿
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屋内展示では、この地域で起こった出来事についての物語が紹介されている。展示品を見ながら、リムリックで繰り広げられた城の歴史と物語について学ぶことができる。写真は1535年当時の城のジオラマ。
ジョン王の城 城・宮殿
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建物を出ると城の地下への入口に繋がる。地下にはヴァイキングが住んでいた集落遺構があり、ここを通り過ぎると、写真の城の中庭に出る。中庭には武器が置かれたキャンペーンテントや鍛冶屋の鍛冶場などがあり、ノルマン以前の城の生活が再現されている。ピローリーと呼ばれる晒し台、絞首台なども展示されている。
ジョン王の城 城・宮殿
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ジョン王の城も、他の多くの城と同様に既存の要塞の場所に建てられた。リムリックでは、溝に囲まれた石と土工の堤防があり、写真の初期の砦の遺跡は、城の中庭の発掘中に考古学者によって発見された。発見されたのはヴァイキング時代からノルマン以前の家屋と防御の遺跡。
ジョン王の城 城・宮殿
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独特の丸い塔は13世紀の城の特徴で、以前の四角い塔よりも攻撃に対して防御力を強化した。攻城戦の技術と攻城戦で使用される機械が改善されたため、攻撃に耐えるために城の建設方法も改善された。塔は15m以上の高さをもち、窓はなく狭間と呼ばれる隙間があり、弓やクロスボウ、銃などを発射した。
ジョン王の城 城・宮殿
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塔から城壁に出るとリムリック市内が一望できる。シャノン川沿いに建てられた城はトモンド橋を管理し、渡ってくる外敵を発見するために建てられた。ヨーロッパで最も保存状態の良いノルマン城の1つ。
ジョン王の城 城・宮殿
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ジョン王の城からトモンド橋を渡って対岸に行くと条約の石がある。1690年のボイン川の戦いでジェイムス2世に加勢したアイルランド軍は、フランスの遠征軍が敗走した後も、最後の拠点リムリックを守り、イギリス軍を相手に善戦した。写真の場所でリムリック条約が調印されたと言われる。
条約の石 モニュメント・記念碑
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1691年にウィリアム3世はついにカトリックの信仰の自由と地位の保証を認めるリムリック条約を結び、写真の石がそのシンボルとなった。しかし、イギリス議会は逆にカトリックを取り締まる法律を定めたため、この石はイギリスの裏切りのシンボルとなった。
条約の石 モニュメント・記念碑
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聖メアリー大聖堂の近くのジョーンズ・キー沿いにあるザ・ロック・バーで昼食。1階がパブで、2階がレストラン、テラスではアビー川を眺めながら食事ができる。
ザ ロック バー
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写真は1階のパブ、ここで食事。今晩は中世晩餐会に行くので、昼食は軽く済ませようと思う。夜にはここで伝統的なアイルランド音楽とダンスが実演される。
ザ ロック バー
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本日のホームメイド・スープを注文。海外旅行で昼食を軽く済ませる場合の定番。パースニップ・スープとブラウン・ソーダブレッドの昼食。
ザ ロック バー
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昼食後、ブリッジ・ストリートを南に行って、1976年に開館したハント博物館に行く。美術収集家で学者でもあるジョン・ハントが国に寄付したコレクション。写真は18世紀半ばから1993年まで税関として使われた建物で、パラディオ様式建築と石灰岩のファサードも一見の価値がある。
ハント博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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1階には十字架やステンドグラスなどキリスト教の美術品や中世の銀貨、宝飾品などが展示されている。写真の上部中央に聖骨箱のクロスペンダントがある。
ハント博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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2階には18世紀と19世紀の装飾芸術、銀、ガラス、日本や中国の焼き物などが展示されている。
ハント博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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3階には古代地中海世界やヨーロッパ、アイルランドの考古学的資料が展示されている。写真の右から2つ目は金属製の金箔に爪の足が取り付けられ角杯。3つ目は多色の木で作られた馬に乗った男の彫刻。
ハント博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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ハント博物館からミルク・マーケットへ行った。月曜日から木曜日は休業日で残念ながら見学できなかった。
ミルク マーケット (リムリック) 市場
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リムリック・コルベール駅の敷地内にリムリック・バスステーションがある。午後2時35分発のバスでボンラッティ民芸村に行く。
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ボンラッティ民芸村には午後3時5分に到着。100年前のアイルランドの住宅や生活環境を再現したテーマパーク。写真のビレッジ・ストリートは、民芸村の中心で、鮮やかな色のショップや建物のコレクションが並んでいる。伝統的なアイルランド音楽が流れていて、通りには医者の家、郵便局、質屋、パブ、カーテン、版画、食料品店、金物店、陶器の店が並ぶ。
ボンラッティ城 & ボンラッティ民芸村 建造物
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10万㎡の広さを誇る民芸村にはペット・ファームがあり、豚やロバなどが飼育されている。写真はミニチュア・ホースの最高の品種と言われるファラベラ。ファラベラはポニーというよりは、むしろ普通の馬の持つ特徴と体格比を有している。
ボンラッティ城 & ボンラッティ民芸村 建造物
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ボンラッティ・ハウスには美しい壁に囲まれたボンラッティ・ウォールド・ガーデンと呼ばれる庭園がある。もともとボンラッティ城の周りに形成された領域に残された部分。庭は1804年頃に建てられ、壁に囲まれた庭になったが、2000㎡未満の小さなものだった。城の領域内の北には大きな庭が存在した。
ボンラッティ城 & ボンラッティ民芸村 建造物
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ボンラッティ民芸村には伝統的なアイルランドの30を超える農家の建物がある。写真はクレア州の西端に住む農民と漁師の家屋敷で、ループ・ヘッド・ファーム・ハウスと呼ばれている。厚く白塗りされたモルタル石で作られている。茅葺屋根は壁のペグに固定されたロープによって大西洋の強風から保護されている。鍛冶屋や機織り小屋もあり内部の見学もできる。
ボンラッティ城 & ボンラッティ民芸村 建造物
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ボンラッティ城は1425年に建てられ、16~17世紀にはトモンド伯オブライアン一族の重要な砦だった。3階建ての本館、6階建ての4つの塔がある。中世晩餐会が始まる前に城の中を見学。
ボンラッティ城 & ボンラッティ民芸村 建造物
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大広間にはフランスやフランドル製のタペストリー、オーク材の棚には家族の紋章が見られる。
ボンラッティ城 & ボンラッティ民芸村 建造物
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写真は南ソーラーで、家族のプライベート・リビングと寝室として設計され、大広間の喧騒から逃れるための重要なファミリー・ルームだった。一般的に大広間よりも小さく、快適さと社会的地位を示す部屋であった。通常は暖炉と装飾的な木工品、タペストリーで飾られていた。
ボンラッティ城 & ボンラッティ民芸村 建造物
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写真はパブリック・チャペルで、天井はスタッコ仕上げで、15世紀のスワビアン式の祭壇をはじめ、美しく貴重な品がある。
ボンラッティ城 & ボンラッティ民芸村 建造物
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塔の屋上に上がると、目の前にラルティ川が見える。
ボンラッティ城 & ボンラッティ民芸村 建造物
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ゴート卿が1956年に城を購入して改修。ジョン・ハントと一緒に、タペストリー、家具、アートワークを調達して初期の城の雰囲気を再現した。写真は伯爵の寝室だが、扉を開けばライティングデスクになる珍しい15世紀のオーク材のエスクリトワールがある。彫刻が施されたベッドポストは16世紀のもの。
ボンラッティ城 & ボンラッティ民芸村 建造物
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写真は中世晩餐会の会場になるメイン・ガードホールだが、まだ始まるまでには時間があるが、準備はできているようだ。
ボンラッティ城 & ボンラッティ民芸村 建造物
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中世晩餐会は午後5時30分開始なので、少し早めに城に行った。城の跳ね橋を渡って2階の大広間に案内される。ブドウの果実、蜂蜜、ハーブの成分を含むボンラッティ・ミードが入ったゴブレットが手渡される。人類に知られている最も古いワインの1つと言われている。晩餐会が始まるまで、大広間でミードを飲みながら、フィンドルが奏でる美しい中世の音楽をお楽しむ。
ボンラッティ城 & ボンラッティ民芸村 建造物
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大広間では中世の衣装の伯爵の執事や城の歌手がもてなす。記念撮影をしたり、大広間の家具やタペストリーを見学する。執事は城の歴史を語り、歌手たちが歌う中世のマドリガーレを堪能。最後にゲストの中から伯爵と夫人が選ばれ戴冠式が行われる。執事と歌手たちが大広間の隣にあるメイン・ガードホールに案内してくれる。
ボンラッティ城 & ボンラッティ民芸村 建造物
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メイン・ガードホールは一般の兵士と伯爵の家臣の居間だった。長いオーク材のテーブル、ベンチ席、キャンドルライトなどが中世宴会の雰囲気を醸し出す。バルコニーからホストが祭りの概要を説明。いよいよ15世紀のボンラッティ城での華やかな宴会が始まる。執事が素晴らしい料理、上質なワイン、蜂蜜酒など、アイルランドの味を運んでくる。
ボンラッティ城 & ボンラッティ民芸村 建造物
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食事は4コースで、メニューによるとスパイスの効いたパルスニップ・スープが運ばれる。写真はハチミツとウイスキーソースを添えたスペアリブ。団体客が多い中、一人で参加した今晩の晩餐会。前から楽しみにしていたので、思いっ切り楽しもと思った。バイキングのようにナイフだけで肉を食いちぎる。
ボンラッティ城 & ボンラッティ民芸村 建造物
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最高のチキンのパンフライ、新鮮な庭の野菜、ベイビー・ロースト・ポテトにボルデレーズ・ソース添え。
ボンラッティ城 & ボンラッティ民芸村 建造物
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最後に、デザートととしてホイップ・クリームを乗せたラスティン・ブラムリー・アップルとシナモン・クランチ。
ボンラッティ城 & ボンラッティ民芸村 建造物
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テーブルに座って食事をしている時にも、伝統的な歌が流れていた。食事が終わるとエンターテインメント・プログラムが始まる。美しいアイリッシュ・ハープとフィンドルの演奏、それに合わせてボンラッティ城の歌手たちによる美しいアイルランドの中世および伝統的な歌が続く。
ボンラッティ城 & ボンラッティ民芸村 建造物
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城での時間が終わると、キルトを着たバグパイプの演奏者が見送ってくれる。ボンラッティのバス停に行って午後8時40分発のバスに乗る。リムリックのバスステーションに午後9時に到着。ペリーズ・ホテルに戻り、晩餐会の余韻を残しつつ眠りにつく。
ボンラッティ城 & ボンラッティ民芸村 建造物
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