2008/02/24 - 2008/02/24
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tzpapa10さん
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成都には仕事の関係で頻繁に行っていましたが、休日を利用して市内観光地などをぶらぶらしようと青羊宮を中心に廻りました。
基本は歩いてぶらぶらですが、当時は中国一部で抗日運動が起こっていて、成都市内で信号待ちしていたところに「抗日・・・碑」と刻まれた石碑を発見し、少しビビりながら歩いていました。
三国志・蜀の都であった四川省成都市は、道教の総本山で世界遺産である青城山が近くにあり、道教の発祥地と言える場所です。「青羊宮」がある成都市は1,500万人級の大都市ですが、そこで道教は今も大切にされ続けており、参拝者が途切れることは無く、仏教に限らず道教も人々の心にしっかりと根付いている。日本であまりなじみはないですが、「青羊宮」は道教寺院です。
かつてこの地において、青い羊に乗った老子が現れて教えを説いたという伝説により羊になっている。
「青羊宮」が最初に作られたのは西周の時代とされ、少なくても紀元前771年より前。当初、こちらは「青羊肆」と呼ばれていました。その後、三国時代に「青羊観」となり、881年の唐の時代に「青羊宮」となったとされる。しかし五代十国時代(907年-960年)の頃再び「青羊観」と変わり、最終的に「青羊宮」として落ち着くのは宋代(960年-1279年)からです。過去に焼失しており、現在の建物は清の時代のもの。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- タクシー 徒歩
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琴台故径入口門
成都市中心部の人民公園から青羊宮へ行く途中にある。夜のライトアップの中の故径も観光地ですが青羊宮と文化公園が優先だったので通過しただけです。いつもタクシーで市内走るとこの門は目立つし印象深いので、一度中に入らないといけないと思いつつ、結局中の通りに入ったことがない。 -
青羊の説明看板
青羊宮 城・宮殿
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青羊宮大門(山門)
オリジナルは明代に建立。左側には、土地神の像と緑龍の像、皇恩九龍の碑がある。右側には白虎の像と七星の山があり、そこには道教の秘法である天主雲印が刻まる。これは中天の北斗七星の配置を参考にしたもので、北斗七星の7つの山と呼ばる。また、龍と鳳凰の山、一対の大きな石獅子、龍王の井戸などもある。
新しい山門は、重なり合った飛檐(ひえん)を持つ荘厳で立派なものになり、軒先の柱には龍と虎の吉祥動物の彫刻がはめ込まれ、細かい彫刻も施されている。神殿の上には、精霊の真珠で遊んでいる2匹の龍がいる。山門の上には「青羊宮」という金色の横文字の扁額が掲げられている。これは、清代乾隆帝期に成都華陽県の奉行だった安弘徳による書で青羊宮の文化財となっている。青羊宮 城・宮殿
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山門内部からの屋根と、その上の織姫と彦星みたいな感じの人形。
青羊宮 城・宮殿
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青羊宮三清殿
「無極殿」とも呼ばれ、唐の時代に建てられ、清の康熙帝8年(西暦1669年)に再建された青羊宮の正殿。三清殿の底部は長さ40mの正方形で、総面積は1600㎡。外側の軒先の柱には、劉河の子供たちや2頭の獅子がボールを持って遊んでいる様子など、芸術的な木彫が施されており、「福地臥青牛石室烟霞万古,洞天翔白鶴蓬壺歳月千秋」(中国道教協会元会長・李玉鋼氏の銘)という一対の金字塔がある。 寺院の前には、左手に「幽冥鐘」と呼ばれる、明代に鋳造された重さ約3,000kgの鐘がある。右側には太鼓があり、1日目と15日目、そして縁起の良い日に叩かれる。青羊宮 城・宮殿
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青羊宮丹台碧洞(丹台碧洞は道教の支派)
清朝康熙8年、四川省の青城山(世界遺産)に陳清覚という道教の僧侶が来たが、当時、道教の名山であった青城山は、明朝末期の戦乱を経て、青城全体が8つ、9つの道教寺院に破壊され、ほとんどの道教人が逃げ出していた。陳清覚は、道衆を募って橋を架け、道を舗装し、僧侶を復活させ、寺を蘇らせた。 10年以上の苦労の末、青城山は徐々に道教の仙人山の姿を取り戻していく。
湖北省武昌市出身の陳清覚は「烟霞子」と呼ばれ、若い頃は儒教を学び、東宮の侍話を除き常習的に学ぶ。 世の中が混乱していた明代末期、彼は政府を辞めて隠遁し、その後、武当山の太子坡で龍門派の道士である詹太林の指導を受けて僧侶となる。
1669年、陳清覚と弟子の張清湖は青城山に来て、陳清覚は天師洞に、張清湖は文昌宮に居住。 当時、常道観殿は破壊され、その様子は1726年の「常道鋳造鐘銘文」に記載。 幸い国家も安定し” 陳清覚らの共同作業により、青城山は新しく生まれ変わった。1695年、四川省の監察官である趙良璧が青羊宮に来た時、陳清覚の素晴らしい容姿と並外れた演説を見て感嘆し、後に二仙庵建設のための土地を購入して陳清覚をその主宰者とした。更にその後、陳清覚の所業を朝廷に報告し、康熙帝41年、勅令で都に招かれた陳清覚は康熙帝に謁見。康熙帝は、陳清覚を「碧洞真人」とし、自筆で「丹台碧洞」の扁額を書いた。 この時から、全真教龍門派碧洞宗が誕生し、今日まで受け継がれてきている。青羊宮 城・宮殿
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青羊宮唐王殿
中は紫金台で、別名「唐王殿」。青羊宮の最後の寺院で、清朝初期に建てられ、唐朝初代王の李淵夫妻と息子で2代目王の李世民が祀られている。青羊宮 城・宮殿
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青羊宮斗姥殿(青羊宮で現存する明代の唯一の建造物)
「元辰院」とも呼ばれ、長さ約10m、幅約9mで、明王朝に建てられた地下式の建物。殿内に奉納された斗姥は、道教が信仰する大女神であり、9人の息子(すなわち、九皇)を産んだと言われ、それぞれ玉皇・紫微・貧狼・巨門・禄存・文曲・廉貞・武曲・破軍である。斗姥の額には3つの目、肩には4つの首、左右それぞれ4本の腕がある女神で、人間の生と死の罪の祝福を受けた天の神である。
斗姥の右側に、女仙の筆頭である西王母が祀られている。 道書では、「天上天下,三界十方,女子登仙得道者,咸所隶焉」と記している。毎年3月3日は桃の祭典で、この日は王母の誕生日で、全ての神仙が彼女を祝福するために来たと言う。左側には、陰と陽の生育・万物の霊・大地山河の秀を指揮する女神として、皇帝の地が奉献されている。道書では「承天效法厚徳光天聖後土皇地祇」(通称「地母」)。 両側には、南斗六星、南極の長寿大王(寿星)、北斗七星がある。青羊宮 城・宮殿
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青羊宮銅羊右側(一角の青羊)
「玉皇殿」の外にある「青羊」は真鍮で鋳造されている。この一角獣の銅羊は、清朝雍正元年(1723年)に大学の学者であった張鵬和が北京から購入し、青羊宮に贈られて青羊宮の名を冠したもの。その台座には「この銅羊は都の会議で手に入れ、成都の古道場に移した」という詩がある。 伝説によると、この青銅製の獣は、宋の時代の開封景明(羊の首の傷跡にある「景明」の元になったもの)のオブジェ。青羊宮 城・宮殿
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青羊宮銅羊左側(双角の青羊)
双角の銅羊は、清朝9年(1829年)成都の張柯が雲南の職人陳文炳と顧鉄仁を招いて鋳造し青羊宮に奉納されたもの。青羊宮 城・宮殿
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青羊宮八卦亭
八卦亭は青羊宮内の中では最も保存状態が良い。「三清殿」と「混元殿」の間にある八卦亭は、道教の教えの特徴を際立たせる象徴的な建物。高さ約20m、幅約17m、面積約300㎡で、3階建ての建物全体が重厚な台座の上に建てられている。石の台座は四角形で、八卦亭は円形で古代の天の円を象徴している。八卦亭全体は木造で、接合部分はくさびや釘などは使用されておらず、蟻組み構造になっている。
八卦亭の手摺は2つの階層で八角形。各層は、獅子・象・虎・豹など様々な動物が雄大な角にちりばめられている。青羊宮 城・宮殿
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文化公園
青羊宮近くにある公園で、1951年に二仙庵の跡地に改築されてできた公園で、150苗(1苗は666㎡=99,900㎡)の広さ。公園には成都の開放前夜に国民党特務によって殺害された36名の聖職者を紀念する12の墓の橋がある。四川省の文化保護対象となっていて、2018年3月に重点公園に指定されています。
天気は爽快というわけではなかったが、2月下旬の割には寒すぎなかったのでぶらぶらとしてみました。 -
文化公園
訪問時は何も知らなかったが、この渡って記念撮影している橋は聖職者紀念の橋の一つかも。 -
文化公園の池で子供だけですが、透明なボールの中に入って浮かぶ遊びがあり楽しそうでした。当時は日本でもこのようなものは見たことなかったので、ここで見たのが最初でした。
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